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recollections/episode 09 1/2
――『友晴さん浴衣自分で着られる?俺手伝ってあげるよ』
――『大丈夫。説明サイトもあるし、自分でできる』
――『ホントにー?』
白い犬が首をかしげ、じーっとこちらを見つめてくる。
パソコンで“浴衣 着方 男”と検索し、ヒットしたサイトをいくつか眺めながら『大丈夫』と再度念を押す。
――『俺がやってあげるのに』
――『会ってからのお楽しみにした方がいいだろう?』
結人にどういう言い回しをすれば納得してもらえるのか、最近ようやくわかってきた気がする。絆されるばかりじゃないぞ。
――『それは、確かにまあ、そうかもね?』
――『そうだろう?』
よし。
――『じゃあ、明後日十六時に駅前集合ね』
――『わかった』
それ以降返信はなく、はあ、と額に手を当ててため息をつく。
この前浴衣を買ってから結人といくつか花火大会をピックアップして今週末のものに決めた。結人が友晴の着付けをしたいと言いだすのはなんとなく予想していて、準備しておいた答えを返し予定通りの流れになってほっとした。
着付けを拒んだのは手間をかけて申し訳ないからというよりも、恥ずかしさと不安ゆえのことだ。買い物の時も試着室に引き込まれ着付けてもらったが、結人に後ろから抱きしめられて腰や胸に触れられるとどうしても冷静でいられなかった。あの場はなんとかなったものの、実際浴衣を着るとなると当然あの時よりもっと肌を出した状態にならねばならない。その時果たして自分の体が反応せずに済むかといえば、正直あやしいものだ。結人の理性を丸きり信用していないわけではないが、自分自身の流されやすさや今までの諸々のことを考えると折角二人で楽しみにしている夏祭りに行けないなんてことになりかねない。
「って……なに考えてるんだか……」
広がり続ける妄想に文字通り頭を抱えてデスクに突っ伏しているとぴょんっとクロが乗って来て、慰めるように腕の横で丸まって寝始めた。
「クロ……僕は前より少し頭が悪くなった気がするよ……」
何が正解かなんてわからない。ただ、結人と普通に夏祭りに行きたい。それだけだ。
クロはじっとこちらを見るとくわっと大きく口を開けてあくびをする。
「はは、何言ってんだってね」
すっかり浮かれきってしまったのは夏の暑さのせいもあるかな。
自分に言い訳をしながら、食い入るようにしばらく着付けサイトを見つめていた。
「友晴さん!」
「……お待たせ」
十分前には到着しておこうと思って結局十五分前に着いたのに、結人は既に駅前で待っていた。待たせないようにと毎度毎度行動してもいつも結人が先にいる。
「早いね」
「なんか楽しみで待ちきれなくて」
こうやって結人はただでさえふわふわ風船みたいに飛んで行きそうな想いをますます空高くまで飛ばしてしまう。
いつもと違う装いに胸を高鳴らせているのはおそらく友晴だけではない。友晴の選んだ浴衣は何度見ても結人のために作られたのではと思わせるほどよく似合っていた。耳の上にいくつかヘアピンを使って髪をまとめているおかげで、耳から首筋にかけてのラインがはっきり見えてなんとも艶っぽい。
「僕も楽しみだった」
「一緒ですね。嬉しい」
「……そうだね」
ためらいなくまっすぐに感情をぶつけられ、満面の笑顔も相まってまぶしすぎて倒れそうだ。
「友晴さんやっぱりその浴衣すごく似合ってる」
「ありがとう。結人の方こそ似合ってるよ」
「ありがとうございますっ、友晴さんの見た手は完ぺきでしたね」
「素材がいいからって言っただろう?」
「ははっ、相変わらず友晴さん俺の見た目褒める時ほんと素直だね」
「今更じゃないか」
「ん、そうですね」
結人が一歩近づき、こそこそっと耳打ちする。
「友晴さん、俺の顔も体も大好きだもんね」
「っ……ちかい!」
「ははっ、ごめんごめんっ」
全く反省の色はなく、結人はぐいっと友晴の手を引き歩き出してしまう。結人の外見だけでもただでさえ人目を引くというのにいつだって結人には友晴しか見えていない。そうわかってしまうことが照れくさくて、嬉しくて、握られた手は離せない。
ふと結人の背中を見ると帯の結び目に団扇が刺さっていて、何だろうと思ったらあのスタンプの犬の顔だった。
「結人、これどうしたの」
「え?なに?」
ホームに上がってから団扇を引っ張って「これ」と言うと「あー、もらったの」と引き抜いて見せた。
「可愛いでしょ。今コンビニとコラボしてて、お菓子三つ買うともらえるの」
「へえ、そんなのあるんだ」
「うん。友晴さんもほしかった?もらっとけばよかったかな」
「ははっ、つまり六つもお菓子買うの?」
お菓子を抱えてレジに立つ姿を想像するとなんとも微笑ましい。結人は「だって食べればいいし」と平然と言ってのけるから「まあ確かにそうだね」と頷いた。
まだ十六時だというのに、電車の中は浴衣や甚平を着た人で溢れていて、乗り継いで会場が近づけば近づく程混みあっていった。
「もっと遅い時間なら満員でぎゅうぎゅう詰めにされていただろうから、早めに出ておいて正解だったね」
「そうですね。まあ、帰りはそうなるかもしれないけど」
「大きい花火大会はどれもそうだろうね……花火が全部終わる前に帰ろうか」
「まあ、それでもいいかもしれないですね」
会場最寄りの駅に到着すると人でごった返していて、河原までの道をぞろぞろと人の群れが移動していく。道端には露店が並び、夕暮れの中丸い提灯がぽつりぽつりと赤く灯る。
「結人何か食べたい?」
「ん、食べる。こういう出店って全部おいしそうに見えるんですよね」
「わかる。焼きそばとか、フランクフルトとか、普段目にするものよりおいしく感じるよね」
「そうそう。あ、友晴さんアレがいい!」
人ごみを掻きわけて結人がどんどん先へ行く。慣れない下駄にあくせくしながら追いかけていたら不意に手を取られた。
「ごめんなさいっ、追いてくところだった」
「いや、君なら頭一つ出てるから見失わないとは思うけど」
溢れる人の中でも結人の身長と髪の色のおかげで目で追うことは十分できる。それでも「確かに」と結人は頷きながら手は離さず「こっち」と引っ張った。
「結人っ」
「大丈夫。みんな自分達のことしか見てないよ」
「……そうかもしれないけど」
考えていることなどすっかり見透かされている。結人は一瞬歩みをゆるめて振り返り顔を覗き込んできた。
「手、つないどくのダメ?」
「……だめじゃないよ」
だから、捨てられた子犬みたいな瞳で見て来るんじゃないっ。
結人はすぐに「はーい!」とまた前を見てぐいぐい友晴の手を引き進んでいく。扱いに慣れてきたのはお互い様か。
「おじさん、ひとつください!」
「はいよ、五百円ね」
「はーい」
結人が声をかけたのは“じゃがバター”と書かれた店だった。大きなジャガイモ一つをまるごと蒸して切れ目をいれ、バターを乗せたものをタッパに乗せて渡された。
「トッピングは好きにしてね」
「はーい……友晴さん、どれがいい?」
「え、ああ、こんなにあるのか」
蒸し器の横にはマヨネーズ、ケチャップ、辛子明太子、コショウ、七味唐辛子がずらりと並んでいた。
「俺は明太子は絶対入れたい」
「ん、おいしいに決まってる。あとはマヨネーズだな」
「わかる!コショウいっぱいかけていい?」
「いいよ」
遠慮なくマヨネーズも明太子も大量に乗せて、結人はコショウを振りまくる。コショウの量自体は構わなかったのだが、つられて鼻がだんだんむず痒くなってきた。
「はっ」
「え?」
「……――はっ……――っくち」
こらえきれずくしゃみが出てしまい、慌てて手でおさえ「ごめん」と謝ったが結人はなぜか隣でぷるぷる震えている。
「どうした」
「ッ――だって……くくっ、友晴さんっ……ふっ、ははっ、くしゃみかっわいいんだもん」
「っ……そんなことないだろっ」
「ある!かわいい!はっくちって言った!」
「――ッ……笑うなっ」
「ははっ、ごめん、むりっ……むりっ」
顔中熱い。結人の懐をはたいたがいっこうに静かになる気配もなく、周りの目も気になって結人の手を引いて屋台から離れた。しばらく人ごみの中を歩き続け、「友晴さん」と結人が繋いだ手を引っ張ってきた。
「まだ笑ってる?」
「ごめんなさいっ、もう笑ってないから!」
「……なに?」
笑いすぎて瞼に涙が溜まっていて、しょうがないな、と掌で頬を包み親指で拭いてあげたらきょとんと見返された。
「友晴さんってやっぱり照れる基準おかしいよね」
「……何の話?」
「んーん、なんでもない」
掌に擦り寄るように結人は首を傾げ、にっこり微笑む。わずかに熟れた頬の色にどきりとして、急いで手を離したが反対の繋いだ手は放してもらえず、結人にまた手を引かれた。
「まだまだ買いますよ!」
「……はいはい」
人と人との間を縫って二人で歩く。店先までは手を繋いだまま、そっと離してもまた繋ぐ。迷いのない結人の指先は優しすぎて、握り返さずにいられない。
たこ焼き、焼きそば、林檎飴。途中立ち止まっては交互にお金を出し合って買ったものを食べた。結人は毎度のごとく友晴に「はい」と差し出して食べさせようとする。
「なんだか餌付けされてる気がしてきた」
「そんなことないっ」
「ははっ、嘘だよ」
結人の差し出す林檎飴は大きすぎてほんの少ししか齧ることができなかった。友晴の噛み痕に被せるようにあんぐり大きな口を開けて林檎を齧るから、「わざとだろ」と笑ったら「わざとだよ?」と笑って返された。かなわないな、ほんと。
「友晴さん、あれあれ」
「まだ食べるの?」
「ん、これは外せない」
「はいはい」
すっかり子どもみたいにはしゃぐ結人を見て、そういえば彼はまだ高校生なんだったと思い出す。しょうがないなと着いて行くとカラフルな色合いが目に飛び込んできた。
「かき氷か」
「食べたいでしょ?」
「まあ、確かに」
「友晴さんどれがいいか当てようか」
「ははっ、なにその遊び」
「遊びじゃないよ?真剣だよ俺は」
何言ってるんだか、と思いながらじーっとシロップを眺める結人を微笑ましく見つめる。
「ん、やっぱりこれかな。苺シロップの練乳がけ!」
「本当に当てるしっ」
「正解?やった!」
もう何度となく食事をともにして、味の好みはすっかり熟知されている気がする。その事実がなんだかくすぐったくて「じゃあ僕も当てようか」といたずら心が芽生えた。
「うんうん、当てて?」
じーっと見つめられ「どきどきするからやめて」と言ったら「してほしい」と真剣な顔で言われて噴き出した。
「くくっ……もう……わかったわかった。結人はブルーハワイでしょ?」
「当たり!すごいっ、なんでわかったの?」
「そんなの、なんとなくだよ」
「うれしいっ」
そのまま抱きつかれそうになり、なんとか胸を押し返し、結人は渋々離れていった。
それでも結人はすっかり浮かれきって、屋台の店主に「苺とブルーハワイね!」と歌でも歌いそうな調子で声をかけている。
恋人の顔、子どもの顔、くるくる変わる表情は時に胸を高鳴らせ、時に安らぎを与えてくれる。
ああ、今僕は結人に夢中なんだな。ふっと浮かんだ想いに我ながら照れくさくて口元を押さえていたら結人が「友晴さん?」と顔を覗き込んでいた。ほら、さっきまで子どもだったのに、もう男の人の顔。
「かき氷買えた?」
「ん、買えた」
「もうそろそろ花火始まる頃かな?」
「わっ、ほんとだ、河原行こう!」
はい、とかき氷を渡されて、当然のように手を引かれた。周りを見てみると、確かに誰も友晴たちのことなんて見てはいなかった。みんなもうすぐ始まる花火に期待を寄せてじっと空を眺めるか、隣にいる家族や恋人と話に夢中になっている。すっかり陽も沈み、あとはその時を待つのみだ。
「ここにしよ」
「ん、そうだね」
河原には通り道以上に人が溢れていて、打ち上げ場所からだいぶ離れた場所まで歩いてようやく座れそうな場所を見つけた。座り込んでみると立っている時よりぐっと周りが暗く見える。
「かき氷溶けるから始まる前に食べよう」
「ほんとだ、もうピンクになってる」
「ははっ、そうだね」
苺シロップと練乳が溶けたピンクの山をひと掬い。溶けていてもやっぱり氷だ。口に入れたらきんっと頭に冷たさが響き渡り思わず「んっ」と唸っていると隣で結人も同じようにしていた。見れば結人の氷はもう半分もなくなっている。
「食べるの早すぎだろ」
「だってっ、もう時間ないかなって思って」
「まだ大丈夫だよ。あと十分ある」
「ほんと?」
「ん」
浴衣の裾に入れていたスマートフォンを取りだし画面を明るくすると十八時五十二分に切り替わるところだった。あと八分か。結人ほどではないがかき氷をなんとか流しこみ、冷たさに頭も舌もかじかんだ。そうそう、これが夏の味。
「ねえ、友晴さん、べろべってしてみて」
「ん?ああ、舌の色?」
「うん、ほら、俺は青色」
べっと結人が舌を出して見せる。これも子どもの頃やったなあ、と笑いながら友晴も舌をべっと出して見せる。
その瞬間、かぷっとその唇を食べられた。
「――ンッ……――んんっ――……」
食べられた舌をちゅうっと吸われ、絡めとられる。離れようと思っても、いつの間にか手の甲をぎゅっと押さえられていた。
「……――ンッ……――はっ……ゆ、みひとっ!」
かっと頬に赤みが差す。もう何度目だろう。
結人は吐息すら触れ合う距離でにっと笑っている。
その時、背後でひゅるる、と天高く、一本の筋が伸びていった。
ドンッ、という大きな音とともに、結人の背後でひとつめの大輪の花が咲く。
「友晴さん、真っ赤」
なにが、なんて聞けなかった。
「……花火、見なよ」
「ふふっ、ん、そうだね」
ぎゅうっと握った手は離さないまま、結人は前を向いてから、こてん、と友晴の肩に頭を乗せる。
どくん、と心臓が跳ねたのと、二発目の花火がはじけたのが同時で、大きすぎるこの鼓動が伝わらなくてよかった、とほっとした。
どん、どん、と次々に空の上に色とりどりの花が咲く。
周りの人の歓声と、時折聞こえる「たまや」の声。子どもがはしゃぐ声。乾杯、と酒を酌み交わす人の声。でも、そのどれよりも「友晴さん」と呼ぶ結人の声が鮮明に聞こえた。
「もういっかいキスしたい」
「……だめだ」
「えー……」
何を言われるのか、なんとなくわかっていた気がする。それに対してどう返事をするのかも。そして今から何を言うのかも。
ぎゅっと手を握り返し、大きな花火の音にまぎれて告げる。
「はやく、帰ろうか」
「……うんっ」
花火よりも友晴のことをじっと見つめてこようとするから「こら」と空を仰がせる。
あとすこし。あともうすこし。
この時間も大事にしたいから。
「あと十ね」
「いや、早すぎだろ」
「そんなに待てないよ!」
「……もうっ」
しょうがないな、と苦笑する友晴に、「だって来年また来ればいいよ」と花火のように鮮やかに、美しく、結人は笑った。
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