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「もしもし、藤沢ですが……。」
第六感に従って出てみた電話に名乗るが、返事は返ってこない。ガヤガヤというざわめきが聞こえてくるので、恐らく居酒屋だろう。ゴトンという音が聞こえたかと思うと、会話が鮮明に聞こえてくる。どうやらスマホを机に置いたのではないかと思われる。
『――だからぁ、孝司せんぱいは、藤沢せんぱいのことどう思ってるんですかぁ?最近そんなに会ってないんですよねぇ?』
『そら、汐は悪い訳じゃないんだけど、ぶっちゃけ物足んないよね。ついつい、他に手が伸びちゃう。』
『きゃーっ、孝司せんぱいのえっちぃ。セクハラですよぅ。』
『おー、怖。でもさ、満更でも無いだろ?』
『えー、じゃあ2人でフケちゃいますぅ?』
フケるってオヤジかよ、なんて声が遠くに聞こえてそのすぐ後に通話が切れたのと同じくして意識が遠くなる感覚を味わったのだった。
* * *
「で、藤沢さんはその電話だけで別れたの?」
「それだけ、って言われると弱いんだけども。でもね、間違いなく孝司の声だったし私の名前も出てたから……。」
「そもそも、その番号の主は誰?」
「わかんない、でも聞いたことある様な声だったかも……?」
磯貝くんは、はぁ、と疲れたように息を吐き出していた。確かに突っ込まれると弱いのだが、確かにあの時はそう思ったし、あの後別れを切り出しても引きとめられなかったのが全てだと思う。
磯貝くんは再度はぁ、と息を吐き出すと髪を掻き上げていた。横目にチラッと磯貝くんを盗み見る。磯貝くんはすらっとした長身で、私はちょっと見上げるか座らないと磯貝くんと目を合わせることが難しい。彫が深い少し外人さんよりのエキゾチックな素敵な顔をしている。一見冷たそうに見えなくもないけど、ふんわり笑ってくれて年相応か若く見えるというのは他の女性からも聞いた事のある評判だ。ダークブラウンのふわふわした髪に、前髪は6対4くらいに分けられていて、見るからにお洒落さんだ。紳士服には明るくないけど、スーツやシャツもお洒落で手を抜いているところを見たことがない。といっても、たまに会うだけだからわかったものではないけれど。
「藤沢さんは、思い込みが激しいところがあるからなぁ。」
「失礼な。今回は学習して問いただしたよ。」
「え、藤沢さんが問いただしたの?」
「そうだよ、でも名無しさんの電話から聞いた内容と変わらない答えが返ってきたの。」
そっか……、と何故か磯貝くんまで落ち込んだような声で返される。そんなつもりはないんだけどな、と何杯目になるかわからないビールをぐいっと呷った。
それからぽつぽつと話して、今日は解散ということになった。家まで送るという磯貝くんに甘えて、送ってもらう。申し訳ないので遠慮したいところだが、初回で押し切られてからは大人しく送ってもらうようにしていた。
「藤沢さんはさ、恋愛体質?」
「んー、そうでもないんだけどねぇ。今回もいいな、って思ってた人に告白されただけだし。」
「なら、僕はどう?」
ん?と返しながら、今言われた事を噛み砕いて考えようと必死に頭を巡らす。ぼくは、どう、って何がどうなんだろう。いや分からないほど鈍いつもりはないのだけれど、付き合って下さいと言われてどこに、と返したくなる気持ちが急に分かる様な気がした。つまり、自分でも何を考えているのか分からないし、磯貝くんに至ってはさっぱり分からない。
「ねぇ、藤沢さん。付き合う事、後悔させないよ。」
「いや、ね?磯貝くんにはかなり赤裸々に話してあるから、というかそんな女嫌でしょう?」
「それで嫌とか思ったこと無いし、それなりに藤沢さんのこと知ってると自負しているよ。それに……。」
「それに?」
「今、僕と付き合うともれなくお菓子が毎日ついてきます!」
いや、残業した日の次の日は難しいかもしれないけど、としどろもどろに話す磯貝くんに、なんだそれ、と思わず笑ってしまった。磯貝くんがお菓子作りが趣味で家事が特技でなんなら裁縫までこなす超人であることは知っていたけど、こんな滑稽な提案の仕方をする人だとは知らなかった。私は、別れて落ち込んでいると思っていたんだけど、磯貝くんのそんな提案に笑ってしまう程度には吹っ切れているらしい。いや、吹っ切れる前に冷めていたのかもしれないな、なんて詮無きことを考えながら。
不安そうな磯貝くんに、告げた。
* * *
「で、円満解決、ってワケぇ?」
「まあ、円満かは分からないけど藤沢さんとは付き合うことになったよ。」
「まったく、やきもきして仕方なかったんだから。」
「あの、私の前でそういう会話をするのはやめてもらえる?」
なんだかんだ銀ちゃんには心配をかけてしまったから、という磯貝くんの言葉に乗って銀ちゃんの元に訪れていた。そして磯貝くんが止める間もなくぶわーっと銀ちゃんが話し始めるには、どうやら磯貝くんは随分と前から私のことを想ってくれていたらしい。そんなことを今話されても、という落ち着かない気持ちになりながら、そっと磯貝くんの方へ向けば、肩を抱き寄せられた。
「今、汐が僕のところにいるからいいんだよ。」
「磯貝くん、恥ずかしい……。」
くすくすと愉しそうに笑いながら、銀ちゃんにいつもの2つと頼んでいる磯貝くんを訝しげに見遣る。2つということは、私にも飲めということだろうか。そして出てくるのは、いつもの綺麗な透き通るオレンジ色カクテル。
後に銀ちゃんになんとなしに聞いたら、磯貝くんがいつも飲んでいるカクテルの名前はアプリコットフィズ。カクテル言葉は『振り向いてください』、頬に熱が集まったのは気のせいだ。
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