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部屋の飾り棚の上に飾られた白い小花を眺めながら、莉堵は幸せな気分で微笑んだ。
都入りした昨日、門の手前で海の国を纏める主人からだと言われて渡された花束は、花瓶の中で今日も健気に咲いている。
樹の国の都屋敷の一室に入って、荷解きを済ませてから、お礼状を書いた。
屋敷の庭に落ちていた立派な松の葉に結んだ短い手紙は、折を見て、実家に帰る艿音が届けてくれるそうだ。
皇帝の生誕祝賀会は、3日後だ。
その前に、出来れば渡津依に会って話しをしたい。
だが、屋敷に入ってから、何となく莉堵の行動は監視されているのではないかと思う時がある。
基本的に、一人になる時がないのだ。
屋敷の女中や、警護の者達がいつも何となく目に入る場所にいる。
烝榴宜は、莉堵が白い花を受け取ったことを知っているだろうし、それが海の国の者からだということも耳に入っているのだろう。
樹の国の宮城で、惜しみ無く内も外も磨き上げた献上品を、万が一にも掠め取られないように警戒しているのかもしれない。
莉堵は、都に着いてから、何処か落ち着かない様子の氷刃の様子を見に行く為に部屋を出た。
途端に、お付きと称した女中が付いてくる。
艿音が里帰りの為屋敷を出た途端に張り付くようになったこの女中は、間違いなく烝榴宜から命じられて莉堵を監視しているのだろう。
気にしないことにして、莉堵は屋敷の獣舎に向かった。
「氷刃、落ち着け。」
獣舎に入った途端に、何かがぶつかるような物音と、伸座究の宥めるような声が聞こえる。
近寄って行った莉堵は、檻の中を神経質そうに行ったり来たりする氷刃を目にして、眉を潜める。
「ここに居て。」
付いてきた女中に声を掛けて、自分だけ檻の側に近付く。
「莉堵様。」
伸座究がどこかほっとしたように呼び掛けてきた。
「氷刃の奴、都をお気に召さなかったのか、昨日から時々こうなるんですよ。」
困ったように溜息混じりに言う伸座究は、もうじき手放すことになる氷刃のことを心配しているのだろう。
「氷刃、どうしたの?」
莉堵はそう檻の中に呼び掛けて、覗き込むと、途端に氷刃が擦り寄ってきた。
機嫌が良さそうではないが、莉堵に甘えようとしているようだ。
「檻からは出してあげられない?」
莉堵に近付こうと檻の淵を、行ったり来たりしながら身体を擦り付ける氷刃が可哀想になってくる。
「これでは駄目ですね。特に莉堵様がおいでの今は。万が一にも莉堵様がお怪我でもされては取り返しが付きません。」
「・・・そう。」
莉堵は沈んだ声でそう返事して、檻の中でもどかしそうに身体を動かす氷刃の背中を撫でる。
その感触に気付いたのか、氷刃はその手の下に頭を潜り込ませる。
莉堵は氷刃の頭をわしわしと撫でて、耳の後ろを掻いてやる。
と、氷刃は漸く落ち着いたように目を細めて座り込んだ。
「こんな調子で、3日後は大丈夫かしら。」
呟いた莉堵に、伸座究は溜息を吐いた。
「厳しく声を掛けて鞭を使えば、無理矢理でも言う事を聞かせることは出来ます。ですが、それでは莉堵様がいらっしゃる意味がない。」
そうだ、莉堵は虎の子を手懐けた姫として一緒に献上されるのであって、無理矢理言う事を聞かされた虎の子の隣に立つだけなら、莉堵である必要はない。
第一、鞭を振るわれる氷刃の側になど可哀想過ぎて居たくもない。
「本当にどうしてしまったのかしら。」
氷刃の頭を変わらず撫でながら、莉堵は眉を下げる。
「都は、人には見た目も華やかで活気のある場所に思えるかもしれませんが、獣にはそうではないこの都の影の部分が見えるのかもしれませんね。」
伸座究は足下を見詰めながらそう言った。
と、そこで莉堵はふと思い出したことを伸座究に問い掛けてみることにした。
「伸座究。少し訊いても良い?」
改まって少し声を低くすると、伸座究が訝しげに顔を上げた。
「あのね。座惟摘のことなんだけど。」
躊躇いがちに切り出すと、伸座究はきょとんとした顔になった。
「彼は、樹の国専任の獣の調教師なの?」
突然降ってきた話題に、伸座究は目を瞬かせる。
「いえ。座惟摘は樹の国の専属ではありませんよ。氷刃を捕まえて連れてきたのが彼で。あいつは国主様の求めで獣を連れてきて、調教が済むとまた居なくなる。不思議な男ですよ。」
少し苦笑気味に答えた伸座究だが、座惟摘をあからさまに嫌っている風ではなかった。
樹の国を出た晩、莉堵を迎えに来たと言った座惟摘は、一体何者なのだろうか。
烝榴宜ならば、何か知っているのかもしれないが、問い掛けたところで彼は答えないだろうと、莉堵は思った。
そして、何となく、座惟摘と莉堵の間にあったことは、誰にも言ってはならないことのような気がした。
「そうね。何だか掴めない人だったわ。」
無難にそう答えて、莉堵はその話しを終わらせた。
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