薄い狂気

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薄い狂気

 なんの解決策も見つからないまま、一週間が過ぎた。 「今日は抹茶クッキー作って来たんです~。みんなで食べましょう!」  放課後の理科室に鴨川さんの明るい声が響く。  確か昨日がマフィンで、一昨日がプリンだった。  私と鴨川さんに異変がないかを確認するため、毎日真田くんは問診する。せっかく集まるんだからと鴨川さんがお菓子を作って来てくれるようになったんだけど……。 「あれ? 茂木先輩、抹茶嫌いでしたか?」 「ううん、そうじゃないの」  毎日作ってくれる鴨川さんには悪いけど、出されるままに食べてたら……デブまっしぐら! 「でも今日はいいや」 「何か体調に変化でも?」  すかさず真田くんが聞いてきた。 「体調は……変わらないかなー」  変わるのは体重だ。 「貰わないなら、俺が食うぞ」  私の目の前に置かれていた可愛い包みのクッキーが、横から伸びてきた手に持っていかれた。 「……どうぞ」  ……なんでこいつまで居るんだろう?  今回の件に一切関係ないんだけど、咲弥は毎日この会に参加してる。なんでも、「ここまで知っちまったからには放り出せない」だそうだ。よく意味が分からない。 「あ、わたし教室に忘れ物して来ちゃいました! ちょっと取ってきます」  鴨川さんは慌てた様子で立ち上がり、小走りで理科室を出ていった。残された私と咲弥と真田くん。  ……会話がない。  私としても、どっちかと二人なら普通に喋れるけど、二人と同時に話すのは難しい。 「ねぇ」  意外なことに、この場で一番口の重そうな真田くんが、話し始める。 「ずっと聞きたかったんだけど、なんで伊坂までいるの?」 「あ?居たら悪いのかよ?」  ……咲弥、ガラ悪い。  別に不良ってわけじゃないんだけど、おとなしい雰囲気の真田くんとの対比でだいぶ不良寄りだ。 「悪くはないけど、わざわざ自分に無関係なことに時間を割いていることに疑問を感じる」  なんで、と首を傾げる真田くんが可愛い……。男子高校生をかわいいと思わせるなんて、惚れ薬恐るべし! 「悪くねぇなら、ガタガタ言うな」 「悪くはないんだけど、……いや、悪いのかもしれない」 「……何言ってんだ」 「もし伊坂がここにいる理由が、茂木さんに好意があることに由来する心配のせいだったら悪いな、って思って」 「は?」  急に自分の名前が会話に上り、私は思わず声を漏らした。その声は同じく声を上げた咲弥のそれとピッタリ重なる。  好意って……咲弥に限ってそんなものあるわけがない。家が向かいなだけのただの幼馴染だし。 「ほんと、お前、大丈夫か?」 「僕は通常通りだよ」 「あー……ま、真田の通常は他の人間の異常なんだが……」 「で、どうなの? 伊坂は茂木さんが心配だから来てるの?」  咲弥が小さく言った言葉は無視して、真田くんは話を戻す。 「な、なんでお前にそんなこと言わなきゃなんねーんだ!」 「もしそうなら謝ろうと思ってるし、そうじゃないなら理由が聞きたい」  ブレることのない真っ直ぐな視線が咲弥へと注がれる。  私はというと、二人のやりとりが面白いので黙って見ていた。咲弥が私を好きだなんて、なんて面白い冗談だろう。 「謝らなくていい! 別に俺は麻美の心配なんかしてねぇし、ただ……惚れ薬ってのがどんなもんなのか興味あるだけだ!」  ……だろうね。私も心配されたいとも思わないし。 「そう、なら良かった」  咲弥の言葉に、真田くんが表情を和らげたその時、理科室のドアが開き鴨川さんが姿を見せた。 「おかえり」  そう言った真田くんに満面の笑顔を返した鴨川さんは、ふと視線を咲弥に移した。 「……んだよ?」 「いーえ……」  言葉とは違い、鴨川さんの視線は咲弥に止まったままだ。  鴨川さんと咲弥が、まるで視線を逸らした方が負け、とでも言わんばかりに見つめ合う。 「だから、なんだよ! 言いたいことがあるなら、はっきりと言え!」  短気な咲弥はついにしびれを切らし、強めの口調で鴨川さんに言った。 「じゃあお言葉に甘えますけど……、伊坂先輩、茂木先輩のことが好きですか?」  もしかして、聞いてた? そんな風に思ってしまう。だってさっきのやり取りとまるで同じ内容だ。 「んなわけねーだろ!」 「えー……そんなはずないですよー。だって――さっき伊坂先輩が食べたクッキーには惚れ薬が入ってたんですから」  まさかの告白に、息を飲んだ。理科室に沈黙が訪れる。 「ほ、惚れ薬って鴨川さんが飲んだやつ?」 「そうですよ」  うわずった私の問いに、しれっとした顔で答えた鴨川さん。うーん……とんでもないことしてるのにすごいな。 「な、なななななぁっ?」  言葉も出ないか、咲弥。気持ちは分かる。惚れ薬なんて聞いたらそりゃあ動揺するよ。しかも相手は私らしいし。  ……あれ? 「咲弥が惚れ薬入りクッキーを食べたのはいいとして」 「よくねーよ!」 「なんで相手を私に指定できたの?」 「それはですね」 「おい、無視すんな!」 「咲弥、あんた惚れ薬に興味あるって言ってたじゃない。願ったり叶ったりでしょ。いいから黙ってて」  咲弥の声がうるさくて鴨川さんの声が聞こえないじゃない。  なんかまだぶつぶつ言ってるけど、とりあえず話に割って入ってはこなくなった。 「惚れ薬が体に馴染んで、一番初めに目にした相手を好きになるみたいですよ!」  なるほど。だから鴨川さんは一旦出て行ったのか。  私と鴨川さんに効果が出てる以上、この説明も本当なんだろうけど気になる点がある。 「体に馴染んでって、一体どれくらいなの?」 「さぁ? 人それぞれじゃないですか? わたしは結構すぐでしたよ。十分くらいだったと思います。先輩はどうでしたか?」 「私もたぶんそれくらい……」  咲弥が私の分のクッキーまで食べ終えたのはもう十分以上前の話。私と鴨川さんのケースから考えると、もう効果が出ても良いはずだ。 同じことを思っているであろう真田くんと鴨川さんも咲弥を見る。三人の視線を一身に受けた咲弥はたじろいだ。 「麻美を好きになんてなってねーからなっ!」  失礼な言葉だ。  まぁ、でも、意地になっているのが分かるし、何より別に咲弥に好かれたいとも思ってないからイライラはしないけど。 「なんで伊坂先輩には効果が出ないんでしょう?」 「この結果は興味深いな」 「ふざけんなっ!」  咲弥の一喝にから一拍おいて、静寂が訪れる。  わぁ、咲弥……本気で怒ってる……。 「大体なんなんだよ、人に妙なもん盛りやがって! どういうつもりだ!」 「えーっとですねー、なんていうか……わたしなりの聖先輩への協力です」 「僕への?」  真田くんが首を傾げると、鴨川さんはこくんと頷いた。 「サンプルが多い方が、早く解毒薬作れますよね!」 「無関係な俺を巻き込んでんじゃねーよ!」  その通りだ。惚れ薬を盛るのはやり過ぎだと思う。  机に両腕を乗せて手を組み、その上に軽く顎を置いて真田くんは目を閉じている。 「確かに、惚れ薬にどんな効果があるのか知るためには人数が多いに越したことはない。だけどその為に被害を広げたんじゃ本末転倒だ」  今度は私達三人の非難を含んだ視線が鴨川さんへと集中する。  ふにゃり、と鴨川さんの顔が歪んだ。 「ご、ごめんなさい……」  あ……謝るんだ。  小さな声で謝る鴨川さんの反応は少し意外に感じられる。  咲弥に睨まれたり怒鳴られたりした時には涼しい顔をしていたのに。 「ど、どうしても聖先輩の役に立ちたくて……」 「はっ。どうだかな。本心は自分が元に戻りたいだけだろ」 「そ、そんなことありませんっ!」  咲弥の嘲笑に鴨川さんの甲高い声が上がる。  涙目の鴨川さんを見ているとなんだか可哀想な気もするけれど、咲弥の鴨川さんを責めたくなる気持ちも分かる。事故である私とは違って、咲弥の服用は避けることができた事だ。 「いや……待てよ?」 「咲弥?」  咲弥の冷静な声に驚いた。今までの熱い声から一転して、理性の強い声音になっていた。 「その動機はおかしくないか? だってそうだろ。真田の役に立つってことは、惚れ薬の効果を消す為に動くってことだろうが……。惚れ薬の効果で真田に惚れている今、別にお前は薬の効果を失くして、真田を好きじゃなくなりたいわけじゃないはずだ」 「……そっか、そうだよね」  それは同じ薬を服用している私にも分かる。真田くんを好きなのが惚れ薬のせいだって聞いても、だからといって早く解毒薬を作って欲しいだなんて思わない。真田くんを好きなのに、その好きって気持ちが消えちゃう方が……よっぽど嫌だ! 「う、嘘じゃないです! 本当に……」 「お前、本当は」  咲弥は取り合わなかった。そのまま言葉を続ける。 「俺を麻美にあてがおうとしたな? 自分と同じく真田を好きな麻美を排除したくて」  咲弥の言葉に驚いき、目を瞠ったままで鴨川さんを見た。彼女は口を引き結び固い表情で、咲弥と私を見ていた。……ううん、見ていたというよりも睨んでいたといった方がより正確な気がする。それくらい鴨川さんの目つきは険しいものだった。  そうなんだ。たぶん、咲弥の言うことは正しい。  鴨川さんも反論しなかった。 「そうなの? 鴨川さん」 「聖先輩……」  あぁ、真田くんは残酷だ。  恋心に狂わされてしでかした悪事を暴かれた鴨川さんにとって、恋する相手の真田くんから駄目押しのように問われる事は、この上ない苦痛だろう。  けど、私にはそれを止める気にはならなかった。私もまた恋心に狂わされている人間の一人だからだ。  大好きな真田くんの恋人である鴨川さんの汚い面が、真田くんの目に触れることを私は楽しんでいた。同情的な瞳で取り繕った皮のすぐ内で、私はざまあみろとせせら笑っていた。  ……嫌だ。なんだこれは。  誰にも見えない心の内。だけど、私は、私自身は知っている。  ライバルが堕ちていくのを嬉しくてしょうがないと思ってしまう自分の醜さが――嫌だ! 「あの!」  胸が破裂するほどの自己嫌悪を感じた時、私は思わず声上げていた。 「ゆ、許してあげようよ」  ――恋による狂った行為を許してあげよう。 「鴨川さんだって、悪気があったわけじゃないんでしょう?」  ――可哀想な鴨川さんをせせら笑ったのだって悪気はなかった。 「それになんにしても、私と鴨川さんには解毒薬が必要なわけだし、一人増えても変わらないよ」 「……そうだね」  真田くんの同意を聞いて、ようやく力が抜けた。 「今更何を言ったところで、伊坂が薬を服用してしまった事実は変わらない。……悪いね、伊坂。無関係だったところを関係者にしてしまって」  冷静な様子で話す真田くんに、咲弥も怒りを収めざるをえなかったようで、息を吐きながら表情を緩めた。 「もういい。おまえの言う通り、食っちまったもんはしょうがねぇ」 「すまない。できるだけ早くなんとか解決方法を考えてみるよ」  その言葉を最後に、理科室には気まずい沈黙が下りる。二人に許された鴨川さんが洟をすする音を聞きながら、私もまるで自分のことのようにホッとしていた。
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