第三章 花のあと3

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第三章 花のあと3

 何となく居づらくなって、芽衣はふらふらと村の中を歩いていた。  シャリファは、アラインの最愛の人だ。だからその家族や子孫といえば、彼の家族に近いのではないだろうか。  そう考え、家族団欒に水をさすのもと思い、芽衣はそっと広場から離れた。  祭りに向けていたるところで村の人々が準備に追われていて、見るべきものはたくさんあった。わりと都市部育ちの芽衣にとって、こういう村という小さな社会の営みは非常に興味深い。  父方と母方の両方の祖父母とも特別に辺鄙(へんぴ)なところに住んでいるわけではないため、芽衣にとって帰るべき田舎というのは存在しないのだ。だから、人の心の中にある“理想の田舎”というノスタルジーを体現したかのようなこの場所は、すべてが新鮮で、そして懐かしかった。 「そうしてると、何だか普通のお兄さんって感じだね」  熱心に材木を切る後ろ姿に声をかけると、その人物は汗を拭いながら振り返った。騎士服を脱いでそうしていると、本当に村の青年のようだ。 「私はどうやら、その普通のお兄さんとやらにはなれないようです。……さっき木を切る作業で子供たちに負けて、『お前は力がないから材木を切り出してろ』言われてしまいました」 「手厳しいね」  恥ずかしそうに頭をかくサイラスの腕には、きちんと筋肉が乗っている。だが、たしかにナールの筋肉には劣るし、村の男の人たちと比べると遠く及ばない。サイラスの筋肉は実用的ではないということだろう。 「この木は何に使うの?」 「大きな篝火(かがりび)にするそうです。その周りで歌ったり踊ったりするとか」 「キャンプファイヤーか。いいね。お祭りって感じがする」  不思議そうにするサイラスに、芽衣は林間学校の夜や文化祭の後夜祭で行うキャンプファイヤーについて説明した。 「ちがう世界でも同じようなことをするというのは、何だか面白いですね。では、メイ様の世界でも求婚したりするんですか?」 「求婚はさすがにないけど、やっぱり特別な雰囲気になるから、告白する人はいるよ」 「メイ様は、告白しないんですか?」 「え?」  世間話をしていたはずなのに、いつの間にか話がすり替わっていた。  冗談かと思ったが、サイラスの目は意外にも真剣だ。深い青の瞳は心を見透かすようで、芽衣は戸惑った。 「告白って……誰にするっていうの」 「アライン様に」  とぼけようとしても、サイラスは逃さないとばかりに即答する。 「……アラインはシャリファさんのことが好きなんだよ。知ってるでしょ」  サイラスの意図がわからず、芽衣は困惑した。どうしても、すねたような口調になる。 「竜は聖女に惹かれるもので、聖女は竜に惹かれるものです。そして、今代の聖女はメイ様だ」 「竜と聖女は番だって言いたいんでしょ? でも、私たちは仮初の番だって、最初にアラインが言ったもの」 「それは、メイ様の心に別の人がいたからでしょう? 今はどうですか? あなたの心を縛る者は、まだいるんですか?」  挑むように言われ、芽衣はついに言葉につまった。  サイラスの言うとおり、芽衣はもう以前ほど裕也のことを思い出さなくなっている。元の世界や家族のことを思い出さない日はないが、裕也の存在が気持ちの枷(かせ)には、もはやなっていなかった。  そんな薄情な自分が嫌で、気がつかないふりをしていただけだ。アラインのまぶしいほどの一途さを前にすると、なおさら認めたくなかった。 「もうすぐ旅が終わります。私は、メイ様に後悔してほしくないんですよ」  サイラスはそう言って、さわやかに笑ってみせる。そんな顔をすると、ますます騎士という感じではなく、世話好きのただの青年のようだ。 「……おせっかい」 「そうですね。これまでは最低限の義務だけこなしていようと思っていましたが、そういう考えを捨てると、私は元々おせっかいだったようです」  芽衣が唇をとがらせれば、サイラスはまたさらに笑った。出会ったばかりの頃の感じの悪さは、もう一切ない。 「そっか。あなたも、旅をする中で変わったんだね。ひとりぼっちでどうしようかと思ってたから、よかった」 「メイ様もおせっかいですね。……でも、たしかによかったです。この旅がなければ、私は何が正しくて何が間違っているのかと考えることもありませんでしたから」  サイラスが言っているのは、ネメト教とシアルマ教のことだろう。聖森の実態を知れば、もうシアルマを盲信することはできないにちがいない。そのことを思うと、それはそれで心配になる。 「この旅が終わったら、サイラスはどうするの?」 「まだ決めてません。私の場合は、まだゆっくり考えればいいですから」  言外に芽衣のことを急かして、サイラスは笑った。これはエイラより手強いかもしれないと、芽衣は身構えた。この人は芽衣から納得できる返事を聞きだすまで、あきらめないつもりかもしれない。 「おーい、騎士の兄ちゃーん。勝手にさぼるなー」  遠くからサイラスを呼ぶ声が聞こえ、芽衣は助かったと思った。手を振りながら子供たちが近づいてくる。 「あ、聖女様もいる。今からコケモモのジュース飲むからおいでよー」 「今行くよ」  子供たちの手招きに、サイラスは笑顔で答えて歩きだした。ほっとして、芽衣もそのあとに続く。コケモモのジュースがどんなものなのだろうと、期待に胸がふくらむ。 「メイ様、私は知ってからの後悔より、知らないままでいた後悔のほうが、あとあと尾を引くんじゃないかと思いますよ」  歩きながら、サイラスはしれっとそんなことを言う。油断していただけに、芽衣は思いきり面食らった。  夜がふけて、村のあちこちに篝火が灯された。サイラスが苦労して材木を切り出したものは大きな篝火となって、広場の中央にすえられている。  オレンジ色の幻想的な灯りに照らせれた村の中を、芽衣は着飾った娘たちと共に歩いていた。  芽衣ももちろん、特別な衣装に身を包んでいる。  白い薄布を複雑に巻いてドレスのようにしたもので、芽衣の世界でいうところの東南アジアのどこかの民族衣装のようだ。  ただの真っ白な布ではなく、白金の縫い取りが施された美しい布だ。裾にも繊細な飾りがついていて、動くたびにシャラシャラと鳴る。 「ねえメイ、本当にその衣装でいいの?」  同じような衣装に身を包んで隣を歩くエイラが、心配そうに声をかけてきた。彼女の目の色に合わせたかのような緑の衣装は、よく似合っていて美しい。 「大丈夫よ。私がこの格好をするとみんな喜ぶっていうのなら。何かになりきるのは得意だもの」  心配するエイラに、芽衣は笑ってみせた。 「何でこんなこと……今代の聖女はメイなのに……」  笑顔の芽衣に、エイラはまだ不満そうだ。自分も支度を手伝った衣装によって、芽衣が今夜の祭りの主役にさせられるのが嫌なのだ。――亡きシャリファの代わりをさせられることが。  村の女性たちを手伝いに行ったエイラがさせられたのは、この衣装の仕上げだったのだ。初めは芽衣にきれいなものを着せてやれると喜んでいたエイラだったが、これがシャリファ役の衣装だとわかってからは面白くなかった。  あれほどシャリファ贔屓(びいき)だったエイラも、今ではすっかり芽衣を聖女と認めているということだ。 「何かの役を演じることにいちいち腹を立てたりしてもしょうがないよ。バレエと一緒だと思えば平気。私は今夜、シャリファ役を踊るってだけ」  エイラの不満を鎮めるために、芽衣はその場でクルクル回る。そうすると裾の飾りがシャラシャラ鳴って、宵闇の中で妖しく美しく見えた。  踊りの舞台である広場へ向かう途中、通りすぎる村の人々は口々に芽衣に「聖女様」と呼びかけてきた。その嬉しそうな様子を見ると、不満に思っていたエイラも引き下がるしかなかった。  この村の人たちにとってはシャリファこそ聖女で、芽衣は次の代の聖女というより、シャリファの再来にすぎないのだ。そのことがわかってしまうと、そこに不服を申し立てるのも野暮だということも飲み込めた。  元の世界に帰らずにこの世界に留まったシャリファは、この村の人々から様々なものを与えられただけでなく、多くのものを与えたのだろう。  村の人々に未だに慕われることから、彼女がいかに愛されたかがうかがえる。  シャリファがそうして愛されていたからこそ、この村があたたかく自分たちを迎え入れてくれたのだと、芽衣には理解できていた。だから、この衣装を着ることにもそんなに抵抗はなかったのだ。 「あ、ナールだ」  広場につくと、舞台近くにナールが立っていた。どれだけの人ごみであっても彼は身長があるため、にょっきりしていて見つけやすい。 「メイ様、とてもおきれいです。でも、寒くありませんか?」  着飾った芽衣に気づいたナールは、子供のように素直な笑みを浮かべた。だが、きちんと気遣いを忘れない。 「大丈夫だよ。ちょっと寒いけど、踊ってるうちにあったまるから」 「それならよかった。アライン様はあちらにいらっしゃいますよ」  元気に笑いながら腕をさする芽衣に、ナールは舞台の前を指差した。そこには、特別に設(しつら)えられた席に座るアラインの姿があった。  篝火のオレンジに照らされた横顔は普段以上に憂いを帯びて、美しさを増している。  そんな姿を見てしまうと何だかたまらなくなって、芽衣はアラインのもとへ駆け出していた。 「アライン」  芽衣は衣装の一部である薄布のマスクで口元を隠して、アラインの前に現れた。そうして目元しか見せない格好だとがらりと印象が変わるのが、鏡で見たとき面白かったのだ。  だから、ちょっと驚かせてみようという無邪気な気持ちだった。  だが、芽衣の姿は予想以上にアラインに衝撃を与えてしまった。 「…………っ」  突然目の前に躍り出てきた芽衣を見て、アラインは息を飲んだ。目を見開き、本当に驚いている様子だ。そして、驚きの次に彼の目に喜びが浮かぶのを、芽衣は見てしまった。 (私の姿に、シャリファさんを見てる)  即座に、芽衣は悟った。  篝火の灯りだけが照らす世界では、肌の色というものは非常にわかりにくくなっている。加えてこの衣装と、芽衣の髪と目の色だ。  それらが組み合わさることで、この祭りの夜、アラインの目にシャリファの幻を見せてしまったのだろう。  アラインはまぶしいものを見たときのように目をすがめ、そっと芽衣に手を伸ばしてくる。これまで見てきたどんな表情よりもやわらかい表情に、芽衣の胸はギュッと苦しくなった。 (伝えたから、どうなるっていうの。思いを伝えても、アラインの心にはずっとシャリファさんがいるのに……)  昼間サイラスに言われたことを、芽衣は少し憎らしい気持ちで思い出す。  好きだと気づいても、その思いを認めても、どうしようもないのだ。その思いを噛みしめるたびに、アラインの心にいるものの存在を思い知らされるだけなのだから。  苦い気持ちが表情を曇らせたからか。アラインはハッとなった。見ていたものが幻だったと気づいたのだ。 「メイ、とても美しいな」  幻から目覚めたアラインは、優しい笑顔でメイを見つめる。  今はきちんと芽衣のことを見ているのに、さっきよりもずっと苦しくなった。 「アラインも来て」  胸の痛みをこらえて、芽衣は笑顔を浮かべた。そして、アラインの手を取り舞台にあがる。  広場はどよめいたが、すぐに楽の音にとって代わられる。陽気な笛や太鼓の音が聞こえてくれば、人々の意識はすぐにそちらへ向いてしまうのだ。  連れられるまま舞台にあがったアラインは、ただ戸惑っている。そんなアラインに見せるように、芽衣は元気よく踊った。  今着ている衣装は、脚をそこまで大きく開くことができない。だから、楽しいリズムに合わせて踊るうちに気分が高揚しても、跳躍でそれを表現できないのがもどかしい。 「アライン、私のことを抱えて」  男性とふたりで踊るパ・ド・ドゥをすればいいのだと思いついて、芽衣はアラインに背を向けて頼んだ。ふたりが一緒に踊れば、見ている人々も喜ぶだろうと思ったのだ。 「メイ、こっちを向いて」  背後から抱えてもらうつもりだったのに、アラインは芽衣の手を引いて自分のほうを向かせた。そして、小さな子供をたかいたかいするように、芽衣の身体を抱きかかえた。それから、くるくると回る。 「わあ……」  世界が回っていた。  篝火のオレンジ色に照らされた世界が。  回るふたりに、見ている人々は笑顔で拍手を送っている。 「そなたはいつも、われに力をくれるな。ありがとう、メイ」  下から見上げてくるアラインも、やわらかい笑みを浮かべている。 「……アライン、大好き」  世界が輝いて見えて、感激のあまり芽衣はそう口にしていた。  届かなくても、胸が痛くても、この夜になら許させる気がしたのだ。  ふわりと舞台に下ろし、アラインは芽衣を抱きしめる。 (私は、この人が好き)  幻の代わりでも構わないと思ってしまって、芽衣はアラインを抱きしめ返した。
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