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 日曜日、約束の時間は十時だったが、朝六時には目が覚めてしまった。普段も休みの日だからといって寝すぎることはないものの、さすがに八時か九時までは眠っていることが多く、落ち着きのなさに笑ってしまう。昨夜も結人と日付が越える間際までメッセージを送り合い夜ふかしをしていたこともあり、朝食のパンをかじりながらふわ、とあくびが漏れた。  アラフォーのおじさんとの会話なんて楽しいのかなあ。友晴は疑問に思うばかりだったが、メッセージを送って来るのは決まって結人の方だ。昨夜もピロンといつもの音にスマートフォンを見てみれば一枚写真が送られてきていた。  ――『桜、咲いてました。五分咲きぐらいかな?もうじき満開ですね』  写真の枠いっぱいに桜の花が映っていて、空の青色と桜のほんのり赤みがかった白色のコントラストがなんとも美しかった。これだけ近くの写真だからズームして撮ったのかなとも思ったがそういえば彼はとても身長が高かったのだと思い出しめいっぱい腕を伸ばして撮ったのかなと思うと微笑ましかった。 「これでいいかな」  顔を洗い、歯磨きもしてあとは服装を、と姿見の前に立ってみる。といっても、普段は私服で何を着るかなんてさして意識もしていないので、リネンの白いシャツとグレーのカーディガンにジーンズという馴染の格好だ。いつもとどこが違うかといえば、強いて言うなら眼鏡を新調したことだろうか。  子どもの頃から視力が悪い方だったが、最近また度が合わなくなってきたのもあって久しぶりにフレームごと変えてみた。今まではスクエアの黒縁の眼鏡だったが、眼鏡屋の店員の勧めで形は変えずシルバーのハーフリムを買った。 「クロ、どうかな?変じゃない?」  にゃーと返事をするように足元でクロが鳴く。眼鏡の良し悪しどころか服装のことだって猫には判断できるはずもないのに相談相手がクロしかいないというのがなんとも切ないところだがいたしかたない。  今までより半分透けた視界がなんだか少し心許なかったが、今以上に容姿を変えるすべなど持ち合わせていない。  そもそも、こんなに浮かれて外出の準備をすることさえほとんど初めてのことで、これはただ、彼の買い物に付き合うだけ、と自分にたびたび言い聞かせた。  これが最初で最後だから。つい暗い顔をしてしまいそうになり、これでは結人に心配をかけると鏡の前で笑顔を作る練習をした。  スマートフォンがピロンと鳴って、いつもの白い犬が ――『おはようございます!』 と笑っている。外はすっきり晴れたいい天気だ。 「白崎さん!」  スマートフォンで何度も白い犬を見たからだろうか。かけ寄ってくる結人が大きな犬に見えた。待ち合わせ場所である駅の改札前には日曜日ということもあり人で溢れている。結人はネイビーのテイラードジャケットにゆったりとした襟の白のスウェットと黒のスキニーとレザーシューズを合わせていて、耳にはシルバーのリングのピアスをはめていた。ほんと、モデルみたいだな。  案の定見惚れているのは自分だけではなく、周囲の女性の視線が彼に注がれている。待ち合わせで立っていたのが友晴だとわかると、ほっとした顔をする者もあれば、どういう組み合わせ?と疑問を浮かべる者もあった。わかるよ。僕もなんで彼みたいな男の子と待ち合わせているのか自分でも不思議だ。  駅の周りには桜の木が何本も植えてあり、春風に吹かれてひらひらと花びらが舞い落ち結人の肩にも乗っていた。 「花びらついてる」 「ああ、ほんとだ」  指でつまんであげると「白崎さんもついてるよ」と髪の毛に触れられた。 「ほら」  髪の毛を撫でるように花びらを掬うと目の前にかざしてにこりと笑う。無自覚ってこわいな。 「君、モテるだろ?」 「え、なんで?」  前から思っていたことを口にしたら、結人は意外そうに目を丸くした。 「俺全然モテないですよ」 「ほんとに?なんというか、君すごくオシャレだし、女の子がどきっとしそうなことすぐするだろ?」 「白崎さんにはそんな風に見えるんだ」 「だってそうじゃないか」  モテないなんてことはないよなあ、と首を傾げていたら結人は「えっと」と急に黙り込んで照れくさそうに頭をかいた。 「なに?」 「いや、バレたかなあと思って」 「なにが?」  もったいぶるように言うものだから焦れて問うと「だから」と彼は頬をうっすら赤くして告げる。 「俺、今日白崎さんと出かけるから、と思って、バイト代半分今日の服買うために使ったんです。白崎さん大人だから、隣に並んでも恥ずかしくないようにって――っ、なんか自分で言ってて恥ずかしくなってきたっ」 「え、ええ……」  彼の発言をどう受け取っていいものか戸惑ったのと、自分と同じように彼が服装に悩んで一生懸命考えていたのだと思うと彼の薄紅色が伝播したように自分の頬も熱くなった。  結人は口元を手でおさえて「それで」と続ける。 「どきっとしそうなことって何?」 「えっ、ああ」  自分で言っておいて墓穴を掘ったなと思ったがもう遅い。 「さっき髪の毛についた花びらとってくれただろ」 「それ、白崎さんが先にしたんじゃん!俺の方がむしろどきっとした!」 「えっそうなの?」 「大人の男の人ってすげえなって思ったし、モテるんだろうなって俺のセリフなんですけど」 「……はあ、そうなの」 「そうです!」  全く予想もしなかったことを言われ開いた口がふさがらない。 「あと、眼鏡変えたでしょ?」 「ああ、よく気づいたね」 「わかるよ。いっつも見てるから」  またそうやってどきっとするようなことを言う。 「前のより、今の方が似合ってます」 「……それはどうも、ありがとうございます」 「ふっ、なんで敬語?」 「なんとなく」 「ふふっ、ははっ」  そのまま結人は笑い出し、「あーあ」と気の抜けた声を出した。 「なんか、俺達お互いに褒め合って何してるんだろ」 「確かに」 「でも、やっぱり白崎さんに相談して正解だったのかなって思ってます」 「そうかなあ?」 「そうですよ。大人の男、というのを俺も今日は学びます」  きりっと眉を引き締めて意気込んだが、友晴は不意に噴き出してしまった。 「え、なになに、なんで?」 「いや、だって、結人くん、あのスタンプにそっくりだから」 「スタンプ?……ああ、犬の?」  結人がすぐにスマートフォンを取り出し『キリッ』と効果音のついた白い犬を送ってきた。 「そうそう、これ。そっくりだよ」 「似てるかな?自分では全然意識してなかった」 「そうだったんだ。僕はてっきりそういうつもりかと思ってた」 「うーん……白崎さん、俺にモテそう、とか言っておいて、犬に似てるとかひどくない?」 「怒った?」 「怒ってないけど……拗ねてる」 「自分で言うなよ」  ははっ、と思わず笑ったら、すぐさま『ぷいっ』という効果音のついている頬を膨らませた白い犬が送られてきた。 「うん、そっくりだ」 「もう、白崎さんがそう言うから俺もそうかなって思ってきたじゃん」 「うん、そっくりだよ」 「もうっ……ふっはは」  二人して路上で立ったまま、ひとしきり笑い合った。こんな風になんでもないことで誰かと笑い合うなんていつぶりのことだろう。その相手が結人だなんて不思議だ。  やっぱり結人と一緒にいると癒される。千代が結人の明るさや優しさは才能だ、と言っていたが、その通りだなと思った。 「白崎さん、今日はせっかくなんで、電車乗ってちょっと遠出しませんか。遠出って言っても都内だけど」 「駅前で済ませるのかと思ってた」 「そのつもりだったんですけど、なんか楽しくなってきて。白崎さんが予定がなければですけど、いいですか?」  その質問に僕がノーと断るとは思っていないんだろうな。 「いいよ。幸いにも特に予定もないからね」 「やった!」  まあ、もとから予定なんていつもないんだけどね。結人が喜んでいるからいいことにしよう。 「じゃ、白崎さん、こっち」 「え」  ぎゅっと左手を握ってきたのは間違えようがない結人の右手だ。 「繋がなくてもわかるよ!」 「いいのいいの」  勢いに流されるまま周囲の人の視線も気にせず結人は手を繋いだまま歩き出す。改札を抜けるところで離そうとしたが、「こっち」とまた手を引かれた。  エスカレーターに乗りいつもより更に上の方から結人が笑う。 「なんか、かっこつけたくなって。でも、よく考えたら子どもみたいかな?」  無邪気な笑みがまぶしくて友晴は静かに「そうだね」と返した。 「君と僕となら親子だっておかしくないから、はしゃいだ子どもがこっちだよ、って言ってるみたいに見えるのかな」 「やっぱり?」 「ああ」 「そっかー……難しいな」  するりと繋がれた手が離れていく。つい彼の指先を目で追ってしまい気づかれぬように視線をそらした。自分で言っておいて落ち込んでたらどうしようもないな。  ホームに上がると結人はまた異性の視線を一心に集めていた。本人はと言えば全く気付く様子もなくぼんやり青い空を眺めている。黙っていればやっぱり高校生には見えないんだよな。そんなことを言ったら「黙っていればってどういうことですか」と言われそうで、心の中にしまっておくことにした。
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