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第四章 黄昏の森4
言った本人も驚いていたが、それ以上に当然、聞かされたほうは驚いた。
「メイ、あんた何言って……」
「私、気がついたの。ネメト教って、森とか蛇とか“繰り返すもの”を大切にしてるでしょ? それって、私の中っていうか、女の人にもあるなって思って」
エイラの言葉をさえぎって芽衣は説明するが、エイラたちの困惑は深まるばかりだ。
ただひとり、アラインは真剣な表情で芽衣を見つめている。困惑はしているようだが、それだけでなく悲哀や淡い期待もにじんでいる。それを見て、芽衣は正解を導き出したのだと確信した。
「ほら、女の人って、毎月繰り返す体調の変化があるでしょ? あれがあることで女性は月にたとえられることがあるし、あれ自体が月のものって呼ばれたりするから、満ち欠けを繰り返す月とそれになぞらえた女性ということで、私は聖木に代わる依り代になれるんじゃないかと思ったんだけど……」
最後のほうは若干自信をなくしながら芽衣は言った。こういったとき、この手の知識が豊富だったなら、もっと説得力のある説明ができたにちがいない。だが、芽衣のは単なる勘と思いつきだ。
「……アライン様、メイ様の言ったことは本当ですか?」
アラインの態度の変化に気づいていたのは、芽衣だけではなかった。ナールは必死な様子でアラインを見つめている。
彼はネメトの神官としてこの森の惨状を憂い、責任を感じているから、どんなものにもすがりたいと思っているのだろう。
「どうなのですか?」
「それは……たしかにメイの言ったとおりだ。だが、われはそのようなことをメイに強いたくない」
「ですが……!」
苦悶の表情を浮かべるアラインに、なおもナールは祈るように訴える。だが、サイラスがそれを制した。
「いい加減にしろ! ……いつまで竜と異界の娘から搾取を続けるつもりだ」
「そんな……」
「神だ聖女だと都合のいい名で呼びながら、我々人間は彼らに何を与えた? 頼り、すがり、奪い続けただけだ。その上、最低限の約束すら守らなかった。それでなお、助けを求めるのか? …いい加減に、そんなことはやめるべきなんだ!」
サイラスは怒気をはらんだ声で叫んでいた。その叫びに、必死だったナールも反論することができない。反論すれば、ナールはネメトの徒としても、人としても何かを失うだろう。
サイラスの言っていることは正しい。だが、それでも深く傷ついた様子のナールとエイラを見ると、芽衣はかばってやりたくなった。
「サイラスの言ってることは正しいよ。でも、やったのは今生きてる人たちじゃないよ」
「誰がやったのかということを言えば、もちろんそうです。ですが、責任を取るべき者がいないのなら、なおさら今生きている私たちが取るしかない。アライン様のこの千年以上の時間は、我々に奪われた千年だ。それを知って、なお奪われることをメイ様はどう思うんですか?」
サイラスは、今度は芽衣に尋ねた。その口調に責めるところはない。だが、まっすぐに問われているのはわかる。
芽衣の思いをサイラスは知っている。だから、アラインを愛する者として尋ねられているのだ。
それがわかって、芽衣はすぐに返事ができなかった。
「われは、奪われたなどと思ったことは一度もない。与えたのだ。われが好きでやったことだ。われは人間という生き物が好きで、それで手を差し伸べてやりたかっただけなのだ」
おもむろにアラインは立ち上がると、背中に張りついていた芽衣を引き寄せ、抱きしめた。守るような、慈しむような、そんな優しい手つきだ。
「われは奪われたとは思っていないが、奪いたくないとは思う。……何も与えてやれないのに、メイから何も奪いたくない」
そう言って、アラインはかたく芽衣を抱きしめる。
そうやって抱きしめられると幸せなはずなのに、思いやってもらうのは嬉しいはずなのに、芽衣の胸は軋(きし)んだ。
アラインには与えたいし、奪われても構わないとさえ思うのだ。そのことに、芽衣は気がついた。
「私だって、奪われるなんて思ってないよ。私は、アラインの番(つがい)だもん。番って、この世にただひとりと決めて、気持ちを傾ける相手の事でしょ? だから、それは私にとってはアラインのことだよ」
抱きしめられていて顔が見えないのをいいことに、芽衣は自分の思いを告げていた。
本当は、伝える気などなかったのに。祭りの夜は、弾みで口にしてしまっただけだ。
アラインの心にはシャリファがいる。ずっと、ずっと。歴代の聖女の中で、彼女だけは別格なのだ。
それがわかっているから、言わないつもりだった。
「アラインの役に立ちたいの。あなたに必要とされたい。だから……二番目でいいから、私を好きになって」
自然と口からこぼれた言葉に、こういうことだったのかもしれないと芽衣は腑に落ちた。
芽衣はずっと、相手がいる人に思いを寄せる気持ちがわからなかった。ましてや、告白して関係を進めようなどという行動は理解できなかった。
だが、今なら少しわかる。
相手に思う人があったとしても、好きでいる気持ちが止めようもないということは。
(浮気も略奪もやっぱり許せないけど、好きな気持ちは止められないっていうのは、わかった……)
切なくて、胸がいっぱいで、芽衣はアラインの身体にしがみついた。好きな人の腕の中にいるという幸せだけを噛みしめようと、そう強く思いながら。
それなのに、アラインは芽衣の肩をつかむと、その身体を自分から引き離した。
拒絶されたのかと、芽衣の身体は強張る。だが、直後にそうではないとわかった。
「……二番目などと……シャリファの代わりなどと思ったことは一度もない。そなたはわれにとって代えのきかぬ、唯一の存在だ。われは、そなたをそなたとして愛している」
そう言うと、アラインは再び芽衣を腕の中に閉じ込めた。これまでとはちがう抱き方だ。
その容赦のない腕の力に芽衣は困惑したが、それ以上に喜びのほうが勝っていた。
今度は嬉しい気持ちと困惑で、芽衣の胸はいっぱいになる。
「あ、アライン……私のこと好きって、本当……?」
芽衣は身をよじり、信じられない気持ちでアラインを見つめた。そんな芽衣を、アラインは甘い笑みを浮かべて見ている。
「嘘をついて何になるという。われは、そなたの明るさや健気な様子にいつも救われていた。われに向けるその無垢な笑顔を愛しいと思うようになって、不思議はないだろう?」
「……うん」
頬を、髪を、やわらかく撫でられながら言われれば、芽衣は反論することはできない。嬉しすぎて信じられない気持ちは拭えなくても、それを信じたいという気持ちも強くわきあがってくる。
「われのことを思ってくれているというのなら、われがそなたから何も奪いたくないという気持ちはわかるだろう?」
優しい笑みを浮かべたまま、アラインは諭すように言う。
先ほどの、聖木の代わりになるという話題に戻ったのだと気がついて、芽衣は首を横に振った。
「奪われるわけじゃないよ。だって、私が望んだことだもん。私、アラインの役に立ちたいし、アラインが大切にしてきたこの世界のために何かしてあげたい。……このままだったら、アラインは苦しいでしょ? 後悔するでしょ? 私、そんなの嫌だから」
「……メイ」
アラインは眉根を寄せて泣き笑いのような表情をして、最後には笑った。あきらめたというような、覚悟を決めたというような、そんな表情だ。
「われはそなたに、何もしてやれないのに」
「そんなことないよ。あの日、川で溺れてそのまま死ぬだけだった私を助けてくれたのはアラインだもん。……それにね、何かをしてほしくて好きになるわけじゃないよ」
言いながら、芽衣はすとんと何かが胸に落ちるように感じていた。
誰かを思うのは、見返りを求めてのことではない。その相手に何かしてやりたいと思うのも、それと同じだ。
アラインがこの世界のために見返りなく力を貸してやりたいと思ったのと同様に、芽衣もアラインを助けたいと思った。
「メイ様、いいんですか……?」
サイラスが、不安そうに尋ねる。旅を始めたばかりの頃の、さっさと終わらせてほしそうにしていたのと同じ人物の 態度とは思えない。
「いいの。私、せっかくこの世界に縁あって来たのに、まだ何もしてないもん。聖女としての役割を、きちんと果たしたいの」
変わったのはサイラスだけではない。
この世界に来たばかりのとき、何でこんな目にあうのだと地団駄を踏んでいたような芽衣は、もうどこにもいない。
「メイ、本当にいいのだな?」
改めてアラインに聞かれ、芽衣は黙ってうなずいた。
「では、始めようか」
「え……ここで?」
「……おそらく、そなたが思っているようなことではない」
「え……?」
赤くなり戸惑う芽衣の下腹部に触れ、アラインは微笑んだ。それでもなお、何をされるかわからない芽衣は、ただ身を硬くする。
「気を交わらせるだけで、身体の交わりをするわけではない。だが、身体の交わり以上にわれを深く受け入れるつもりでいてくれ」
「はい……」
アラインに触れられた部分が、あたたかくなっていくのを芽衣は感じていた。だが、そのあたたかさはやがて熱に変わって行った。
熱を持ったそこは、煮えたぎるような感じになっていく。グツグツと血が沸き立つような、そんな感覚だ。
それに加え、腰が、脚の付け根が、バラバラに砕け散りそうに痛むのだ。
あまりの痛みに、脂汗が全身から吹き出した。
「……アライン……痛い……こわい、よぉ……」
悲鳴をこらえて芽衣が発した言葉を、アラインは口づけでふさぐ。
苦しむ芽衣を前にアラインもつらそうにするが、そうしてやるほかに慰めてやる術を前に持たない。
痛みをこらえるために、芽衣は熱く激しくアラインの唇を求めた。息をつくまも惜しんで、ただアラインの熱を求めた。
アラインとそれに応えるように、深くまで芽衣に愛を注いだ。
そうしてふたりが深くつながりあったとき、芽衣の身体から光があふれ始めた。
アラインが触れている部分、下腹部のあたりからだ。
光は小さな粒となって、空へと舞い上がっていく。そして弾け、キラキラ瞬いて、薄暗い森を照らしていく。
それは、生命の光のようだった。死に絶えた森に、生命の気配がかすかに戻ってくる。
穢れが、少しずつ浄められていくのがわかる。
光があふれていくごとに、芽衣の身体の中の熱は引いていく。
それにともなう生理的な反応なのか、それとも目の前の神秘的な光景に触発されてのことなのか、芽衣の目から熱い涙がこぼれた。
「メイ、よく耐えた」
「アライン……」
唇を離し、アラインは芽衣の頭を撫でた。ほっとしたのと、やり遂げたという達成感で、芽衣はさらにポロポロ泣いた。
「メイ、ありがとう……アライン様も」
膝をついて祈りの姿勢で見守っていたエイラが、そばまで来て芽衣の手を握り、その涙を拭った。
「我々は、おふたりに何と感謝を申し上げたらいいんでしょう……本当に、本当にありがとうございます」
「そういう他人行儀なのやめて。もっと普通にありがとうって言って」
「では……メイ様、えらいです! ほんとうに、よく頑張ってくださいました!」
恐縮するナールに芽衣がすねてみせると、彼は今度は思いきり頭を撫でてきた。アラインの手つきとはちがう乱暴な感じに驚いたが、心からほめてくれているのだとわかって、くすぐったくなった。
「浄化は、痛みをともなうことだったのですね。メイ様、ありがとうございます。アライン様も、このようなことを千年以上も続けてくださっていたのですね。……本当に、感謝してもしきれません」
サイラスは膝をついて礼の姿勢をとった。おそらく、最上位の礼なのだろう。出会ったときの慇懃無礼な感じではなく、心からの敬意がこもった礼に、アラインも表情をやわらかくした。
「最後の聖森の浄化が終わった。残す役目も、わずかだな」
芽衣の髪を指先で梳きながら、アラインは微笑んだ。その笑みは、消え入りそうに儚い。
それを見て芽衣が不安になったとき、アラインの身体がほのかに輝きだした。
洞窟で出会ったときと同じ、美しい光だった。
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