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第四章 黄昏の森3
「私はネメト教徒を、廃れた汚い森を崇める、卑しい者たちだと思っていました」
サイラスの語りは、そんな衝撃の告白から始まった。
言葉自体はとんでもなく乱暴なものだ。だが、それはあくまで過去のことで、今はそんなふうに思っていないことは伝わる。
「今回の浄化の旅で様々な聖森を見て回って、私は驚きました。こんなにも、きちんときれいな森なのかと。もちろん、穢れが溜まっているからきれいでないことはわかるんですが、王都の聖森はそんなものとは比べものになりませんから」
言いながら、サイラスは唇を噛みしめていた。語るのも無惨な状態ということなのか。
「森は、聖森は、どうなっているんですか……?」
不安にあえぐようにナールが尋ねる。
神官であるナールにとって、聖森はもっとも大切なもののひとつだろう。その森が“廃れた汚い森”と呼ばれて、平気なはずがない。
それはきっと、アラインにとっても同じはずだ。そう思って芽衣はアラインの様子をうかがったが、疲れたように目を伏せていて、その感情を推し測ることはできない。
「聖森は、この先です。行ってみましょうか。魔獣は本来、こんなに人の住むところまで出てこないはずなんです。ということは、やつらは我々を森に入れたくなくてわざわざ出向いたんでしょう。それらはすべて狩った。……もう、危険はないはずです」
自嘲じみた笑みを浮かべ、サイラスは言う。そして、みんなの反応を待たずに歩きだした。
わけもわからないまま、芽衣たちはそれに続いた。
歩きながら、芽衣はサイラスの顔に浮かんだ表情について考えていた。
あの表情は、しばしば彼の顔に浮かんでいたものだ。
最初はアラインに、エイラやナールに向けられていたものだった。それが旅を続けるうちに、彼自身に向くようになっていったと芽衣は気がついていた。
その嘲りの表情の理由までは、わからなかったが。
「ここですよ」
歩いて、歩いて、ずっと歩いてたどり着いたのは、カサカサに乾いた不気味な場所だった。
木々が立ち枯れているのは、これまで歩いてきた場所と変わらない。だが、雰囲気がまるでちがっていた。
そこに満ちているのは、濃厚な死の気配。
生の気配がないなどという生やさしいものではなく、死が満ちているのだ。
それに、立ち枯れた木々のあいだには、生き物の屍(しかばね)が累々と存在していた。
蠅や虫すらたからず、それゆえ土に還ることもない。ただ、風雨に晒され朽ちるのを待っている、そんな骸(むくろ)の山がそこにある。
ここで息絶えたのか、死んでから投げ入れられたのか。とにかく、それは夥(おびただ)しい量だった。
「こういった死骸が、あの化け物になったの?」
「おそらく。あるいは、ここに生きたものが迷い込むと、穢れと瘴気にあてられて、あのようなものに姿を変えるのかもしれません」
地面の上の亡骸を見て、エイラとナールがそうして言い合う。話しても答えは出ないが、話していないと落ち着かないのだ。
「ああ……何ということだ」
しばらく歩いている、唐突にアラインが地に膝をついた。崩れ落ちたと表現したほうが、正しいかもしれない。
「アライン……大丈夫?」
何が起きたのかわからず、芽衣はアラインのそばに駆け寄る。一体何が、彼をこんなふうに打ちのめしたのか。それをたしかめるために。
「メイ……これを、見てくれ」
憔悴しきった様子でアラインが指差すのは、目の前にある切り株だ。
おそらく、他の木のように立ち枯れたあとに切られたわけではない。切られた断面から新芽が伸びようとして、枯れた跡がある。つまり、この木は生きていたときにこうして切り倒されてしまったものだ。
他とは様子のちがう木と、その木を前に衝撃を受けているアライン。
それを見て、芽衣は恐ろしいことに気がついた。
「アライン……まさか、この木は……聖木?」
芽衣の問いに、アラインは力なくうなずく。
「どうして……? そっか、切られたから聖森も、その近くの森もこんなふうになって……誰が、こんなひどいことを……」
痛々しい聖木の姿に、芽衣も胸が痛んだ。
聖木は、聖森を、この国を守っているものだ。アラインに力を注がれれば、それを浄化の光に変える依り代として働くし、アラインが不在のときは穢れをその身に引き受けている。
それなのに、こんなふうに切り倒されて、蘇ることもかなわないというのは見ていて痛々しい。
この木がなければ、世界が穢れにまみれてしまうというのに。
「これは、英雄シアルマが古(しにしえ)から続く邪教に打ち勝った証として切り倒したんです。邪悪な竜と森が支配する混沌の世界に光あれと、邪教の象徴である聖木をまず打ち倒したのだそうです」
淡々とサイラスは語る。その目に、光はない。
「それを発端に、国全土を巻き込んだ戦乱が始まりました。シアルマ率いる軍は残りの聖森と神殿も制圧すべく、激しい攻撃を仕掛けました。対してネメトの徒たちは聖木を倒されてはならないと、捨て身の防衛戦に打って出ました。だが、鍛え抜かれた兵士と、神官や平民たちの寄せ集めでは力の差がありすぎます。はじめから、ネメト側の敗北は目に見えていました。神殿を壊され、森を焼かれ、それでもネメトの徒たちは何とか聖木だけは守ろうとするあまり、多くが命を落としました。月日が経ち、シアルマ側にも森の重要性に気づき……聖木を切ったことで穢れと瘴気に溢れ、狂う者や病に罹(かか)る者が増えたと気づき、ようやく支配下におくことを条件にネメトの存在を許したというわけです」
かつては、これを目に光を宿してサイラスは語ったのだろう。これが絶対的に正義だと信じていた頃は。
だが、旅をしてネメト教側のことを、聖森の役割を知った今は、シアルマが絶対の正義であるということを信じられなくなっているのがわかる。
「今よりも森の信仰が厚かったときに、どうしてそのようなことができたのか、私には理解しかねます。森と竜神に選ばれた者として国の頂点に立つだけで、なぜ満足できなかったのか……」
呆れたように、疲れてうめくようにサイラスは言う。
外から入ってきた侵略者による蛮行ではなく、この国の王族による行為だったのだと知って、芽衣はおそろしくなった。
森による恩恵を受けていたはずなのに。森に守られて生きてきたはずなのに。
民を守るべき王族が、何もわからない者のように大切な聖木を切り倒したということが、ひどくおそろしかった。
「……サイラス、そのシアルマという者の、王族としての名は、何という?」
ずっと黙って聞いていたアラインが、静かにサイラスに尋ねた。
すがるような目つきだ。何かを必死で知ろうとしているような、知りたくないと訴えるような、真逆な感情が入り混じった目だ。
「シアルマ・ラオク・マータラム、元の名はシアルマ・デュイデ・スコージナムと言います」
サイラスの言葉を聞いて、アラインの顔が歪んだ。悲しみをこらえきれないという表情だ。
サイラスは、アラインのその反応を見てすべてを悟った様子だ。先ほどまで自嘲の浮かんでいた顔が、アラインと同じような苦しみに歪む。
芽衣は、わけがわからずにナールやエイラのほうを見た。だが、彼らも同じように困惑していた。
「アライン、それってどういうことなの……?」
アラインがなぜ苦しんでいるのか知りたくて、芽衣は思いきってその問いを口にした。
聞くべきではないかもしれないとも思った。聞き出すことは、アラインの傷を手酷く暴くことになるかもしれないと。
それでも、芽衣はアラインを悲しみの中にひとりきりにしておきたくなくて、その身体を抱きしめた。
「……デュイデ・スコージナムとは、森を守る者にわれが授けた名だ。かつて、この国を守ってくれとわれに頼んできた友に、授けたものだ」
「それってつまり……シアルマは、アラインの友達の子孫ってこと?」
「そういうことだ。……デュイデ・スコージナムの名を持つ者は、代々聖森を守る立場にあり、それが高じて国を導く王族になったのだが、長いこときちんと約束を守ってくれていたのだ。だから、これから先も、未来永劫この約束は守られていくものだと思っていたのだ」
アラインは、静かに涙をこぼしていた。
信じていた者に裏切られ、傷つけられ、それを受け止められずに泣いている。
嗚咽に震える身体を抱きしめられながら、芽衣もその悲しみに寄り添おうとした。だが、到底わかるはずもない。
芽衣も恋人と友達に裏切られたが、その悲しみなんてアラインのものと比べれば些末なことだ。
アラインはずっと、友とその子孫のことを信じてきたのだ。それこそ、聖森の守り人が、王が、何代も何代も入れ替わり引き継がれるあいだ、ずっと。
友と同じように彼らの子孫のことを大切に思ってきたのだろう。それを裏切られるというのがどのくらいの悲しみなのか、想像することもうまくできない。
「われの友は、心優しき青年だった。穢れが多く、またそれを浄化するための森の力がまだ十分ではなかった頃から、世界のために心を痛め、祈っているような男だった」
すすり泣きの合間に、アラインはかつての友との思い出を語った。話すことで楽になるならと、芽衣も黙ってそれに耳を傾ける。
「われが初めて降り立ったとき、この国は人が暮らすのに適した場所ではなかった。元々瘴気が濃かったり穢れを溜め込みやすかったりする場所というのはあるのだ。それでも、そこに生まれたからにはそこで生きていかなければならない。だから、友はこの世界を浄め、住みよい場所にしたいと言っていたのだ」
その友との思い出は、美しく楽しいものだったのだろう。先ほどまで泣いていたのに、アラインは少しずつ落ち着きを取り戻していった。
その身体はもう震えておらず、呼吸も安定しているのが、抱きしめた背中から芽衣にもわかった。
「われら竜は、自身が住みよいようにその場を作り変える性質を持っている。友は賢くてそれを知っていたから、われに頼んだのだ。この国を緑と水に溢れた場所にしてほしいと。現れたのが火竜でなく、われだったのは幸運だったと。竜の姿のわれを見ても物怖じせず、それでいて真摯に頼むのが面白くてな……われは、力を貸してやることに決めたのだ」
言いながら、アラインは聖木を撫でていた。無惨に切られたその断面を、枯れて乾いた幹を。
「ただ、環境を作りかえるということは、その場に根を生やすということだ。己の体を分け与えるということだ。われはそれだけ力が弱くなり、無防備になる。それに、浄化を終えてからは力尽きて、長い眠りにつく。そのあいだ、友は守ると約束してくれたのだ。自分が死んでも、彼の子が、孫が、必ずわれを守ると。長きに渡って、友はその約束を守ってくれていた」
聞いていてつらくなって、芽衣はアラインの背にしがみついて顔をうずめた。
傷つき疲れ果てた彼を癒やし、なぐさめてやりたいと思うのに、その術を知らないのがもどかしくて。
「あの……それでは、聖木は……聖森はアライン様の体の一部なのだということなんですか?」
ナールが、おそるおそる口を開いた。
「ああ、そうだな。そのようなものだ。特に聖木はわれの爪のような、指先のような、そういったものだ」
「……何ということだ」
崇める神の体をこうきてむざむざ傷つけさせたということに責任や罪の意識を感じたのか、ナールは両手を握りしめ震えていた。その隣でエイラも、祈るように手を組んでいた。
その姿は許しを乞うようで、憐れだった。シアルマの罪は、ふたりをそんなふうにさせてしまうほど恐ろしいものだったのだ。
「こうして一部とは言え切り倒されてたのでは、力が出ないのと納得だな……」
アラインはじっと手のひらを見て、悲しそうに微笑む。そこには、恨みも憎しみもない。あるのは、静かな諦念だけだ。
「聖木が切り倒された状態では、この場の浄化は難しいですか?」
あきらめた、それでも希望にすがるようにサイラスは尋ねる。
「そうだな。浄化の光を広げるためには、この世界のものでない命が必要だからな。そのための聖木だったのだ」
アラインの言葉を聞いて、芽衣は唐突にひらめいた。
自分は、聖女は、何のためにここにいるのかということを。
だから、気がつけば口を開いていた。
「私が、聖木の代わりになればいいんじゃないの?」
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