<2・鳴沙、教エル>

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「元女官もいるし……帝が外へお戯れに行かれた折、たまたま見初めた農民の娘や、場合によっては元娼婦ということもあると聞くわ。まあつまり、女官も見初められて最終的には正室になれる可能性も、ないわけではないということね」  私にはもう声はかからないでしょうけど、とやや鳴沙は自虐気味に告げた。それで、香鈴はピンと来てしまう。どうして、女官達の中に年輩の女性が少ないのか。――一定年齢にもなると、どこかしらで帝の“お手つき”が入り、その時点で妾になってしまうからだと悟ってしまう。そういえば、帝は自分を雇い入れる折、随分と容姿を気にしていたようだった。あれが、未来の妾候補にと考えていたとしたら――正直ぞっとする話である。  帝とはいえど、香鈴はこの世界よりも前世までの常識や認識がどうしても強い娘だ。好きでもない相手とまぐわうことには抵抗があるし、何より宮中のドロドロ人間関係に放り出されるなどまっぴらごめんなのである。残念なことに、香鈴は前世から、自らの社交性やら愛想やらというものにまったく自信がないのであった。ついつい、余計な口出しをしてしまいがちというのもあるのだけれど。 「妾はともかく、側室にまでなればお給金も名誉も相当なものよ。貴女の実家の父君や母君もさぞかしお喜びになるんではなくて?」 「……私のような者には、とてもとてもそのようなお役目は務まりませんので」  ていうか絶対嫌だ。心の中では呟きつつ、表向きは謙虚を装って告げる香鈴である。そもそも、自分には心に決めた人がいるのである。その人と結ばれることがないとしても、その人が今の世界では女性であるかもしれないとしても、だ。 「それよりも、鳴沙様。私がお仕えするのは、どの后様なのでしょうか」  この話は切り替えた方が良さそうだ。このままの流れで行くと、それこそ色仕掛けや下ネタに近いところまで話題が及びそうで恐ろしい。  さらりと話題を変えに行くと、鳴沙もそれはそうだと思ったらしく、そうね、と頷いて見せた。 「そろそろ、あの方も準備が整ったところでしょう。……正直、貴女は幸運でもあり、非常に不運な新入りだとも言えるでしょうね」 「どういう意味ですか?」 「貴女がお仕えするのは、現在后の序列第三位……二番目の側室であらせられる藍蘭様だからよ」  藍蘭――藍色に、蘭。鳴沙が筆で文字を書いて見せてくれたのを見て、もしかしたらと香鈴は思う。  何故なら自分が生涯唯一と愛したあの方は、とても美しい黒髪に藍色に近い深い青い瞳をしていたものだから。 「わたくしが本来、このようなことを言ってはいけないのだけれど。七人の后様の中でも……群を抜いてお美しい方よ。学もあり、お声も美しく、何よりもわたくし達女官に対しても非常にお優しく接してくださるの。だから、評判もいいし……そういう意味では、貴女はとても幸運な新入りね」  でもね、と。鳴沙は少しだけ苦い顔をして告げる。 「さっき、貴女に伝えた通りですのよ。……あのお方は、宮中の権力争いの真っ只中にあらせられる。特に、正室の緑蘭様とは頗る相性がよろしくない。非常に苛烈で嫉妬深い緑蘭様からすれば、元妾の女性がどんどん序列を上げて自分に迫って来るのが、恐ろしくてならないのでしょうね。なんといっても、藍蘭様はお美しく、芸事にも秀でてらっしゃるわ。今の紅帝様は特に藍蘭様を溺愛なさっていて、閨にお呼びになる回数も段違いに多いものだから」 「それに、女官も巻き込まれるということですか」 「平たく言えばその通り。……実際、毒味をして亡くなった女官もいれば……藍蘭様を暗殺しようとする者に巻き込まれて亡くなった者もいるくらいだから。……貴女」  部屋を出ようとしたところで、鳴沙がぴたりと足を止めて振り返る。そして、まじまじと香鈴の足下から頭までをじっくりと眺めて。 「貴女……少々、武芸に覚えはあって?」  告げた。なんと、と香鈴は眼を見開く。分厚い女官の袴姿で、まさか鍛えた肉体を見破られようとは。女性で、武芸の心得がある者はそう多くはない。香鈴も、服を脱がない限りは鍛え上げられた筋肉も技もけして見抜かれないとばかりに思っていたというのに。 「……没落した貴族の、田舎娘ですので。農業などは力仕事で、嫌でも鍛えられてしまうのです」  余計な疑いをかけられてはたまらない。そう伝えると鳴沙は、“そういうことにしておきましょ”と含みのある言い方をして笑った。 「今から、藍蘭様のお部屋に案内しますわ。くれぐれも、失礼のないようにね」
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