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そこは私の指定席
図書室の専門書奥の机。そこは、この私中川紫穂の指定席……の、はずだったんだけど。
誰かが机に突っ伏して眠っていた。
指定席といったって、予約制度があるわけじゃないし、誰でも使用可能だからおかしなことじゃない。けど一年半使っていて、埋まっているのを見たことがなかったのだから、やっぱり驚きだ。
このもの好きはだぁれ?
首を傾げながら、なんとなく顔を覗き込んでみた。
口元は腕に埋まって見えないけれど、長くて量の多いまつ毛のついた目元はばっちり観察。
知った顔だ。友達でも知り合いでもない。けど私は知ってる。
バスケ部のキャプテンでスコアラーの皆守先輩。ポジションはシューティングガード。アウトサイドからのシュートを武器としていて、中でも0度からのシュートの成功率は極めて高い。
しかしなぜそんな皆守先輩がここで睡眠中?
もう7月で、そろそろ夏の大会の予選も始まる。それに先輩は3年生。負ければ即引退の大事な試合になるはずだ。
「たっくんは部活行くって言ってたよね~」
たっくんこと新井田孝人は、クラスメイトのバスケ部男子。その彼が、今日は部活だとワクワクして、ついでに授業も聞かずに居眠りもして先生に怒られていたのはついさっきの授業中のこと。
うん、やっぱりおかしい。主力メンバーである皆守先輩がここで寝ていて良いわけない。
起こした方が良いのかな? 寝坊して練習不参加とか笑えないし。
そんなことを考えていた矢先、胸に落ちていた髪をグイッと引っ張られた。
――わっ!
図書室なので、叫び声は心の中で留めておく。
「んだよ……。かゆいな」
「あー、ごめんなさい」
どうやら気付かないうちに、髪が先輩の手に当たっていて、起こしてしまったらしい。
「誰? あんた」
あくびしながら先輩が言う。
「ただの通りすがりです」
「通りすがってないじゃん。結構ずっと俺のこと眺めてたろ」
「えー、狸寝入りしてたんですか?」
気付いていて知らんぷりしてたのか。あれ? ――ってことは。
「寝過ごしたわけじゃないんですね。部活行かないんですか?」
そう聞いた瞬間、先輩の表情が猛烈に変わる。眉間にしわが寄り、うんざりとした顔になったのだ。
「俺のこと知ってんの? なに、ファン?」
皆守先輩には、数多くの女性ファンが付いている。だからまぁ、その勘違いは分からなくない。
「別にファンじゃないです。むしろ不安です」
「意味が分からないんだけど」
「もうすぐ大会なのにこんなところでサボってるキャプテン抱えて、バスケ部の行く末に不安を感じているんです」
ピキッと音がしそうだった。私じゃなくて、先輩の方。
「部外者にんなこと言われたくねーんだけど。つーか、あんたそのリボンの色、2年だろ。もう少し先輩に対して敬意を持ったらどうなんだ」
私の胸に下がるリボンの色は深緑。私たちの学年カラーだ。持ちあがりだから、毎年買い替える必要もない。
今年は1年生が深紅、私たち2年生が深緑、3年生が紺のリボンやネクタイ、上履きを使用している。
「えー、重要な試合を前に練習サボっちゃうキャプテンには、いくら年上でも敬意を払えませんって。敬語で話してるだけありがたいと思ってくださいよ」
「初対面でこんなに馬鹿にされたのは生まれて初めてだ」
「……それは勘違いですよ」
初対面じゃないし。
「つーか、俺は別にサボってるわけじゃない」
グイッと右手を突き出される。中指と薬指がまとめて包帯でぐるぐる巻きにされていた。
「怪我?」
「そ。中指骨折」
「シューターがなにしてるんですか」
スポーツに怪我は付きもの。バスケだって例外じゃない。だから絶対に怪我をするなっていうのは無理な話だけど、さすがに自分のポジションを考えて欲しい。ロングシュートを使った点取り屋が、手を怪我するなんて……。
「あんたの言う通りだよ。この手じゃ、シュートが入りゃしねー。それどころか打つのすら無理だ」
「治るんですか?」
「折れっぱなしの人間っていないだろ。時間が来れば治るっつーの」
「じゃなくて、次の試合までに治るのかって聞いてるんですよ」
「……あんたには関係ない話だ」
あぁ、もう。それは治らないと言っているのと同じでしょ。
「先輩の怪我の程度はいいとして、部活出ないのは話が別ですよ」
「俺に指くわえて、ほかの連中の練習見てろっていうのか?」
「くわえても治りませんよ。別に見てないで参加すればいいじゃないですか、手以外は問題ないんでしょう? なら、筋トレや基礎体力向上のメニューは参加できるんじゃないですか?」
先輩はふてくされて横を向く。
「そんなの参加してどうするんだ。試合に出られない可能性が高いのに、練習したって意味がない。それにあんたは知らないだろうが、次の試合がおそらく俺たち3年生にとって最後の試合になる。もう……意味がない」
なんて典型的な腐り方。年上に失礼だけど、非常に情けない。
「うじうじしてて、ムカつくな」
「は?」
「あぁ、いえ、なんでもありません」
まずいまずい。つい本音が漏れてしまった。
「本当に意味がないと思いますか?」
「そりゃあ……」
「分かっていないようなのではっきり言います。意味はあります。皆守先輩はただコートで点を取るだけが仕事じゃないでしょう。キャプテンとしてチームを引っ張る責任だってあるはずです。プレイヤーとしてコートに立つだけが、先輩の存在意義ではありません」
「つったってよう……」
「逆に想像してみてください。最後の大会にキャプテンが姿を見せないことがどれほど周囲に悪影響を与えるか」
「っ!」
やーっと、分かったらしい。なんなのかなこのバスケ馬鹿。ここまで言わないと気付かないとか。
「分かったんならとっとと立ち上がって、部活に行ってください。ほら」
立ち上がるように促して、先輩の背中を手で押す。ほれ、グイッと。
代わりの私が素早く座る。やだ、椅子が熱い。
「あー、やっと席が空いた」
「空いたじゃねーよ! 人のことどかしてんじゃねー!」
「先輩にこんな言い方して良いのか分からないんですが、ここがどこだか分かってます? 図書室です。感嘆符はしまってください」
「……」
無言で睨まれている。
頭は悪いみたいだけど、常識はあるらしい。問題はその常識をすぐ忘れてしまうところだな。
カバンから教材と音楽プレイヤーを取り出す。参考書とノートを広げ、イヤホンを耳に入れて準備完了。
そうして集中して勉強し、ふと気が付いたら日が落ちるところだった。すでに周囲に人影はなかった。
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