第一話

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蛇のように長い髪。 伸びた背筋は美しく。 革の靴は耳心地の良い足音を奏でる。 彼が手放せないのはマント。 髪よりも長い、腕を覆う、膝に擦れる程長い、赤いマント。 別に気に入っている訳ではない。 仮装をしたい訳でもない。 ハロウィンの日も、そうでない日も。 彼はそのマントを身に纏っていた。 彼の名は…。 「おい、ジレ。」 先にいた妖怪たちは、行列に並ぼうとする彼に話しかける。 「『腕無しのジレ』もハロウィンが楽しみってか!」 「魔界だとアタシたちに馬鹿にされるものねぇえ…?」 「腕無し!腕無し!」 「「「ギャハハハハハハ‼」」」 下卑た笑い声が、魔界に響きわたる。 暗闇に音が反響し、ジレの耳朶を打つ。 「…うるさい。」 囁くように言うと、ジレは髪をうねらせて耳を塞いだ。 「何だよ、笑えよ。今日はハロウィンだぜ?」 「悪態をついても笑えるのが、妖怪ってものでしょう?」 馴れ馴れしく、鬱陶しい。 ジレはいつも使っている言葉を口にする。 「それに、腕ならある。」 「じゃあ隠さなくってもいいじゃねぇか、腕無しがよ。」 これまたいつも聞く言葉で返される。 隠しても隠さなくても、馬鹿にされる。 ジレは嫌気がさした。 「…はぁ。」 自身が放った溜め息は、こもって聞こえた。 ハロウィン。今日は十月三十一日。 この日、人間界、霊界、そしてここ魔界の境界線は曖昧になる。 妖怪たちはこの日を待ちわびていた。 魔界に楽しみはないし、人間たちに『いたずら』できるからである。 人間界へと繋がる門の前に、こうして妖怪たちが並んでいる姿は滑稽だった。 だがどこにいてもすることがないジレにとっては、ハロウィンの日もそうでない日も、全てがどうでもいいことであった。 することがないから、ヒマを潰す。 毎年毎年、ヒマを潰す。 ただ、それだけのことであった。 「やぁやぁ皆様!」 行列の前の方で声を張る男の体は、全身宝石で煌びやかだった。 光がないこの世界で輝いて見えるのはおかしいことであったが、確かに輝いて見えた。 案内係に相応しい、自分とは真逆の妖怪だ。 ジレは視線を落とした。 耳を塞いでいても、男の声は聞こえてくる。 「遂に待ちに待った日が来ました。もはや説明する必要もないでしょう。」 門が、 開く。 「それでは皆様今日という日を存分に楽しんで下さいね。…では皆様ご一緒に。」 男は、すぅ、と息を吸う。 それは皆も同じこと。 ジレは髪をより強く耳に捻じ込む。 「「「「「ハッピーハロウィン!トリックオアトリート‼」」」」」 妖怪たちは我先にと門をくぐり抜ける。 順番なんて滅茶苦茶だ。 さっきまで並んでいたことが、より滑稽に思えてくる。 ジレは静かに、音色を奏でながら歩を進めた。 先程まで彼の周りにいた妖怪たちの姿はもうなかった。 彼の後ろにいた妖怪たちは、彼をどんどん抜かしていく。 全てが、どうでもいい。 「日が変わる頃には皆また魔界に戻っていつもの暮らし。俺もいつもの暮らし、か。」 周りにとっての『いつも』は、今日という『特別』のあとの『いつも』。 では自分にとっては? 「…いっそ人間界で暮らすか?そんなことをしている奴らもいるって誰かが言っていたような。」 人間界では太陽の光が邪魔をして、昼は行動できない。 光に当たれば最後、砂になって命を落とす。 それに境界線を渡れるのはハロウィンの日だけ。 魔界に戻れるのは一年に一度。 暮らすにしても最低一年は、人間界にいることになる。 ジレは思考を巡らせたが、すぐに停止した。 どっちでもいいし、どうでもいい。 ジレは門の前まで来ると、案内係を一瞥した。 「…あんたの光で皆、砂になったら面白いのにな。」 吐息のように小さく出た悪態は誰にも聞こえず、ジレは一人鼻で笑った。
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