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礼実は大して驚かなかった。
人ならざる者との会遇なんて日常茶飯事だ。寧ろ見かけない日はない。
例えそれが自室で、しかも夜中で真っ暗でも、いちいち反応してやる義理なんてない。いつもなら、無視していればもう一度眠るまでの間にはいなくなる。
だが、この日はいつもとは少し違った。
「百瀬さぁん……」
その幽霊がクラスメイトだったのだ。
水沢麻耶は、誰もが羨む"特別な人間"だった。容姿端麗、成績優秀、明るくて温厚な性格。正に非の打ち所のない完璧な人間だ。彼女に憧れる人は多かった。それに比例するように、彼女を妬む人も多かった。彼女に媚びる人もいれば、わざわざ聞こえるように嫌味を言う人もいた。"特別"だったからこそ、色んな感情を向けられている人。そういうイメージだ。
とはいえ、礼実の知るところでは特に大きなトラブルはなかった。
あの事件が起こるまでは。
礼実はか細く呼び掛けるその声にそっぽを向いて目を閉じた。
「ねぇ百瀬さん、百瀬さんってば」
知り合いだからって取り合う必要なんてない。別に仲が良かった訳でもないのだから。
「百瀬さん、私のこと視えてるよね?」
一瞬、ギクッとしてしまう。
「こないだ教室で目が合ったの、覚えてない?」
勿論、覚えている。周囲が悲しみに暮れる中、オロオロと困り果てていたのがおかしくて、ついつい凝視してしまったのだ。目が合った時はしまったとは思ったが、まさか家まで着いて来るとまでは予想していなかった。
「視えてるし、聞こえてるよね?ねぇ、どうして無視するの?」
煩いなぁ。たまらず布団に顔を埋める。早く諦めてくれと願いながら。
暫くの沈黙。やっと諦めてくれたか、なんて思っていた矢先のことだった。
「これ以上無視するなら、百瀬さんのこと呪うね」
随分と物騒な言葉と共に身体にずっしりとした重みを感じる。まさかと思い目を開けると、水沢麻耶が礼実のお腹の上に馬乗りになって跨がっていた。
「百瀬さんだけじゃない。家族のことも呪うよ。そんなこと出来る訳ないって?出来るからね。あと十秒経っても無視したらホントに呪うから」
こんな台詞と共にカウントダウンが始まった。礼実はというと、もう我慢の限界に達していた。が、気にするなと言い聞かせまた目を瞑った。これを無視出来ればいい加減諦めるだろう。
「十!九!八!七!」
かなり元気なようだ。さっきまでのか細くて力ない声は演技だったのだろうか。
「六!五!四!」
あんな事件があった後だというのに、どうしてこうも元気でいられるのだろうか。いや、あんな事件があったから頭がおかしくなったか。
「三!二!」
礼実は至って冷静だった。このラスト二秒に到達するまでは。
「……ヒッ!?」
首もとにヒヤリと冷たい感触。思わず目を開けると、そこには礼実の首を締め付けるように手を這わせる水沢麻耶の姿があった。
もう、堪忍袋の尾は切れた。
「いい加減にしろ!」
礼実はそれを手で振り払うと、ベッドから勢いよく起き上がった。
「百瀬さんって本当に霊感強いんだね」
水沢麻耶はフワフワと真上に浮かび上がっていた。スラッとした長い脚、真っ黒のなロングヘア、目鼻立ちの整った美しい顔。いつもと何一つ変わらない姿だった。血みどろのグロテスクな幽霊ばかり目にしてきた礼実にとっては、少し新鮮な気分だった。
「でも、そんなに大声出すと家族が起きちゃうよ?」
誰のせいだと思っているんだ。礼実は水沢をギロッと睨むと、小さく溜め息をついた。
「ねぇ、反応してくれたってことは私の話聞いてくれるんだよね?」
「……さぁ」
もうどうでもいい。そんなに話したいなら話せばいい。礼実は曖昧に返事をした。話の内容は大方の予想がついている。
「あのね、百瀬さんに折り入って頼みがあるの」
━━━━あぁ、やっぱり。自分の予想した通りであるらしいことが分かった途端、礼実の中にまた沸々と怒りがこみ上げてきた。
「……何?また復讐?」
え?と素頓狂な声が聞こえる。
「"アイツが憎い"、"アイツに殺された"、"だから自分の代わりにアイツに復讐してくれ"、あんた達幽霊の頼みはそればっかり」
キッと睨みつけると、流石の水沢も怯んだようだ。黙って正座をしている。
「あんた達はどうしてそんなに傲慢なの?私に言われても困るに決まってるでしょ?復讐屋じゃないんだから」
まだキョトンとしている。なんてムカつく面構えなんだろう。礼実の怒りは収まるどころかヒートアップしていく。
「大体……」
「ちょっと待って!」
しかし、畳み掛けようとしたところで止められてしまった。
「誤解だよ!私の願いはそんなのじゃない!」
そう言われ、漸く礼実の中に渦巻いていた怒りが冷めてきた。そういえばまだ具体的な話を聞いていなかった。
「……じゃあ願いって何?」
フーッと息を吐いて心を鎮める。例え願いが復讐じゃなかったとしても叶えてあげる義理なんてない。ただ、勝手に解釈して怒り散らしてしまったお詫びとして話くらいは聞こう。そう思えたのだ。
水沢は何故か急にもじもじと恥ずかしそうに下を向いた。
「あ、あの……」
顔は下を向きながらも目だけはチラチラこちらを見ている。いいからさっさと言って欲しい。と思っていると、突如勢いよく顔を上げた。
「私を、旅行に連れて行って欲しいの!」
……何言ってるんだコイツ。
正直、この時の礼実にはそんな感想しか出せなかった。知らなかったのだ。彼女のことを何も。
暫く経った頃。礼実と水沢はベッドに二人で並んで腰かけていた。二人はさっきまで大声で言い争っていたとは思えないほど、静かに話をした。
話によると、水沢麻耶は一度も旅行をしたことがないらしい。生まれてから十六年間、家族旅行はおろか修学旅行すら行けていないという。
「何で?」
「色々あってさ」
訳は話さなかった。デリケートな問題なのだろう。
「でも私、高校の修学旅行は絶対行こうと思ってて。準備だってしてたんだけど……」
「ふぅん」
まだ一年生なのに修学旅行の準備とは。相当楽しみにしていたらしい。
「こんな形で死んじゃったからさ」
水沢の目に涙が浮かぶ。悔しい気持ちが痛いほど伝わってきて、礼実は困る。叶えようなんて少しも思っていなかったのに、もう同情心が芽生え始めている。
「だから、私と旅行してほしいの。場所はどこでもいいし、一泊でいい。私をどこかに連れて行って欲しいの」
彼女の目に溜まっていた涙が溢れる。それと同時に窓から月明かりが差し込む。
光る涙、月明かりに透ける肌。その美しさに反比例するように、首筋にくっきりと浮かび上がる生々しい指の跡。それは確実に彼女が死んだことを意味しているのに、礼実は何故か生命力を感じていた。
「旅行、か……」
適当に、近場でもいい。何をするでもなく、ブラブラ歩いて泊まって帰る。それだけ。特別仲のいい友達でもない。ましてや恋人でもない。今日始めて会話したばかりの幽霊を連れて。
「楽しくはなさそうだね」
「……うん」
水沢は申し訳なさそうに頷いた。その様子を横目で見つつ、礼実はこう続ける。
「でも、つまらなくはなさそう」
そう返すと、水沢の表情はパアッと明るくなった。分かりやすい幽霊だ。
「最近あんまり出掛けてなかったし、今日ちょうど土曜日だし、一泊くらいなら付き合ってあげる」
叶えるつもりなんてなかったが、復讐なんて物騒な願いじゃないだけマシだ。いつまでも付きまとわれても困るし、知り合いだし。
「ありがとう、百瀬さん!」
「どういたしまして……」
水沢は礼実に向かってニコニコ笑っている。あんな死に方をしたというのに、たかが旅行に連れて行って貰えるというだけでここまで喜べるものなのか。礼実にはやっぱり理解出来ない。
「ね、礼実って呼んでもいい?」
「いいけど」
「じゃあ、私のことは麻耶って呼んでね!」
「えー……」
結局この日は二度寝することも出来ず、朝を迎える羽目になった。
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