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第3話 地味なあいつはじゃじゃ馬だった?
時刻はまもなく15時を迎えようとしている。
古堂は、蘆岳駅前にあるハンバーガー店の窓際席で遅めの昼食をとろうとしているところだった。
「あー、しんどい」
ハンバーガーのセットが載ったトレイをテーブルに置き、古堂は糸の切れた操り人形のように力なく座席に着いた。
上級生をブチのめした後、何食わぬ顔で帰路に就こうとしていた古堂は生徒指導の教師に捕まって2時間もの間、彼女の叱責を受けていた。この4月から幾度となく学校で小さなトラブルを起こしてきたが、今回ほど派手にやらかしたのは初めてのことである。
停学または退学処分が下されてもおかしくはなかったにもかかわらず、厳重注意で済んだのは御の字だと言えよう。騒ぎの一部始終を見ていた生徒たちの証言により古堂の情状酌量が認められたことと、病院送りには至らなかった上級生らのタフさのおかげである。
「俺の高校生活、こんなはずじゃ……」
顔を合わせれば軽薄なあいさつを交わし、他愛ない雑談に花を咲かせる――自分はただ、そんなごく普通の友だちが欲しいだけなのだ。それなのに、なぜクラスの連中はそれを理解しようともせずに自分を避けるのか? 確かに自分は強面だし、気も短い。しかし、それはあくまで1つの側面にすぎないではないか。
不理解がさらなる疎外感を生み、それが蓄積したところで感情が爆発する。この3ヵ月、古堂はそのスパイラルにすっかり飲まれてしまっていた。
古堂は苛立った様子でハンバーガーにかぶりつき、フライドポテトを口に詰め込み、コーラで流し込んだ。それらがないまぜになって古堂の疲れた体に染み渡っていく。栄養価の高くないジャンクフードだがエネルギー源に変わりはない。腹が満たされていくにつれて古堂は疲労感や苛立ちがほんの少し薄れるのを感じた。
「ん?」
何気なく見た窓の外。視線の先には古堂のよく知っている歳上の男子生徒がいた。
ファッション雑誌のモデルをそっくりそのまま真似たようなキザな服装をした、淡い茶髪の優男。古堂と中学時代から付き合いのある真島新八である。
「マーシー?」
その隣にいたのはパステルピンクのスカートをはいた見知らぬ少女だ。年恰好はは古堂たちと同じくらいで、垢抜けた雰囲気を漂わせている。
どうやら彼らは路上で2人組のガラの悪い男に呼び止められているらしい。古堂はじっとその様子を観察していた。どうも道を尋ねられているわけではなさそうだ。最初は穏やかだった雰囲気が次第に剣呑なものに変わっていっていることは、遠目に見ても明らかである。
「何やってんだ、あの野郎」
緊迫よりも真島に対するじれったさが募る。情けないやつだ。2、3発殴って追い払ってやればいいのに。
そんな古堂の苛立ちをよそに、真島はただ笑ってやり過ごそうとするばかり。平和主義者と呼べば聞こえがいいが、古堂に言わせればただの腑抜けだ。
しばらくそうした状況が続いた後、ついに2人組が実力行使に出た。片割れが乱暴に少女の手首を掴み、ビルの裏手へと引きずっていく。それを制止しようとした真島ももう1人の男により少女と同様に連れていかれてしまった。
「なんで俺にはこういういざこざが降りかかってばっかりなんだよ!」
チッ、と小さく舌打ちしてトレイも片付けずにハンバーガー店を飛び出す古堂。手前の女1人守れない、守ろうともしない真島など助ける義理はない。自分は元不良の血に触発されて荒事に首を突っ込もうとしているだけなのだ。古堂はそう己に言い聞かせて奥歯を噛みしめた。
真島たちがいたのは車道を挟んだ反対側の歩道だ。そちら側へ渡るための横断歩道は忌々しいことに赤信号で閉ざされていた。この車道は片側二車線で交通量も多く、車の切れ目を狙って渡ることもできそうにない。だが、ここで悠長に足踏みしていては2人の身に危険が及ぶ。
「……あんまりやりたくはねぇけど仕方ねぇ」
古堂は軽く助走をつけ、力強くアスファルトを踏みしめて跳躍した。ひゅう、と風を切り裂き着地した先は走行中の軽トラックの荷台。そこから同じ要領で立て続けに素早く3台に飛び移り、池の飛び石を渡るがごとく向こう側へ降り立った。
「待ちやがれ、コラァ!」
真島たちが消えていった細い路地裏に駆け込んだ古堂が見たのは、倒れ伏した真島と服をはだけさせた少女。彼らに乱暴を働いたガラの悪い男たちがこちらを睨む。
「古堂!?」「古堂くん!?」
真島と少女の声が重なる。真島はともかく面識のないはずの少女に名前を呼ばれたことに古堂は少々困惑を覚えたが、ひとまず男たちを追い払うことを先決とした。
とにかく今の自分は機嫌が悪い。再起不能にしてやろうか、などと古堂は思ったがギリギリで踏みとどまる。代わりに手近に垂れ下がる廃屋のシャッターにくっきりと拳の跡をつけて威嚇することで男たちをあっさりと退却させた。
「ふいぃ。助かったぜ。ありがとな、古堂」
心底安堵した様子で立ち上がろうとする真島に、古堂は手を差し伸べる。
「しっかりしろや。ゆっくり昼飯も食えやしねぇ。ところであの女、お前の彼女か?」
古堂が気だるそうに親指で指した先では、例の少女が乱れた服をせっせと直しているところだった。真島はしまったと言わんばかりにそちらへとすっ飛んでいく。
「キャップー! 大丈夫っすか!」
キャップって帽子か? 変なあだ名だな、などと古堂が思っていると、不意に乾いた音が静かな路地裏に響き渡った。突然のことで理解が追いつくのに少し時間がかかったが、どうやら真島が少女に平手で頬を打たれたらしい。
「痛いっす! マジ痛いっす!」
「大丈夫じゃないわよ! すごい怖かったんだからね!」と涙目で訴えかける少女。
この聞き覚えのある高い声と、脳内にある情報を照合した結果、古堂の頭にあるクラスメイトの名前が浮かんだ。が、その人物と目の前にいる少女とでは、外見的特徴にいささか差異がある。
「お前、もしかして藤宮夏未か?」
自信なさそうに古堂が尋ねる。古堂の知っている藤宮はメイクなどしないし、着飾らない。女を意識させる華やかさと彼女は無縁だ。そして何より、こんな風に取り乱すことのない、冷静にして厳かな少女のはずだ。
「古堂くん、ありがとう。さっきの人たちにナンパされて、断ったら乱暴されて」藤宮は深々と頭を下げて謝意を表し、「あのね、古堂くん。学校外で私に会ったことはクラスの皆には黙っておいてほしいの」
「やっぱ、藤宮か」化粧や服装が違うだけで女は化けるものだな、と古堂は驚嘆する。「心配すんな、そんなくだらないこと吹いて回りゃしねぇよ」
裏の顔を皆に知られたくないのだろうか? 古堂は鼻で笑った。釘を刺さずとも自分には噂を吹き込む相手などいないのだから。
じゃあな、と古堂が踵を返そうとしたそのとき、突然藤宮がよろめいて転倒しかけた。
「あっ、キャップ!」
ぶたれた頬を押さえていた真島が飛び出すが、間に合いそうもない。
「まったく、世話の焼ける」
古堂が人間離れした瞬発力を発揮し、仰向けに倒れかかった藤宮を背後から抱き留める。レースブラウス越しに伝わる柔らかな背中の感触と、鼻孔をくすぐる柑橘系の香水の仄かな香りに古堂は思わず顔を赤くした。
「重ね重ねありがとう」
のけぞって上下逆になった藤宮の顔が古堂の目に映る。と、そこで古堂は怪訝そうに目を細めた。
「お前、目ぇ真っ赤だぞ。しかも黒目の部分だけ。大丈夫か?」
「えっ?」
藤宮はぽかんとしていたが、古堂にはその理由がわからない。やがて、肩を震わせていた真島が我慢できずにとうとう吹き出した。
「アーッハッハッハ! 面白いな、古堂は」
「真島、てめぇ! 何がおかしい」
藤宮をそっと立たせ、真島の胸ぐらを掴みかからんとする古堂。しかし、真島に続けて藤宮も笑いだしたことでその足を止めて振り返った。
「フフフッ。古堂くん、これカラコンよ。充血してるわけじゃないわ」
「から、こん?」
素っ頓狂な声を上げ、間抜けな表情で固まる古堂。その様子がよほどおかしかったのか、2人は再び抱腹絶倒し始める。
「てめぇら、いい加減にしろ!」
「ごめんね。でも、意外だったわ。古堂くんって優しいのね。いつも不機嫌そうだし、たまに暴力も振るうし、怖いイメージしかなかったわ」
「こいつ、実はいいやつっすよ。中学の頃から一緒の俺が保証します」
真島はそう言って下級生の女子生徒に恭しく一礼などしてみせた。
「……お前ら、何が言いたい?」
腹に一物ありそうな2人を訝しそうに古堂は見つめた。元不良の勘が告げている。こいつらはきっとろくなことを考えていないぞ、と。
真島と藤宮は互いの目を見合って頷く。
「古堂、お前さえよければなんだけど――」
「――私たち“SUS”のメンバーにならない?」
夏もいよいよ本番を迎えたこの日。続くと思っていた古堂の平凡な日常はこの日を境に大きく動き出す。
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