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 電車で五駅、三十分程移動したところで下車した。本当にそんなに遠くない遠出だったが、普段の休みに電車を使うことすらない友晴にとっては新鮮だった。 「ここでよく遊ぶの?」 「よく遊ぶっていうか、俺の学校の最寄り」 「へえ」  そうか、確かにこの辺学校いっぱいあったな。学校の最寄なら地元以上に知り合いに会って気まずくなったりしないのだろうか。いや、そんなこと気にするのは僕だけか。 「それで白崎さん、どこを見たらいいと思いますか」  駅の目の前にある大きなデパートの中に入り、エレベーターの近くにある案内板の前で立ち止まった。 「どこを、と言われてもなあ。なにも考えなかったの?」 「白崎さんにおまかせするつもりだったので」  またそういうことを言う。 「自分でも考えなよ。君のお母さんだろ」 「それはそうなんですけど」 「お母さん、何か好きな物ないの?」 「ん~……うちの母親ほんと欲がないというか、自分のことは一番後回しなんですよね。いつも俺と弟のことばっかで」 「え、弟いたんだ」 「あれ?言ってなかったですか?」 「初めて聞いた」 「そうでしたっけ?今小学生なんですけど、こんぐらい」 「へえ」  結人が空中で自分の腰のあたりに手をかざす。小さいな。結人に似ているんだろうか。というかいつの間にか話が脱線している。 「えっと、それでなんだっけ。結局好きな物はわかんないってことだ」 「まあ、そうですね」 「とりあえずレディースのフロア上がってみるか」 「はい」  ちょうど降りてきたエレベーターに乗り、レディースのファッションフロアである七階のボタンを押す。フロアに出ると周りは当然女性ばかりで、結人の見た目だけではなく男二人で並んで歩いているだけで注目され、自然と足早になった。  周りをきょろきょろと見回しながら、結人が「あ」と不意に声をだし、ある店に吸い込まれていく。店内からは花の香りがふわりと流れてきて、蝶が引き寄せられるように友晴も結人の後を追った。 「いいにおい」 「そうだね」  結人が吸い寄せられたのは様々な香りが選べるハンドクリームやアロマグッズの店だった。 「お母さん、アロマ好き?」 「好きかどうかはわかんないけど、嫌いじゃないと思います。そういえば、前に同僚から入浴剤もらって喜んでたんで」 「じゃあ、ちょうどいいね」 「はい!」  ここにしよう、と決めて二人でそれぞれ店内を見て回った。すると少しもしないうちに女性の店員が近づいてきて「贈り物ですか?」と結人に声をかける。 「あ、はい。母親に誕生日プレゼントで何かあげたくて」 「そうなんですか。お母様もきっと喜ばれますね」 「そうだと嬉しいです」  結人が照れて笑うと目の前の店員だけでなく周りの女性客たちがぽおっと頬を赤く染めた。ほらほら、モテるって言ったじゃないか。でも、本人は声をかけてきた店員は置き去りにして友晴のもとに戻ってきた。 「あれ、店員さんにお勧め聞けばいいのに」 「だって俺は白崎さんに相談したいから」  こらこら。後ろの店員さんがこっちを恨めし気に見ているぞ。気づいているのか。いないんだろうな。 「わかったよ……えっと、これなんてどうかな?」 「わ、可愛い」  今眺めていたのは鮮やかな色とりどりの花が描かれた箱に入ったギフトセットだった。ボディソープとスクラブ、それからローションの三点セットだ。香りはジャスミン・ローズ・ラベンダー・アップル・オレンジから好きなものを選べる。値段も五千円弱できっと結人のバイト代でも買えるだろう。 「お試しされますか?」  すぐに先程の店員が声をかけてきたが結人が黙っているので、友晴が「お願いします」と言うと笑顔で五種類の香りのローションのサンプルを用意してくれた。 「どれもとってもいい香りなんですよ」 「結人くん、どれがいいと思う?」  友晴が声をかけると結人は「んー」と悩んでジャスミンとラベンダーの二種類を選んだ。 「たぶん、母さんはフルーツ系よりは花の方がいいかな」 「よし、じゃあ早速」  友晴がボトルを受け取ろうとすると結人の手が間に入った。 「白崎さん、手、出して?」 「え?」  結人は店員からサンプルのボトルを二つ受け取るとジャスミンを友晴の掌に、そしてラベンダーを自分の掌に出した。まあ、それぞれ試した方がわかりやすいか?と思い、友晴も自分の掌のを合わせてローションをのばして嗅いでみる。想像していたよりずっと優しい香りがしてリラックス効果が高そうだな、と思った。  結人はラベンダーの香りを嗅ぎながら、うーん、と考え込んでいる。 「どう?そっちは」 「ん、いい香り。たぶんさっきこの店入る時もこの香りに惹かれたんだなって思う」 「じゃあ、そっちがいいかな?」 「でも、白崎さんからもすごくいい香りがする」 「いい香りがするのは僕じゃなくてジャスミンのローションだよ」 「ん、ちゃんと嗅いでいい?」 「いいよ」  ほら、と手を差し出そうとしてそのまま手首をぐいっと引かれた。そんなに近づけなくてもいいだろう、というぐらい引き寄せられて彼の吐息が掌にかかる。店員さんも目を見開いてじーっとこっちを見るものだから居たたまれなくて手を引込めた。結人はさして気に留めず「うん!こっちがいい」と笑みを浮かべる。 「さっきはラベンダーの方がいいかもって言ってたけど?」 「うん、でもやっぱりこっちの方がいいかなって思った」 「そう。じゃあジャスミンにしようか」 「ん!買ってくるね」 「ああ」  相変わらず隣にいた店員のことは視界に入っていないようだ。変わった子だな。 「見て、白崎さん。バッグもめちゃくちゃ可愛い」 「本当だね」  入り口で待っていると会計を済ませた結人が寄って来てショップバッグを掲げて見せた。この春のオリジナルデザインらしく全体にピンク色で桜が描かれていた。 「いい買い物できました。白崎さんのおかげです。ありがとうございます」 「ん、よかったね」  最初はどうなることかと思ったが無事に買い物を済ませることができた。少しは彼の役に立っただろうか。約束をきちんと守ることができたかな。 「あの、白崎さん」 「ゆみくん!」 「え」  結人が何かを言いかけた時、背後から若い女の子が走り寄って来た。ゆみくん、というのは結人のことだろう。結人は振り返ると先程までの笑顔が嘘のように仏頂面になった。 「なに。俺今人と話してんだけど」 「……ごめん。最近見かけないから久々だなって思って」  結人の声にしゅん、と明ら様に落ち込んで、女の子の声はどんどんしぼんでいく。彼女はただでさえ小柄だが、結人の隣に並ぶとより小さく見えた。黒髪のストレートヘアーを上の方だけ編み込んでいて、俯くとネイビーのロングワンピースに髪の毛が落ちる様がなんとも綺麗だった。 「誰?」  二人の間に沈黙が流れ、耐え切れず友晴が問うと結人は「高校のクラスメイト」と静かに答えた。 「正確に言えば、今度クラス離れるかもしれないし元クラスメイト、だけど。俺の友達が仲良くて、休みに入る前に紹介された」 「へえ」  なんとも事務的な説明に聞いている友晴の方が気まずくなってしまう。予想通り女の子の方はしおしおと縮まっていき、見ていて可哀想なほどだった。 「で、今俺はこの人と一緒にいるから。もう行っていい?」 「……ん、わかった。またね」  女の子はなんとか笑顔を作り、去って行った。あとに残された友晴は気まずさを引きずったまま何を言うべきか悩んだが、沈黙に耐えられず口を開いた。 「よかったの?あんな風に言って」  なんだか責めるみたいな言い方になってしまい、しまったな、と思ったら案の定結人はむっとして、はあ、とため息をついた。 「よかったも何も、俺が白崎さんといるのわかってるのに話しかけてくるのが悪くないですか?」 「挨拶してきただけじゃないか」 「そうだけど、俺は邪魔しないでほしかった」 「……そうか」  ふいっとそっぽを向いて頭をぐしゃぐしゃと掻き混ぜる。なんだそれ。邪魔しないで、なんて。君はそれを言われた僕がなんて思うのか想像がつかないのか? 「ごめんなさい、白崎さん。またガキっぽいところ見せて」 「いや、別にそんなことは」 「あるよ。白崎さんにはカッコ悪いところばっかり見られるな」  あーあ、と結人はまたため息交じりに呟いて「行こう」と歩き始めた。どうしたものかな、と思いながら友晴も後を追う。  結人の後ろ姿を見つめながら、ふとショーウィンドウに映る自分達の姿を眺めた。何も知らない者から見れば、似ていない親子か親戚のおじさんと青年といったところだろう。友達でもなければ、ましてや恋人になんて見えやしない。そんなこと最初からわかっていたじゃないか。  結人はとても大人びている。でも、現実として彼は高校生で、さっき声をかけてきた女の子のような学生達と一緒に学校に通っている。  彼女はきっと結人のことが好きなのだろう。すぐにわかった。結人と彼女が隣に並んでいるのを見て、こういうのが普通なんだろうな、とつい考えてしまった。当然のことなのに現実を突きつけられて、あとわずかばかりの時間しか自分にはないのだと切なくなった。  朝から鏡の前で服装のチェックなんてして、なんだかデートに行く前みたいにそわそわして――そう、デートみたいだって思ったんだ。たった一度きりの想い出になれば、なんて、そんなことを友晴が考えていることなど結人は想像もしていないだろう。  ガラスの中に映った自分が冷静な顔で “現実をよく見ろ ”と見つめ返してくる。 「――さん、白崎さん」 「え」 「またぼーっとしてる」  いつの間にか立ち止まってしまっていたらしく、結人が「俺のせい?」と申し訳なさそうに眉尻を下げる。なんでそういうところは鋭いんだよ。 「君のせいじゃないよ。考え込むのは癖みたいなものなんだ」 「あ、やっぱりそうなんだ」 「やっぱり?」 なぜか結人はくすくすと笑っている。 「なに」 「ん、だって俺白崎さんがぼんやりしてるとこばっかり見てるな、と思って」 「……確かに」  言われてみれば初めて会った日も、プリンをもらった日もぼんやり考え事をしていた。しかも頭の中にいたのはいつも決まって結人だ。 「えっと、なんだっけ、春眠暁を覚えず?」 「違うよっ」  見透かすようなことを言ってきたかと思えば、的外れなことを言って笑わせる。そんなだから好きになるんだよ。  誤魔化すように笑って返し「あーあ」と先程の結人のようにわざとらしく声を出した。 「なんかお腹空いたな。繁人さんのご飯食べたくなってきた」 「あ!そのことなんですけど」 「ん?」  このままいつものように最寄駅まで帰りキッチン・小森へ向かうつもりだったが、結人はそうではなかったのだろうか。 「今日はじいちゃんとこじゃなくて、もう一か所一緒に行ってほしいんです」 「いいけど、どこ行くの?」  ちょうどいいタイミングでぐう、とお腹が鳴り「そんなに時間かからないならいいけど」と返すと結人は「大丈夫です!」と笑顔になった。 「これから行こうと思ってるのパンケーキが美味しいカフェなんで!」 「パンケーキ……?」 「実は、そのカフェ一駅先にあるんです!白崎さんそこのパンケーキ好きそうだなと思って」 「調べておいてくれたの?」 「はい!」  なんて元気な返事だろう。友晴が好きそう、と言いながら結人の方が楽しみにしているように見える。きらきらまぶしすぎる笑顔で、男二人でパンケーキを食べに行こうって?僕はこの笑顔に心底弱い。 「……わかった」 「やった!今日のお礼におごらせて下さいね」 「え、いいよそんな」 「それじゃ俺が納得できないんですよ!……と言ってもそんな高いものじゃないんですけど」  へへ、と後頭部を手でかきながらはにかむのがまた可愛い。わざとやっているんじゃないだろうな。違うか。 「じゃあ、お言葉に甘えておごってもらおうかな。そこってご飯も食べられる?」 「はい。パンケーキだけじゃなくてパスタが美味しいんです」 「へえ。じゃあ、パンケーキは君におごってもらうとして、ご飯代は僕が出すよ」 「えっ、いいですよそんなっ」 「それじゃ社会人の面目が立たないんです」 「え~それじゃ結局お礼にならないし」 「なるから。十分だよ」  流石に全部結人におごらせるのは大人としてどうかと思う。譲らないぞ、と身構えていると、結人は渋々「わかりました」と頷いた。 「また今度、お菓子作ってあげますね」 「無理にプラマイゼロにしようとしなくてもいいんだよ」 「そんなことないです!俺がお菓子作るのは料理の修行の一環なので。味見してもらって俺も助かるし」 「そうかな」 「そうですよ」  またうまいこと丸め込まれた気がする。だが、これ以上はきっと引かないだろうなと思い「それでいいよ」と友晴も渋々頷いた。  結人に連れられて行ったカフェはパスタもパンケーキも本当においしかった。友晴はシーフードパスタを頼み、結人はモッツァレラチーズをめいっぱい使ったトマトスパゲッティーを頼んだのだが、結人が友晴の分も食べてみたいと言うのでお互いのものをシェアして食べた。パンケーキも苺たっぷりのものとオレンジのものを頼んで二人で食べて、予想通り周りの女性客の視線を集めたが、もう気にしないことにした。 「あー、おいしかった!」 「ん、想像以上だった」 「ね。白崎さんが好きそうって思ってたけど、むしろ俺の方が夢中になってました」  トマトスパゲッティーがあまりにおいしくて、口元にトマトソースを付けていたのを思い出し、ふっと笑うと「なんですか」と結人がすぐに問うてきた。 「いや、その通りだなあと思っただけ」 「おいしいものは世界を救うのでしかたないです!」 「なにそれ」 「じいちゃんの持論」 「ははっ、間違いないね」  春の夕暮れの中を駅まで笑いながら並んで歩く。ふわふわと春風みたいに結人の声は心地よくて、いつまでだって話していられる気がした。  駅のホームは朝よりも人で溢れていて、頭ひとつ飛び出ている結人はまた女性達の視線を集めていた。それでも彼はまったく気にする様子はなく「そういえば」とスマートフォンを出して画面を友晴に見せてきた。 「可愛いでしょ。野良猫なんです」 「ああ、ほんとだ」  画面の中には日向でごろんとお腹を出して寝っころがっている白猫がいた。野良にしては警戒心が薄く人懐こい。 「通学路で見つけてはじめは全然近寄れなかったんですけど、毎日構ってるうちに懐いてくれて」 「へえ、それは可愛いね」 「白崎さんにもいつか見せたいな」  画面の中を見つめながら結人は楽しそうに将来のことを話す。  また今度のお菓子のお礼も、いつかの通学路の野良猫も、友晴にとっては夢の話のようだ。  約束、守れたよな。自分を頼って相談してくれて、お礼だなんて言って幸せすぎる時間をくれた。結人は最後のさいごまで友晴がご飯代を出すのを渋っていたが正直そんなもの些細なことで、むしろそれぐらいじゃおつりがいくらあっても足りないぐらいだ。  結人が野良猫の写真を何枚もスライドしていくのを見つめながらこの写真にもこの時間にも終わりがくることを知っている。  さみしい、なんて思ったらだめかな。思うぐらいならいいかな。来週からどうしよう。  また考え込んでいるうちにあっという間に最寄駅まで着いてしまった。 「白崎さん」 「ん?」  さよならを告げようとしたら、結人はまた友晴の右手を引き、そして掌に小ぶりな紙袋を握らせた。昼間彼の母親への贈り物を買った店の袋だった。 「なにこれ」 「お礼」 「え?お礼って、さっきパンケーキおごってもらったじゃないか」  人が何のためにご飯代出すって譲らなかったと思って。言い返そうとしたが、結人は紙袋の紐を握った友晴の手をぎゅっと自分の掌で包み、離そうとしない。 「だって、白崎さん絶対ぜんぶおごらせてくれないと思ったから」 なんだ、そんなことまでお見通しなのか。 「あと、単純にこれ白崎さんに合うだろうなって思ったから」 「なに買ったの」 「それは帰ってみてからのお楽しみ」  ぎゅっと彼の掌が紙袋を持つ友晴の手に力を込める。そして、すっと手を離すと「それじゃ」とすぐに走って距離をとられてしまった。 「またね!白崎さん!」 「……ああ」  ぶんぶん、長い腕を振り、「バイバイ」と結人が笑う。  沈みかけた夕陽のオレンジ色に照らされて桜の花びらがひらひらと結人の周りを舞い落ちていく様は映画みたいに美しかった。  さよならは言わせてもらえなかった。  帰宅して紙袋を開いてみると、手のひらに収まるほどの小さなコロンの箱が入っていた。香りは結人が試していたラベンダー。箱を取り出すと、紙袋の中からぽとりと一枚のメッセージカードが出てきた。  ――『今日は本当にありがとうございました。ささやかですが、白崎さんにぴったりだなと思ったので贈らせてください。今度うちの店来るときは着けて来てくださいね。約束ですよ。 結人』 「あー……もう」  ソファの上でメッセージカードを握りしめたまま頭を抱える。クロがぴょんっと膝の上に乗っかってきて、どうしたの、とでも言いたげに見上げてくる。 「困ったな」  あふれた声にはさみしさも悲しさもかけらもない。彼が奪い去ってしまったから。  僕はまだ君の近くにいてもいいんだろうか。新しい約束を守ってもいいのかな。  またこんなはずじゃなかった、と後悔しないだろうか。  ぐるぐると思考を巡らせていると、ピロンといつもの音が静かな部屋に鳴り響いた。結人からのメッセージだった。  ――『ゆびきりげんまん』  スタンプの白い犬がいつになく無表情だなと思っていたら、びくっと飛び跳ねてばたん、と倒れてしまった。  ――『こうなります』 「ふっ、ははっ」  なんだそれ。  ――『針千本飲んだの?』  ――『飲んだらこうなるんですよ!』  すぐに返事が返ってきて笑みがこぼれた。参ったな。負けたよ。  ――『また今度ね』  ――『はい!お待ちしております!』  ピロン、と鳴って『おやすみなさい』と白い犬が布団の中にもぐってしまった。  おやすみ。よい夢を。  僕の夢は、まだしばらく覚めませんように。
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