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令嬢
翌朝は、いつもと様子が違っていた。意地の悪い警察官がいなくなっていたのだ。代わりに若く、真面目そうな警察官がおり、隼人を見ると、敬礼をした。当たり前のはずだが、すこぶる気持ちが良い。
が、傍らには映子が、相変わらずの派手な格好で立っていた。
「待ってたのよ」
奇妙な色気を発散させながら、圭に擦り寄るようにして、近寄って来た。隼人はまるきり無視である。
「いつもの警察官は?」
隼人の質問に映子は顔を向けはしたが、お呼びでない。とばかりに、直ぐに視線を圭に戻した。
「今日はお休み。もう二度と来ないかも知れないわ。有朋さんを怒らせたのですもの。昨夜、伯父様に呼ばれていたから、きっときつく叱られたに違いないわ。
この家ではね、有朋さんを怒らせるのが、一番のお馬鹿さんなのよ」
「義礼氏じゃなくて?」
「伯父様は有朋さんの言いなりですもの」
圭の肩に、映子が手を載せようとした。慌てて圭は体を引き、いそいそと隼人の陰に隠れる。
つくづく、映子は令嬢とは言いかねる。男と並んで歩くだけならまだしも、体に触れるなど、嗜みのある娘なら、まずすまい。
「本人に断りもなしに触れるのは、失礼じゃないのかな?」
映子を嗜めたが、本人はなんとも思っていないらしかった。隼人を邪魔そうな目で見ながらも、有朋の元へと案内してくれていた。
親切心か? いや、映子の興味は圭にあるらしい。
慣れた様子で、映子は堂々と廊下を行く。義礼が可愛がっているそうだから、本人からしてみれば当たり前のことなのだろう。
「有朋さん、探偵さんを案内致しましたわ」
義礼の傍に控えていた有朋は、映子の姿を見て、表情を変えた。案内は、有朋の頼みではなかったらしい。
「伯父様、お加減はいかが?」
断りもなく踏み込み、枕元に座り込む。義礼は嬉しそうに映子を見、笑って見せた。まるで父親のような笑顔である。
有朋の表情に、複雑なものが浮かんだ。
「失礼します」
映子との会話が途切れた隙を縫って、隼人が声を掛けると、義礼は顔を向けた。が、直ぐに顔色を変えた。
「私は、この場は失礼します」
圭がこそりと、しかし、義礼に聞こえる声で、隼人に耳打ちした。
待っていましたとばかりに映子が立ち上がり、今度は圭の顔色が変わる。
「それでは、僕が。
麻上さん、こちらへどうぞ」
圭にとっては災難な、隼人にとっては幸いなことに映子も一緒に出て行ったので、義礼と二人きりになることができた。
「麻上さんとは、どういうご関係なのでしょうか?」
義礼が、怯えた声を出す。初対面の時とは全く印象が変わったが、義礼の身に起きた事を考えれば仕方あるまい。
「知り合いの子です。家があまり裕福ではなく、仕事をしたいと本人が言いますので。まだ子供ですが、頭はいい子なので」
「本当に? どういうお知り合いなのですか?」
「どうって、彼が気に入らないのでしたら、次からは連れて来ないようにしましょう」
ややむきになると、義礼は目を伏せて、顔を横に振った。
「すみません。ちょっと、知り合いの子に似ていたものですから」
「どなたですか?」
唇を噛み締めて、義礼は俯いた。
以前も同じだったな。と、隼人は思った。有朋の住んでいた場所を問うた時、覚えていない。と、なにかを隠している表情を見せた。
「ま、それはどうでもいいので、やめましょう。
相馬君から聞いたのですが、彼を養子に迎えて、高林を継がせるそうですね」
義礼は素直に頷いた。
「以前は映子さんに婿を取るのだと、相手まで決めていたそうですが」
「弟が、映子を嫁に出したいと言い出したのです。はっきりとは言いませんが、映子に好きな男ができたのでしょう。仕方ありません」
「そのお相手を婿に取ろうとは考えなかったのですか?」
「長男なのではありませんか?」
どうも、話が進まない。誰も、映子を嫁に出す理由を知らないのか?
疲れた表情の義礼に、いつまでも質問はさせてはもらえまい。
「質問を変えます。
相馬君がこの家に来る前、どこに住んでいたか、教えてもらえませんか?」
「思い出せません」
二十数年前のことではあるが、何度か通ったであろう場所、しかも、引き取った子供の生家なら、普通は覚えているだろう。
事件によって、義礼が失った記憶は、一週間程度だと聞いている。
「そうですか。
襲われた前一週間のことは覚えていらっしゃらないと伺いましたが」
「そうです」
「当然、誰が書斎に入って来たかは、覚えていませんよね?」
義礼はきっぱりと頷いた。
(この人は、はっきりと肯定するか、否定するか、あるいは答えないかのどれかだな)
義礼が隠そうとしているのは、一体何なのか。出会って間もない隼人に、分かろうはずもない。だからこそ、探る楽しみもあると言うものだ。
隼人の気持ちを知ってか知らずか、義礼ははっきりと答えつつ、だんまりを決め込んだ。
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