生き地獄

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生き地獄

 ここはあるテレビ局。バラエティ制作班のオフィスにて無念のうちにここを去る男がいた。名前は「小次郎」、バラエティ制作班のアシスタントディレクター(以下AD)だった男である。「小次郎」と言う名前は苗字からくるあだ名である。小次郎がテレビ局にいた数年の間で本名を呼ぶ者は誰一人としていなかった。小次郎は小学生の時から苗字のせいで嫌な思いをしておりこの名前で呼ばれることを拒否したのだが、テレビ局のスタッフは案外ガキが多いのか、名前は小次郎で固定されてしまった。小次郎から言わせれば「変なあだ名をつけるイジメ」にも等しい行為であった。テレビ局に入ったばかりのまだ右も左もわからない青い新人だった時に上司とそのことで揉めたのだが、上司はヘラヘラと笑いながらに 「名前でイジってもらえるって幸せなことだぞ。感謝しろよ」と、宣う。 ああ、この人達は「イジり」と「イジメ」を同一視している。イジられることは構ってくれている、いや、構ってやっているありがたい行為なのだと思っているんだなと小次郎は察するのであった。 イジりはお互いに信頼関係があってこそ成り立つものである。しかし、小次郎とテレビ局スタッフ達の間には信頼関係なぞ存在しない。小次郎はそれを受け入れて笑う気はない。小次郎が嫌がっていると言うのに小次郎と呼ぶことはイジメそのものであった。小次郎を小次郎と呼んで笑うのはテレビ局のスタッフのみ、小次郎と呼ぶ方はイジりでしかないが、小次郎にとってはイジメである。 これだけで言うと小次郎の器量が小さいだけの話に聞こえるし、実際にそうなのだが、小次郎と呼ばれることを心から嫌がる小次郎からすれば大変な問題である。 ちなみにであるが、このテレビ局は小中学生のイジメ自殺を報道する際に「イジメとイジり」の違いをタレントやコメンテーターに言わせている。 彼らはさも「例えイジりでも本人が思えばイジメになるんです」と、イジメられる側に立ったようなことを宣うが、言わせているテレビ局側がそれを分かっていないし自覚すらしていない。現在進行系でイジメをイジりと称して下っ端のADや売れないタレントに行っているのである。 理由は「面白いからイジる」のだろうか。 この現状をよく知っている小次郎からすれば「お前が言うな」と声を大きくして叫びたい気分であった。
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