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書き上げたストーリー
ようやく書き上げたんだ、ストーリー。持って来たよ。
ほら、一緒に作ろうと言ってたよね、君と僕で。
君に話し掛けても、答えは返って来ない。
ほんと、ほんと、あの時はごめん。書けなかったんだよ、物語。
えっ、今、何て言った? よく聞こえない。
僕は耳を澄まして、君の声を聞こうとする。
信じてもらえないかもしれないけど。
あの時、僕は君に夢中で、君のことで頭がいっぱいで。何も浮かばなかった。言葉が出て来なかった。言い訳?そう言い訳かもしれない。そりゃ、書こうと思ったさ。なんとか言葉を絞り出そうとしたさ。
でも、駄目だった。
僕は、今度は話しかけるのではなく、独り言をつぶやき始める。
あの日、画廊からの葉書が届いた。君の個展についてのお知らせだった。
それからの日々。
僕はこれまでが嘘であったかのように、どんどん物語が書けるようになった。そうして、君が待ち望んでいたストーリーも完成することができた。
穏やかな春の日差しが丘の下にある街とその向こう側に広がる海を光りで充たしていた。遠く水面を銀色のベールが覆って、ゆっくり上下に揺れているように見える。
海から時折強い風が頬に吹き付けて、その度僕は息を飲んだ。
風に吹き消されて、君の匂いは感じられない。後ろから両腕で抱きしめる時、君の髪から取れたてのレモンに鼻を近づけて嗅いだ時のような、そんなほのかな甘酸っぱい香りがしたものだ。目を閉じて、君の笑顔を思い出そうとする。
あぁ、どんな顔だったか、どんな可愛い顔だったか?
僕は、リュックから書き上げたばかりの原稿を取り出し、その一字一字を瞬きもせずに追いかける。
ようやく書けたんだよ、ほら、このとおり。
一緒に絵本を作ろうって、約束したよね。君が絵を描いて、僕がストーリーを書いて。
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