第1話 花嫁の儀式

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第1話 花嫁の儀式

 ――――昔々、星降りの谷に一匹の大きな竜が住んでいた。  人々は、鳥達よりも遥か上空を駆けるその大きな竜を天空の神(ティニア)の化身、星屑の竜として崇めていた。  日照りが続き、作物が育たなくなると人々は天空の神(ティニア)に花嫁を捧げる。星降りの谷に処女の娘を捧げ、星屑の竜が娘を気に入れば、天から恵みの雨が降り注ぎ、人々は飢餓を乗り越える事ができる。  刺繍の施された美しいドレス、首には木の実で作られた首飾りが沢山つけられていた。綺麗にお化粧を施されて、ようやく美しい生贄の姫君が出来上がる。  星降りの谷へ捧げられた娘は、星屑の姫君として人々に口承されて行く事になる。  貧しい村から選ばれたクロエもまた、同じ運命を辿るのだろう。 「クロエ、準備は出来たか。そろそろだ」  村長の言葉にクロエは肩が震えた。天空の神(ティニア)の花嫁なんて、聞こえは良いが人身供養の生贄でしかない。  年老いた祖父母に育てられ体の不自由な彼らの為に働き、伴侶を持たず、恋人も居ない若い娘に拒否権などは無くこの日を迎えてしまった。  紫水晶(アメジスト)の瞳を伏せると、立ち上がり背後で涙を流す老夫婦を振り返った。 「おじいちゃん、おばあちゃん、村の人達皆が私の代わりに面倒を見てくれるからね。なにか困った事があったら村長や皆を頼ってね」 「あぁ、クロエ……まさか、星屑の姫君に選ばれるなんて。お前は優しい子だから、きっと天空の神(ティニア)に愛される事だろう」 「婆ちゃんがお前の代わりになれたら良かったのに……うう、クロエ……愛してるよ」  腰の曲がった祖父は、涙ぐみながらそういってクロエの手を取ると撫でた。祖母は別れを惜しむように背中を撫でるとハンカチで涙をふいた。クロエは涙を見せないように笑うと、二人を抱き締めた。  ――――もう二度と、二人には逢えない。私は今日谷底に落ちて死ぬのだ。  再び、テントを覗いて促す村長を見ると二人の方は振り向かずに外に出た。花道を作るように、正装姿の巫女(シャーマン)達が両側に立ち並び、一斉に此方を見た。彼女達の手元には花弁が溢れんばかりに入った手編みの篭。  星屑の姫として命を落とす娘の手向けの花が入っていた。そして口々に、古来より伝わる歌を歌っている。  見物人の村人には悲壮感はなく、この儀式を最後の希望を託すように、縋るような眼差しで興味深く見守っていた。  それもその筈、長い間豊かだったこの土地では儀式は執り行われていなかったが、この飢饉で保存食も後僅かとなり、遂に万策尽きて迷信に頼るしかなくなってしまった。  足が竦みそうになるが、逃げ場等無く崖まで歩いていく。美しい花弁が空中に舞って花嫁の体に降り注いだ。  遂に、崖のぎりぎりまでくると足を震わせながら座り込んでしまった。下から吹く風が花嫁のヴェールを吹き飛ばし、そこは聖なる谷とは名ばかりの巨大な穴で、光の届かない程底が深く闇に包まれていた。下からは鳥達の囀りが響き渡っている。一度ここに落ちたら這い出す事など出来ないだろう。  神妙な顔付きで村長が、クロエの腕を掴むと立ち上がらせ此方を向かせた。 「あっ……」 「すまないね、クロエ。爺様と婆様の面倒は責任を持って私達が見ていくよ……皆のためだ、どうか、私を恨まないでくれ」 「…………」  泣き叫ぶ気力も無く、クロエは自分の両胸に手を当てた。きっとあの穴の底に叩きつけられたら、痛みも感じる間もなく自分は天に召される。  祖父母の言う通り、天国で神様に愛されるかも知れない。半ばなげやりな気持ちになった。きっと死ぬ寸前までは空を飛ぶような心地よい気持ちになっているに違いないのだから何も恐れる事はない。  神の花嫁になるのだから幸運な事なのだ。  目の前で村長が目を閉じ、古い書物を手にすると目をつむり唱え始めた。 「星屑の竜(ティニア)よ、私達は貴方様の忠実な下僕、穢れなき処女を星降りの谷へと捧げます。新たな星屑の花嫁をお娶り下さい」 「――――!」  その言葉が終わると、トン、と体を押され華奢な体が空中を舞った。大きな丸い穴から降り注ぐ幻想的な太陽の光り、自分を追って舞い散る花弁がまるで、蝶々のようにヒラヒラと舞ってとても幻想的だ。死ぬ直前の風景にしてはあまりに美しくて、どんどんと下へと落ちていくのに恐怖を感じなかった。  だが、意識は徐々に薄れていく。  不意に、風を切るような羽音がしたかと思うと背後から誰かに腰を抱かれるような感触を感じた。クロエの記憶が完全に無くなる前に見た男性(ひと)は思慮深い蒼の瞳を持つ人だった。 「貴方、誰……星屑の竜(ティニア)……?」 「……………………」  深い穴に響く甲高い鳥達の声、太陽の光に彩られて、ヒラヒラと舞い散る花弁を見上げていた青年は腕にクロエを抱きかかえていた。  背中には大きな黒い蝙蝠の羽、雄々しい二本の角、襟足の長い金髪がまるで竜のヒレのようにも見えた。空から落ちてきたクロエを静かに見つめると、無言のまま光の届かぬ場所へと向った。    
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