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【サンプル】
「キース様、なにかあったんですか?」
キース様は少しためらっていたが、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「何年か前に、ここを訪れたことのある男が来た。綺麗な顔をしていたから覚えていた。たしか、大叔父が同じ客は寄越さないと言っていたが、例外だったのかもしれない。その男に、授かった子が三歳になったから、弟か妹が欲しいと言われた。同じ種から生まれるなら、それは立派なきょうだいだからな。子供の写真を見せられ、急に怖くなった。……黒髪の子供は、俺の幼い頃にそっくりだった」
語尾が震えている。たまらず傍に行くと、縋り付くように抱きつかれた。こんなに怯えているキース様は初めてだ。
「キース様」
「はじめて客を断った。自分の知らないところで、俺の子が育っているなんて、考えもしなかった。種を与えることは子供が出来るということなのに。……俺は命じられるままに、とんでもないことをしていたんだな」
最後のほうは、喘ぐようだった。
上体を支えるように抱きしめる。この人は今、後悔に押し潰されそうになっている。どうすれば、いつもの朗らかな彼に戻ってもらえるのだろう。
「オメガのお客様が欲しいと望んだから、子供が生まれたんです。キース様じゃなくても、だれかの種が必要だったんでしょう」
「俺じゃなくても……?」
救いを求めるような声がして、僕は堪(たま)らなくなった。抱きしめる腕に力を込め、彼に責任が行かない理由を探し出す。
「キース様のせいじゃない。大叔父様の手配が間違っていたんです。一度きりの関係のはずなのに、継続を求めるのはルール違反です」
自分の紡ぐ言葉が正解なのか分からない。ただ、これ以上自分を責めてほしくなくて必死だった。追い詰めると、自傷行為に繋がってしまうのではないかと思ったのだ。
「キース様は充分苦しんでいます。もう、ご自分を許してあげて下さい」
「カイ……!」
キース様が体を預けてくる。
「どうして分かるんだ? 苦しい、つらいんだ。暗い底なし沼に沈んでいく気がする。助けてくれ」
「大丈夫です。僕はここにいます。魔物が来たら追い払いますし、怖い夢を見たら起こして差し上げます」
自分より大きな背中を、何度も宥めるようにポンポンと叩く。少し落ち着いたキース様が、一緒に眠ってほしいというので寝台に横になった。
眠れないと言われ、頓服として医者から出されている白い錠剤を渡すと、しばらくして寝息が聞こえてきた。睡眠薬なんて、体に悪いとばかり思っていたが、これほど興奮しているときには必要なんだと思えた。
翌朝は、早く目覚めてしまった。もう一度眠れそうになくて、しばらく窓を開けて空が白んでいくのを眺めていた。
隣では、健やかな寝息を立てて主人が眠っている。いつも僕を優しく包み込んでくれるキース様が、幼子(おさなご)のように取り乱していた。よほどショックだったのだろう。
(キース様は僕が守る)
【1巻サンプルここまで】
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