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月の光の下であなたと出会う・2
注文したパスタとサラダがテーブルに並ぶと、私たちは無言で食事をした。水元さんは食事中に会話をしないのがモットーなので、私もそれにならっている。
食べ終えると、セットのコーヒーが運ばれてきた。
「そうそう、近江さん。多分私、言ってなかったと思うんだけどね」
まるで雑談の始まりのように、水元さんが切り出した。
「私、恋人を亡くしたことがあるんだ。近江さんと同じ病気で」
心臓がどきりと脈打つのがわかった。それは全く初めて聞く話だった。
「結婚しようって言われてたから、晴天の霹靂でね。正直、もうこの世から暇をもらおうかと思ったくらい辛かった。その人がいない寂しさを乗り越えたら、今度は自分を責めるんだよね、人間って。毎日その人の夢を見て、眠れないの」
だから、水元さんは私に優しかったのだ。
「今はこうして話せるようになったけど、十年くらいかかったかな」
「そうですか……」
もしかしたら水元さんは、贖罪のために私と一緒にいるのだろうか。私がここからいなくならないように、手を掴もうとしてくれているのだろうか。
一瞬の間に色々な可能性が頭をよぎる。他人には期待しないと決めていたはずなのに、私は随分身勝手なようだ。
「今までありがとうございました」
空のコーヒーカップをテーブルに置く。
「私を見るたびに辛かったんじゃないですか? それなのに良くしてくれて……」
「近江さん。私がこの話をしたのは、母親と親友、そしてあなたの三人だけなの」
「え?」
「今話したのは、近江さんに聞いてもらいたかったからだよ」
水元さんの本心がわからず、私は首を傾げた。
「これだけは覚えておいてね。私は近江さんといるのが本当に楽しいの。最初は罪滅ぼしのような気持ちもあったかもしれない。でも、今は違う。もしどこか遠くに行きたくなったら、必ず私のことを思い出して欲しい」
「でも、それじゃあ、水元さんの負担になりませんか?」
「友だちのことを負担だと思う人間はいないわよ」
「そうですか……」
水元さんは猫舌なので、まだコーヒーカップを手に持っている。
「私、もし好きな人がいなかったら、水元さんのこと好きになってたと思います」
「ふふ、ありがとう。でも、私とつき合うのはかなり面倒くさいと思う」
「今は好きな人もいるし、そんなに遠くへ行きたいと思うことはないです」
「うん、わかってる。本題のためにどうしても知っておいて欲しかったんだ」
「本題ですか?」
「近江さん、好きな人がいるんでしょ? これが本題」
「はい、います」
「病気に遠慮して、何もできずにいるんじゃない?」
あまりにも的の中央をついてくる水元さんの台詞。私はただ首を上下に振って肯定するしかできない。
「ちゃんと相手にぶつかってみて。後悔するよりずっといいから」
「見ているだけで十分というか……」
「もし一歩踏み出したくなったら、言ってね。手伝えることがあるかもしれないし」
「はい。今のところ、リサーチくらいしかできることがないんです」
「相手のことを知りたいと思うのが、恋の階段一段目でしょ」
突如飛び出した水元さんの名言に、私は思わず笑ってしまった。
三
次の英会話教室のあと、私たちは教材の後片づけをしていた。
「ありがとう、近江さん、水元さん」
晴れた空のように青い瞳のブラウンさんが、笑いながら言う。
「どういたしまして。いつでも手伝うから」
ブラウンさんが日本語で話すため、水元さんも日本語だ。
「ブラウンさんは、もう日本にきて長いんでしょ?」
「はい。もう十年です」
「一番好きな場所って、やっぱり北海道?」
「はい。雪もたくさん降るし、北海道の冬が好きです」
水元さんは立て続けに質問を繰り出している。
「そうなんだ。恋人はいるの?」
「いません。でも、好きな人がいます」
「そう。実は近江さんも好きな人がいるの。ね、近江さん」
突然会話をふられてしまい、私は動揺した。
「あ、はい。います……好きな人が」
私へと視線を移したブラウンさんが口を開きかけたとき、
「ブラウンさん、ちょっといいですか」
入り口から顔を覗かせたのは、公民館の宿直のおじさんだった。
「はい、今行きます。二人とも、ありがとうございました」
丁寧に頭を下げると、ブラウンさんが出て行く。
「帰ろうか、近江さん」
「はい」
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