第三章 花のあと4

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第三章 花のあと4

 人々に惜しまれながら、一行はシャリファの村を出発した。  村は居心地がよかったが、旅はまだ続いていくのだ。  秋は深まっていっている。浄化はアラインの力で行うとはいえ、森の力も借りるから冬になるまでに終えたほうがいいらしい。  冬は様々な命が眠りにつく季節だ。  この旅が終われば、アラインも再び、長い眠りにつく。 「……また見えなくなりましたね。村の人たちが言っていた加護とやらは、すごいなあ」  馬車が村から離れるにつれて霧が出てきて、あっというまに見えなくなってしまった。村へと至る道は、また霧に閉ざされてしまったのだ。  それを見て、ナールはしみじみと感心していた。 「あの村は熱心なネメト教徒の村でしたが、シャリファ様の存在によって、またちがう考え方のようなものが生まれているような気がしますね」 「そうよね。だって、加護だなんていってるけど、別にアライン様は何もしてないでしょ?」  納得できない様子でエイラは首を傾げた。それに対して、アラインは微笑んで首を振った。 「ネメトは元々、森を崇める教えであって、われを崇めるものではなかったのだ。これほどまでに豊かではなかったが、この国にも森はあった。その小さな森、貴重な原初の森への信仰と、われの存在がちょうど結びついたのだろう。だから、加護とは森からの加護にちがいない」  アラインのおだやかな語りに、エイラも不満を引っ込めるしかなかった。というよりも、元々のネメトの信仰について知らなかったため、そうして語られると納得してしまったのだ。 「そういえば、シアルマによる思想弾圧によって表向きにはかたることができなくなったのですが、ネメトは森というのを命の還る場所だと考えていたんだそうです。秋に葉を落とし冬には死んだように眠りにつく森が、春には再び芽吹く様子に、命の循環を重ねていたと」 「命の循環?」  ナールが語るその思想というのは今の時代には本当に秘められているものらしく、エイラは聞いたこともないという顔をした。だが、芽衣には聞き覚えのある話で、つい身を乗り出してしまう。 「そういう話、私の国にもあるよ。死んだらそのあとまた生まれ変わって戻ってくるっていう考え方。輪廻転生っていうんだけ ど」 「それは興味深いですね。メイ様の世界でも、亡くなったものの魂は森に還るのですか?」  神官として、他の世界にも同じような思想があるというのは気になることだったのだろう。ナールは好奇心に目を輝かせ、芽衣を見つめてくる。  こういうとき、芽衣は自分の教養のなさがほとほと嫌になる。何となくわかったふりをしてそのままにしていても、よくよく突き詰めて考えると何もわかっていないのを思い知らされることが多すぎる。 「えっと……森ではなくて、天国と地獄っていう死後の世界ってものがあって、そこに行くって考えられてるの。でも、地獄か即生まれ変わりかって考え方もあるみたいだし、海とか地下に死者の国があるって考えてる人もいるみたいだし……あれれ?」  いろいろなところで見聞きした上方をまとめ、何とか自分の世界の輪廻転生について正しく伝えようとするのに、考える程に混乱してしまい、うまくいかなかった。  頭をかかえる芽衣を見て、ナールは声をたてて笑った。 「仕方ないですよ。俺のように神や信仰について学ぶ者ですら、ときどきメイ様のようにわからなくなるんですから。でも、俺の師が言ってました。そうやってわからなくなるときこそ、学びを深める良い機会だと」 「そうだね」  学校の先生のようだなと、ナールの発言を聞いて芽衣は思った。そして、元の世界について思い出す。 (もう二学期の中間テスト、終わっちゃったな。……帰ってから、勉強の遅れを取り戻せるかな)  旅が終わりに近づけば、これまで以上に元の世界へ帰ることを強く意識するようになった。だが、意識すればするほど不安も強くなる。元の世界に帰れば、不在のあいだに生まれてしまった様々な遅れを取り戻さなければならないのだ。 「学ぶのに遅いということはないんですよ。人は生きているかぎり学び続けなければならないのですから、手遅れということも時間がかかってはいけないということもないんです」  ナールがにっこりして、励ますように芽衣は言った。おそらく、うまく説明できなかったことを気にしていると思ったのだろう。  考えていたことはちがったが、その励ましはまさに芽衣の悩みと一致したため、何だか救われる思いがした。 「せっかく何だかんだ学びの機会を得ましたので、ちょっと問題を出してみましょう。ネメト教の紋章であるこの図案、実は蔦ではないんです。何だと思います?」  そう言ってナールは、自分の着ているローブの胸あたりを指差した。  そこにあるのは蔦の絡んだ聖木だとばかり思っていたから、芽衣もエイラも首を傾げた。 「……もしかして、蛇?」  少し考えて、芽衣はそう答えた。それを聞いたナールは嬉しそうにうなずく。 「そうなんです。ネメトは元々、森と蛇を信仰する宗教だったんです。だから、この世界にやってきた竜であるアライン様と非常に親和性が高かったというわけです」  ナールの説明に、芽衣はなるほどと納得した。実際のアラインの姿は蛇というよりトカゲに近いが、ずっと蛇を崇めてきた人々にとっては、まさしく神に見えただろう。  洞窟で初めて竜の姿をしたアラインを見たとき、その神々しさに芽衣も神性を感じたほどなのだから。 「それはわかったけど、どうして蛇なの? 蛇と森って、何か関係あるの?」  そもそもの部分で引っかかっているエイラは、まだわからないという顔をしている。アジアにおける竜のイメージがある芽衣にとっては蛇と竜を結びつけるのは難しくないが、そうでなければやはりわからないだろう。 「森と蛇は直接関係ありません。ただ、どちらも“繰り返すもの”の象徴としてネメトは崇めているんですよ」 「蛇って繰り返す?」 「ほら、蛇は脱皮をするでしょう? あの姿を見て、大昔の人は生まれ変わりを意識したそうです」 「なるほどね」  黙って聞き手に回ってしまうことが多い芽衣だったが、今はふたりの話を聞きながらしっかりと頭を働かせていた。  元の世界では周囲とのバランスや自分のキャラというものを考えて振る舞わなくてはならず、何かを考えたり意見したりというのは芽衣の役回りではなかった。だが、今はそんなことを考えずに気になることはどんどん口にしてもいいのだ。 「その話を聞いていて思い出したんだけど、私のいた世界では自分の尻尾を噛んで輪っかになってる蛇の形があるんだよ。紋章っていうのかな、図案かな?」  芽衣は何かの本で読んだ、ウロボロスのマークについて思い出していた。 「輪になった蛇ですか」 「ウロボロスっていうの。たしか“死と再生”とか“循環性”を表してる、古くからある形だったと思う」  芽衣はうろ覚えの知識を何とか思い出そうとしていた。  暇なとき、スマホやパソコンを使って気になるものを延々と調べて眺めて時間を潰すという趣味が芽衣にはあった。そのとき目についたものや頭に残っていたものをなんの気なしに検索し、それで得た情報の中からまた気になるものについて調べるといった行為のため、はっきりいって身になっていない。 「ネメトの蛇は螺旋です。これは“続いていくこと”の象徴なのですが、そのウロボロスは輪なんですね。おそらく、思想の根幹となるものは非常に近しいのでしょう。世界をまたいで同じような思想が存在するというのは、ものすごくわくわくしますね!」  芽衣のつたない説明でも、ナールにとっては十分刺激になったらしい。知的好奇心をくすぐられ満たされた彼は、生き生きとした顔をしている。 「……竜も蛇みたいに、寒いと眠くなるのかな?」  声をひそめ、エイラが言った。その意味がわかって芽衣が隣を見ると、アラインが目を閉じていた。静かだと思えば、寝ていたのだ。  ほかの誰が馬車の中で眠っていても、アラインがこうして眠る姿は誰もまだ見たことがなかったのだ。だからそのめずらしい姿に、芽衣たちは釘づけになる。 「……疲れてるのかな」  ナールとエイラはアラインが竜だから寒さが苦手なのだろうと判断して納得しているようだが、芽衣は何となく不安だった。  秋が深まっているといっても、まだそこまで寒いわけではない。紅葉の時期なら、まだ山に蛇や爬虫類は動き回っているはずだ。  その不安を少しでも和らげようと、芽衣はそっとアラインの手を握った。骨の線まで美しいその繊細な手は、心なしかいつもよりも冷たかった。  聖森に到着して、芽衣は驚いた。  空気が、まとう気配がちがうのだ。  鳥のさえずりが聞こえる。爽やかな風が吹いている。森の中が、清浄な光に満たされている。  芽衣の中の正しい森のイメージそのままの姿が、そこにはあった。間違っても樹海ではなく、ここは森だ。 「すごく空気がきれい」 「これが、正しい聖森の姿なんでしょうね」  芽衣が感激したように言えば、同じように見入っていたサイラスがうなずいた。  聖なる森の名に相応しい姿を初めて目にしたふたりは、そうしてしばらく浸っていた。 「ここまで浄化された森というのは、俺も初めて見ました。ここが長らく独立した区域だったというのは納得です。神官がわざわざ来て何かしなくても、きちんと聖森が機能している」  ナールも目を輝かせて森を見つめている。  神官であるナールが驚くのだから、ここは本当にすごい森なのだろう。  昔、シアルマ教が台頭するまでは、聖森と神殿はセットだったのだという。アラインが眠りについているあいだも神殿が森を管理して、浄化が正しく行われるようにするために。  ひとつを残してすべての神殿がその存在を認められなくなってからは、神官が各聖森を回って穢れが溜まりすぎることを防ぐようになったらしい。  だが、この森にはもともと神殿はなかったため、神官の巡回の対象から外されていたということだ。 「昔はどこも、このような感じだったのだ。森が穢れに満ちるのは、人が多く死んだときだ。災害や疫病によって、多くの命が無惨に刈り取られたときだ。そういったことさえなければ、穢れはそもそも溜まらないものだ」 「そっか。戦争があったから……」  アラインの言葉に、芽衣は壊された神殿の姿を思い出した。この国では百年前、宗教をめぐる戦争が起こったということを。  シアルマ教が自分たちの優位性を誇示するため、ネメト教の人々を弾圧し、征服したという戦争。その戦争で、多くの人が命を落としたのだ。奪われたと言っても、言いすぎではないだろう。 「多くの命がなくなり、穢れが多く生まれたとしても、森を弱らせることをしないでいたなら、もう少しちがったのだろうが」  疲れた顔でアラインは言う。  眠りから覚めてこの状態では、嫌気がさすにちがいない。 「祈りは浄化につながるというのを、この森は感じさせてくれますね。これまで俺は神官でありながら、祈りの重要性についてあまりわかっていなかったのだと、ここを見て思い知らされました」  ナールがしみじみと言うと、アラインの顔に浮かんでいた憂いが、少し薄れたように見えた。 「人が祈りの大切さを忘れずにいてくれれば、われも報われるというものだ」 「はい。よくよく心に留めておきます」  神に仕える者が神と対話している瞬間なのだと、それを見て芽衣は改めて思った。  ふと見ると、サイラスも何とも言えない表情でアラインと向き合うナールを見ていた。その顔に、最初に出会ったときのような疑心はない。だが、苦いものを噛んだような、気難しい顔をしている。 「シアルマの徒であるのが嫌になった? さっさとネメトに宗旨替えしちゃえばいいのよ」  サイラスの表情に気づいたエイラが、気楽な様子でそんなことを言う。  たしかに、旅を続けるうちに変わっていった彼を見ていると、もう手放しに英雄シアルマを崇めることは難しいのだと芽衣にもわかる。だが、信じていたものから離れるのも簡単なことではないのだというのは、サイラスの苦い表情は物語っていた。 「私はもう、ネメトの人々の信仰を否定しません。この国にとって、聖森が必要だというのはよく理解しましたから。だが、ネメト教だけではこの国を平定することができなかったのは歴史を見ればあきらかだ。たしかに百年前の戦では多くの命が散らされたが、それより以前だって小さな争いはあったのだから。……人は動物のように、ただ森に抱かれているだけでは生きていけないんです。誰かが導き、平和をもたらさねばならないんです」  知らないままでいられればどれだけ楽だっただろうかと、サイラスの姿を見て芽衣は思った。知ったことによって、彼は苦しんでいるのだ。どちらか一方を無条件に正しいと思えていたときは、きっと楽だっただろう。だが、そうでなくなってきてからの葛藤は、これからきっとどこまでもつきまとう。 「ネメト教の教義の中に、争いごとをいさめる内容はありませんからね。人は自然であり、争うことも自然であり、それなら人が争うことも自然だと教義にはありますが、人の争いはクマやイノシシの喧嘩ではありませんからね。……ネメトの徒がたくさんの命を奪われたことは認められないことですが、シアルマ教の争いを禁じる教えは、人間には必要だと思います」  苦しむサイラスに寄り添うように、ナールは一歩、歩み寄った。その姿に、芽衣は人のあるべき姿を見たような気がしていた。 「宗教と宗教で向き合うとできない歩み寄りも、人と人ならできるんだね」  命と命のやりとりという乱暴な手段ではなく、語り合うことによって互いに折り合いをつけていくことも、できないことはないはずなのだ。 「あたしたちネメト教徒とシアルマ教徒がもっといろいろ話し合えたらいいわけだよね。だって、今のままだったら効率が悪いもん。祈りが、聖森が必要だってわかったんなら、シアルマの人たちも一緒に祈ってくれなきゃね」  エイラも、サイラスとナールが並ぶ姿にネメト教とシアルマ教の新しい関わり合いを見い出したのか、まぶしそうに見つめていた。 「そうですね。私も、これからは共に祈ります」 「なっ……」  サイラスはエイラのそばまで行くと、その手をギュッと握った。おそらくは親愛の証のつもりだったのだろうが、そういったことに免疫のないエイラには毒だったようだ。怒ったように顔を真っ赤にして、固まってしまっている。 「あ、手をつなぐなんていいですね。じゃあ、俺も」  ふたりの様子を楽しそうだと勘違いしたナールが仲間に加わろうと、なぜかサイラスの手を取った。今度は、サイラスが困惑する番だった。それがおかしくて、芽衣は声を立てて笑う。 「みんなで手をつないだらいいね」  芽衣はエイラと手をつなぎ、少し先を歩いていたアラインの元へ駆けていった。清らかな森の空気が、そんな子供じみたことをしたい気分にさせたのだ。 「アライン」  無邪気な笑って、芽衣はアラインの手を握った。何となく疲れている様子のアラインが少しでも元気になるようにと祈りを込めて。
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