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その後キッチン・小森に出向いたのは三日たった水曜日のことだ。毎週水曜日は会社のノー残業デーで、決まって仕事終わりにはキッチン小森に向かう。お店へ着いたのはちょうどディナーが始まる十八時頃だった。
「こんばんは」
「白崎さん、いらっしゃい」
すぐに千代がカウンターから出てきて席まで案内してくれた。彼女はメニュー表を差し出し「今日のオススメはね」と言いかけて、そのままこちらをじっと見つめてきた。
「白崎さん、どうしたの、そわそわして」
「えっ」
千代の言葉にはっとする。
「なんだかさっきからきょろきょろして……」
「あー……」
自分ではそんなに気にしていないつもりでも、どうやら視線や雰囲気で落ち着きがないことが伝わってしまったらしい。
「もしかして、結人のこと?」
「は、はは……」
図星だった。
「まだ気にしてたの?そんな、いいのよ」
「や、千代さんがよくても、彼はすごく嫌そうだったので……僕に会いたくないかと思って……」
昔からもっとこうすればよかった、と悔いたことはなかなか忘れられなかった。特に人の負の感情に対しては過敏になっているところがある。ただ千代はそんなことを知る由もなく「いいのいいの」と笑っている。
「この前ちゃんと謝って下さってたじゃないですか。それでおあいこ。お客様に失礼な態度をとったのは事実ですしね」
「そんな、僕はべつに……」
「実際そうやって気にしてるじゃない?白崎さんじゃなかったら、もうここへは来て下さらなかったかもしれないわ」
「そんなことないです!ここにはみなさん料理がおいしくて来てるんですからっ――あ、すみません、大きな声出して……」
「んーん、いいんですよ」
店内にまだ自分しかいなくてよかったと心底ほっとした。でも、キッチン・小森に癒されている身としては主張せずにはいられなかった。
「白崎さんみたいないいお客さん、なかなかいないわ」
「そんな」
ね、あなた、と千代は繁人に微笑みかける。繁人も「そうだそうだ。ありがたいなあ」とうんうん頷いている。なんだか別の意味で恥ずかしくなり、それ以上何かを言うのは諦めた。かわりに差し出されたメニュー表に目を通す。
「あの、それで今日のオススメって」
「あら、そうだったわ」
「ごめんなさい僕のせいで」
「何をおっしゃいますか。私が先に余計なことを言ったんですから」
ね、と優しく微笑み、「今日のオススメはね」とメニュー表の最初のページに書かれたものを指さした。
「新じゃがのコロッケよ。しゃきしゃきの春キャベツも添えてあって、何個でも食べられちゃう!と、言っても一皿三つですけどね」
「はは。三つで十分ですよ。おいしそうですね。それにしようかな」
「はーい。少々お待ちください」
るんるんダンスでも踊り出しそうな様子で千代は引き返して行く。なんだか落ち着かなかった気持ちもやわらぎ、ほくほくのコロッケが出てきた時には空腹感であふれて他のことなど飛んで行ってしまった。
「おいしかった……」
しみじみと呟き、食後のホットココアを飲みながら窓の外を眺める。春の夜空にはまあるい月が浮かんでいて雲の流れもはっきり見える。
結局、今日は結人の姿は見ていない。なんとなく、また会ったら謝ろうと思っていた。きれいな顔が歪んでいく様を忘れられなくてもう一度言葉にすることで自分の中の鬱屈を払拭できるかもしれない、なんて彼にとっては迷惑な話だ。
昔の夢なんて見たから変に意識してしまったかな。もう二十年以上前の話なのに昨日のことのように鮮明に思い出せる。友晴の隣にいた彼らは忘れてしまっただろうか。たとえ忘れ去られていたとしても、自分自身はこの後悔とほんのわずかな温かい思い出をずっと抱えていくのだろう。
「ごちそうさまでした」
「はーい、またどうぞ」
外に出るとあいかわらずまあるい月があたりを明るく照らしていた。おいしいご飯を食べると心も体も満たされる。帰り道を歩きながら見上げた夜空もいつもよりきれいに見えた。
「あの」
「――っ」
はっと気づいた時には目の前に人が立っていて思わずびくっと後ろに後ずさってしまった。
「すみません。後ろから声かけても全然気づかないから」
「……いや、僕もぼーっとしてたから」
結人だった。どうやら物思いに耽っているうちに彼が近づいてきていたようだ。どれだけぼんやりしていたのだろう。つい先ほどまで頭の中に浮かべていた張本人が突然目の前に現れたので心臓が早鐘のように鼓動を打っている。
「今日はバイト休みじゃないの?」
「いや、ちょっと用事もあって今から」
「そうなんだ」
「それで、ちょうどあなたが見えたから」
追いかけてきたのか。言葉の通り彼はまだパーカーとジーンズという私服姿だ。結人は肩にかけていたトートバッグの中から何かを取り出した。
「これ、どうぞ」
「え?」
目の前に差し出されたのは、透明な袋と赤いリボンで可愛らしくラッピングされた手のひらサイズのお菓子だった。キッチン・小森のレジの横に同じように包まれたクッキーが並んでいるが、同じなのはラッピングだけでどうやら中身は違うようだ。
「プリン、かな?僕は別に頼んでないけど」
「いや、これ売り物じゃないし、俺が作ったので」
「そうなのっ?プリン作れるなんてすごいね」
友晴も料理をする方だがお菓子は作ったことがないので純粋に感心した。でも、結人は「そんなにすごくないです」と首を振る。
「だから、気にせずもらってください」
「いやいや、気にするよ。もらう理由がない」
「この前のお詫びです」
「いや、あれは僕が悪かったんだし、あの時謝ってくれたんだからおあいこだって千代さんも言ってたよ」
「ばあちゃんはそう言ったのかもしれないですけど、これは俺の気持ちなので」
胸に押し付けられいっこうに包みをさげる気配はない。もしかしたら彼も友晴と同じように心の中のもやもやをきちんと整理しておきたいだけかもしれない。
「わかった。じゃあ、受け取らせて。でも、僕からもきちんと謝らせてもらってもいいかな。僕も不躾なことを言って君を傷つけてごめんね」
「……ん」
静かに頷く様子を見て、やっぱりきちんと謝っておいてよかったと思った。たった一言でも、彼にとっては心に傷がつくような言葉だったのだ。
「これで本当におあいこね」
「はい。また、食べにきてください」
「もちろんだよ」
結人の最後の一言で彼が謝った理由は店のためだったのだろうな、と思った。祖父母を気遣うような優しいお孫さんだ。そんな彼だからこそ、きちんと許しあうことができてよかった。
結人は包みから手を離し、そっと友晴の手のひらの上に置いた。
「ありがとう。大事に食べるよ」
「……うん」
瞬間、彼の口角が少しだけあがり、唇がゆるやかな弧を描く。その様をきれいだ、と思ったけれど言葉は心の中にしまい、「またね」と友晴は別れを告げた。
「白崎課長、今日お弁当なんですね」
「ああ、たまにはね」
翌日、昼休みに社食で弁当を広げていると同じ部署の来田が隣に腰かけ弁当を覗き込んできた。
社食は安くて量のある定食を揃えていることもあり、毎日昼休みの時間になると若者であふれる。友晴は別に量を求めているわけではないが、わざわざ外に高いものを食べにいかなくてもいいかな、と思い社食を利用している。だから友晴が珍しく弁当を広げる姿が来田の目についたのだろう。
「恋人に作ってもらったんですか?」
にやにやしながら聞かれたので、すぐさま「そんなんじゃないよ」と否定する。
「自分で作ったんだ」
「えっ、えらい。俺なんて夕飯も外食か買って帰ってばっかりですよ」
「君はもう少し自炊しろ。体壊すぞ」
「はーい」
素直に返事をしながら、彼の定食は毎度お決まりの大盛りカツカレーだ。元気だなあと思いながら、せめてサラダぐらいは食べたらどうなんだ、と説教じみた言葉は飲み込んでおく。
友晴が弁当を作ったといっても入れているものは卵焼きや作り置きのハンバーグにプチトマトやブロッコリーを詰めた簡単なものだ。食堂では売っているもの以外も食べていいことにはなっているが、弁当まで作るのは本当にめったとない話で、わざわざ朝の睡眠時間を削って作った理由はきちんとある。
弁当を食べ終え、もう一つ開けずにおいておいたタッパを開いた。その中には昨日もらったプリンが保冷剤と一緒に入れてある。
「あれっ、課長デザートまであるんですか」
「何か問題でも?」
「いえいえ!」
なんて言いながら、来田はまたにやにやと「手作りですねえ」とこちらを見ている。こうなると思ったから弁当を作ったんだ。
社食の定食にタッパに入れたプリンを並べれば今よりきっと目立ってしまう。かと言って、昨日の夜帰宅してから食べるのも、今日の夜食べるのも憚られたのだ。もっと自分が若ければ夜でも気にせず食べていたのかもしれないが、何せもうじき四十路だ。カロリーが、ということもあるが、年齢故か単純に遅い時間に甘いものを食べると翌朝必ず胃がもたれるようになってしまった。だからキッチン・小森のチーズケーキも日曜日のランチのみと決めているし、仕事終わりにコンビニでスウィーツを見かけても、がまんがまん、となんとか自分に言い聞かせて耐えている。だから、昨夜もらったプリンは例外だった。帰宅後すぐに食べたい気持ちをおさえてタッパに移し替えて冷蔵庫にしまい、明日のランチで食べようと決めた。その結果、プリンだけでは目立つかも、と弁当まで早起きして用意したことなど誰も知りはしない。もちろん、隣で暢気にカツカレーを食べている部下も。
「おいしそうですね」
「あげないからな」
「誰もください、なんて言ってませんよ。課長が甘いもの大好きなの知ってますから」
「ぐ、それならほっといてくれ」
何を子どもみたいなやりとりをしているのだろうか。甘いもの好きなのは、以前女性職員とあのチーズケーキについて話している姿をこの部下に見られたせいで部署中に知れ渡っている。僕も実は大好きで、とうっかり話が盛り上がったのがいけなかった。それ以来は職場内のお土産の類はだいたい甘いものが選ばれ、課長から好きな物を選んでくださいね、なんて勧められる始末。ありがたい話ではあるが、なんとも恥ずかしい。だから、おいしそうなプリンをわざわざ持ってきて浮かれている姿など見られたくなかったのだが、今更だ。
はあ、とため息をつき、タッパの中からプリンを取り出す。プリンには何の罪もない。ありがたくおいしく頂くのが一番だ。
プリンはよく見るとカリカリの表面の焼きプリンで焦げ目がきれいな狐色になっていた。スプーンを押し込むとパリッと割れて中からとろっとやわらかいカスタードが溢れる。一口食べればとろける甘さが口いっぱいに広がり、これを幸せというんだな、と友晴はしみじみ思った。
「おいしそうですねえ」
「……来田、人が幸せに浸っている時に邪魔するな」
隣から向けられる鬱陶しい視線はこの際無視だと黙々とプリンを食べていたのだが、それでも来田は気にせず話を続ける。
「そのプリンも課長が作ったわけじゃないですよね?ということはやっぱり誰かからもらったんですよね」
「……」
返事をしないのに、食事を終えて暇なのか来田は喋りつづけている。
「だって、気になるじゃないですか。課長からそういう浮いた話って全然聞かないし、仕事一筋って感じで、甘いもの好きってこと以外プライベートもよくわかんないし」
「君に教えてやる義理もないよ」
「え~、けち」
「何とでも言え」
この手の話は今に始まったことではない。職場ではプライベートについてほとんど話したことがない。職場内では一人が好きだし独身の方が楽でいいんだよ、といつも返しており、今となってはそんな話を振ってくるのも来田ぐらいのものだ。来田も絶対に踏み込んでほしくないという一線は越えてこないので、こうして付き合っていられる。浅く広い人間関係というのは作ろうと思えば作れるものだと大人になってから知った。
「でも、なんか安心しました」
「え?」
突然何を言うのかと思えば来田はテーブルの上に頬杖を突き、にんまりと笑う。
「誰かは知りませんが、課長にもそうやって手作りのものをくれるような人がいるんだな、と思って」
想像よりずっと真剣な眼差しがそこにあり、なんだか心のおきどころがわからなくなる。
「……君は人をなんだと思ってるんだ」
「え?ん~、甘いもの好きの可愛い上司?」
「誰が可愛いだっ。人の心配してるぐらいだったら自分の心配しろ。彼女と別れそうなんじゃなかったのか」
「ぐっ、課長!いきなりシンラツ!」
泣きまねをする部下のことは無視して、プリンの最後の一口を掬う。ああ、もうこれで終わりだ。もったいないなあ。もっと食べたかった――いや、いやいや、でもこれでいいんだ。
「ふふっ、課長、なに百面相してるんですか」
「うるさいっ」
叱ったところで全く気にしていない様子の来田に苦笑がこぼれる。ただ、確かにな、とも思っていた。
他人から自分のためだけに作られた贈り物をもらうのなんていつぶりのことだろう。
ラッピングに使われていた透明の袋も赤いリボンも捨てられず、綺麗に畳んでリビングの棚に置いてある。このくすぐったいような、落ち着かないような不思議な感覚を今はなんだか持て余している。
「あ、白崎さん」
「……ああ」
結人のことばかり考えていたせいか、帰り道に近所のスーパーで買い物をしているとレジを出たところで結人に声をかけられた。ただ、声をかけられた瞬間すぐに言葉が続かなかったのは彼の服装のせいだ。
「君、高校生だったの?」
「え?そうですけど」
キッチン・小森で見かけた時、彼は店の制服だった。そして昨日声をかけられた時は私服だった。それが今、彼は詰襟の真っ黒な学生服を身に着けていた。パーカーを上着の中に着ているところがなんだか彼らしいな、と思ったが、そんなことより結人がまさか高校生だったなんて。
「大学生かと思ってた。髪も染めてるし」
「あー、これは、うちの学校結構ゆるいんで」
「そう、なんだ」
「確かにタッパはある方なんで私服だと大学生に間違われることはよくあるかな」
「そう、だよね」
本当によくあることのようで、彼は全く気にする様子はない。「ガキ臭くみられるよりかはいいんで」なんて笑っている。その笑顔は無邪気で服装も相まって年相応に見えた。
「それにしても、こんなところで会うなんてね」
「そうですね。でも、俺しょっちゅうここ使いますよ」
「えっ、僕もだよ」
「そうなんですか?それなら今までも会ってたかもしれませんね」
にこやかに言われて、「そうだね」と相槌を打ちながら、先程自分が考えていたことを思い出し何だか居たたまれなくなった。彼のことを考えていたせいか――なんてよくよく考えずともキッチン・小森が近所にあるのだから、そこでバイトをしている彼も近所に住んでいてもおかしくない。生活圏内が被っていても今まで顔見知りではなかったというだけだ。
「白崎さん、自炊するんですね」
会計を済まし、買い物かごに商品を移しながら意外そうに言われた。
「そりゃあ、外食ばっかりだと健康的にも経済的にもよくないからね――あ、別に小森さんとこの料理が不健康だって言ってるんじゃないよ。むしろ栄養のバランスもよく考えられていて、あんな風に作れたらなって思うんだけど」
「ははっ、そんな必死に言わなくてもわかるよ」
不意に敬語がくだけ、こぼれた笑顔にどきりとする。初めて会った日にきれいだと思わず言ってしまった彼の顔はやっぱり人並みより整っていて、睫毛は瞬きでぱしぱしと音を立てそうなほどに長い。窓ガラス越しに夕陽が反射して赤色の滲む瞳に吸い込まれそうだった。
「白崎さんはじいちゃんの料理のファンだからって、ばあちゃんもしょっちゅう自慢してます」
「わっ、そんなこと話してるの?」
「はい」
ただでさえ火照っていた頬がますます熱を帯びる。とてもまっすぐ彼の顔を見ていられず、視線を自分の買い物袋に戻し、気持ちを落ち着ける。
「白崎さんもこっちですか?」
「そうだけど」
スーパーを出てからも帰り道はどうやら同じ方向らしい。
「じゃ、途中まで一緒に帰りましょ」
「……そうだね」
断るのも変だなと思い頷いたものの高校生と会話をすることなんてないに等しい。いったい何を話したらいいのか。
沈黙が続く中、買い物袋がかさかさ揺れる。
「えらいね、家のこと手伝って」
「いえ、べつに」
結人が両手に抱える買い物袋の中には特売の卵や牛乳、セールになった肉、それから野菜がもろもろ入っていて、まるで主婦の買い物のようだった。この量を買って帰るところを見ると実家住まいなのだろう。
「俺の家、母子家庭なので、家事はほとんど俺がやってるんです」
「え、ああ、そうなんだ」
大変だね、と言いそうになって口をつぐんだ。だって、彼は別に悲しそうな顔もつらそうな顔もしていなかったから。まだ高校生で遊びたい盛りだろうに、彼の表情は春の鮮やかな夕焼け空のように明るくて温かい。
「部活動は?」
「んー、別にみんな入らないといけないわけじゃないし。俺には家のことがあるんでって学校の先生にも説明して、まっすぐ帰らせてもらってます」
バイトもあるし。と遠くを見つめる瞳はキッチン・小森のことを考えているのだろう。ぴんと伸びた背筋は彼の性格を物語っているようだった。
「それに、俺料理好きなんです。じいちゃんのことも尊敬してるし、料理一つで人のこと幸せにできるのってすごいなって」
「うん。僕もすごいと思うよ」
「でしょ。だから、将来はあの店継ぎたいってじいちゃんにも言ってるんですけど、お前には別の道もある、とか言ってくるから、料理うまくなって認めさせてやるって思ってます」
「そうなんだ」
彼もキッチン・小森のことが大好きなのだろう。そして、きっと繁人はきっと結人のことを認めていないわけではないような気がした。“別の道 ”と言ったのは、彼の可能性を広げてやりたいという思いやりからきているのだろうし、認めていないのであればバイトだってさせない気がする。ただ、それを友晴が伝えるのは違う気がして黙っておいた。
「あ、そうだ。プリン、おいしかったよ」
「わっ、本当ですか!やったっ」
「っ……」
ありがとう、という言葉をもう一度伝えようとしたのに、返された笑顔のまばゆさにプリンを口にした瞬間にあふれた優しい甘さを思い出し、まっすぐ彼のことを見ていられなくなった。
ごまかすように歩みを速めたが、もともと結人の方が歩幅が広いこともあり、わずかにできた距離はすぐに縮まった。
「俺もいつかスフレチーズケーキ作らせてもらうんで、食べてくださいね」
「え、今は作れないの?」
スフレチーズケーキといえば、キッチン・小森の人気商品だ。将来店を継ぎたいと思えば作りたいと思うのは当然だろう。
「作れない、わけじゃないんですけど、じいちゃんの特別なレシピは教えてもらえないんです」
「秘伝のレシピ、ってやつかな」
「そう!お前にはまだ早いって。だから今は他のものを練習中」
「ああ、だからプリン作れるのなんて “すごくない ”って言ってたんだね」
「そ。でもいつか教えてもらう」
「うん、僕もスフレチーズケーキ大好きなんだ」
「知ってる」
「えっ、あ、そうだよね」
当然のように肯定され、なんだか気恥ずかしかった。そういえば初めて会った時に千代が友晴は甘いもの好きだ、と言っているのを結人も聞いていた。
「僕も、結人くんが作ったスフレチーズケーキ、食べたいな」
「――……ん、ありがとう」
がんばれ、心の中に込めた想いが伝わったのかもしれない。結人は照れくさそうにはにかんだ。
結人が作ったスフレチーズケーキはどんな味がするんだろう。ふわふわのやわらかい生地がとろりと口の中でとろける様子はなんだか今の自分の心の中のようだ。
彼の横顔をそっと見ながらあふれそうになる言葉をごくんと飲み込んだ。
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