グッバイ・マイベイビー

3/3
前へ
/3ページ
次へ
* 凪がセックスをしたい、と言ったのは、それが人間のする愛情表現だと知ったからだったらしい。 それならハグでも充分だよ、と秋葉が言ったところひとまず納得したのか、再び秋葉の脚の上で胴にくっつき腕をまわし、そのまま動かなくなってしまった。 より人間の行動に似てるから、という独特の理由で凪の上半身は相変わらず裸体のままだ。 ーーなんだか、おっきい赤ちゃんみたいだな… 凪のすこし皮膚に刺さって擽ったい髪を頬に押し付けられ、秋葉は手を伸ばし、あやすように背中を撫でた。凪の肌は少しひやりとしていて、体温が吸い込まれるような感じがする。 つっかかりが一切ない肌は見た目よりずっと滑らかで、人間の骨格に寄せた起伏も難なく指がすべっていく。 凪が秋葉の指に反応して、身を捩った。くすぐったかったのかと手を離せば、もっとやれ、という催促だったようだ。 「凪、猫みたい」 「…秋葉は体温がいつもより2度くらい高い」 「わかるの?」 秋葉が驚いて訊くと、凪が肩に埋めていた顔をあげた。声が近い。 「わかる。スキンに触れば勝手にスキャン出来るし、前々回のアップデートから希望個体にはサーモグラフィーも搭載されてる」 「…初耳だよ」 希望個体、ということは凪が自ら搭載して欲しいと要望したということだろうか。訊くと、凪は頷き、中学の時に秋葉が学校で熱を出しただろ、と言った。 「その時、俺は秋葉に触るまで異変に気付けなくて、だから触らなくてもわかるサーモグラフィーは必要だし、役に立つと思った」 近い距離で話す凪の声が、直接耳に吹き込まれる。そのいつも通りの簡潔な口調が、いつもより柔らかい雰囲気を帯びているような気さえした。 「今のところ、秋葉の体調は良好だ」 「ふ…そっか、ありがとう」 甘えたがりの猫のような態度と、いつも通りの硬い物言いがアンバランスに思えて、なんだか可笑しい。秋葉が髪に手を埋めて凪を撫でると、凪は僅かに腕の力を込めて応えた。 ーー人間の真似事なんてしなくても、凪はこんなに愛情表現が上手なのに。 凪は優しい。素っ気ないように取られがちな普段の態度も、本当は純粋なだけで、誰でも間合いを許してしまうのだ。 もし凪が、顔も知らない誰かに乱暴に扱われたりしたら。騙されて、したくもないことをさせられたりしたら。秋葉はきっとそんなことをした奴と、自分を許せない。 例えそんなことになったとしても、凪は秋葉のことを責めたりしないだろう。いつもと変わらない優しさで秋葉に触れて、そして人知れず傷を付けたまま日常を送ろうとする。そんな生々しい予感が余計に、秋葉の心をざわつかせる。 どうせいつか知ることなら、一思いに全部ぶちまけてしまおうか。いつか穢されてしまう純粋さが凪をいつか傷つけるものになりうるのなら──いっそ、自分が。 「秋葉」 名前を呼ぶ声に、秋葉の思考回路が切断される。至近距離の凪の瞳には、不安げな顔をした秋葉自身の顔が映り込んでいた。 「脈拍、呼吸共に不安定になってる。メンタルバランスがあまり良くないのかもしれない。『愛情表現』の副作用だろうか」 悪い、ありがとう、と言って離れようとする凪を、秋葉の手が咄嗟に捕まえた。 「ねぇ、凪」 声が震えて、息が浅い。気配だけで凪が焦っているのが解って、秋葉は不意に泣きそうになった。いつから秋葉は、こんなに凪に弱くなったんだろう。 「おれが、凪とキスをしたいって言っても、許される?」 鼻の奥に沁みるような感覚がして、視界の輪郭がぼやける。堰が切れる直前で、吸い込んだ空気と一緒に秋葉は口を塞がれた。 * 息が止まって、嗚咽が漏れて、また隙間を埋められる。 「ふ、…っぐ、ん…」 どうやら凪は秋葉の、キスがしたい、という言葉がどういう意味なのかを百点満点で理解したようだった。 それでも、いちど決壊した秋葉の目はなかなか収まらず、ひっきりなしに水をこぼし続ける。 「秋葉、もう泣くな。目が腫れてしまう」 「や……っ、もう泣いてない、っ、し」 顎に添わせた手の指で秋葉の頬を拭う凪に、秋葉がしがみつくように凪のうなじに手をやれば、凪は再び身を屈めて柔らかに顔を重ねる。秋葉が息をできるように、けれど今度は下唇を付けたままの距離を保って上から被さるように、絶え間なく秋葉の呼吸を啄んでいく。 「俺は、秋葉のものじゃない」 呼吸の狭間で、凪が呟く。秋葉の熱で温くなった凪の舌が口の端に柔く押し付けられて、口まで落ちてきていた水を舐めとった。 「それは、秋葉も」 「…わかってるよ」 いつの間にかしゃっくりも止まって、秋葉もすこし恥ずかしさが戻る。拗ねたような言い方になってしまったのがすぐに気まずくなって、秋葉は凪の身体に顔を埋めた。 さっき秋葉がやったのをまるまる真似るような手つきで、凪が秋葉の頭を撫でる。すこしだけ秋葉が顔をあげると、そのまま頬に残っていた涙を凪の手が掬った。 「でも、俺の言葉は秋葉のものだ。秋葉が全部俺に教えたから」 秋葉がようやく目を合わせると、安心したように凪の表情が緩む。はじめて見る、と秋葉が反射で思うほど、自然な笑顔だった。 「愛してる」 窓の外で、バイクが走り抜けるエンジンの音が右から左に遠のいていった。 * 凪が肩に緩く歯を立て、秋葉は小さく喉で声を立てた。凪の歯はつるりとしているけれど重みがあり、噛みつかれるとそれなりに痛い。 機械種は破損しても型番がわかるように、歯は特に精巧に作られているという話を聞いたことがある。人間に似せた仕様なのかもしれない。 汗をかいている、服を脱いだ方がいい、と言われて、秋葉はもうダメだった。さっき凪にそう教えたのは、秋葉自身なのだ。 「ふ、っ…は、ぁ」 凪は、初めて深く触る秋葉の感触を、ひとつひとつ確認していくような様子だった。腹の辺りを舌で這われて、思わず音が漏れる。語尾ばかりに圧がかかって、上手く力を分散させられない。 凪と下腹部との距離が、縮まっても遠のいても血流が早くなって、秋葉はどうしたらいいのか解らなくなりそうだった。 「な、なぎ……も、じゅうぶん、」 秋葉が途切れ途切れにそう言って自分より下にある凪の顔を見ると、凪はどこか嬉しそうな目をしている。秋葉は同時に映りこんだ視界で、凪の顔のすぐそばで、下穿きの制服ズボンが山を張っているのに気が付いた。 「は……なんで、おれ、こんな…」 なんで、と口で言いながら、これだけ興奮しているのを解っているのに、と頭では答えが勝手に返ってきた。もう思考がめちゃくちゃだ。 「秋葉、これ、射精しないとつらいんだよな」 脱がせる、と宣言した凪が、秋葉が制止する間もなく制服を下ろした。外気に晒された一瞬、腰が浮つく。 凪が迷いなく顔を寄せたので、慌てて止めようとすると、困った顔をした。 「俺には性器が無いから、手では力加減が解らない」 言いつつ、凪が秋葉の手を取り、制服の上から自身の太腿の間に滑り込ませた。そこに重みや窪みはなく、ただなめらかな弧になっているだけだ。 「センサーは口の中が一番多い。だから、手よりもずっとよくわかる」 要するに、口が一番器用だということだろうか。 凪が身をいっそう屈めて、先端に唇を当てる。少しづつ、土に水が染み込むように口を開けていく。ゆっくりと、亀頭から順に凪の口の中に収められていく。 秋葉はたまらず目を伏せた。 凪の舌は秋葉の温度よりも少し低く、どこをどう這っているのかがはっきりとわかってしまう。 「ん、…ふ、ぅ、あっ、」 浅い波がすぐに高く、深くなる。溺れかけるぎりぎりのところで、不意にずるん、と口が離された。 「はっ、なん、」 「秋葉、痛くない?」 「…いたく、ない」 「よかった」 簡潔に答えて凪がまた口に咥え、一度引いた波がまたすぐに戻ってきた。 さっきよりも深い。凪が、ゆっくりと、確実に、喉の方へ進めている。 凪の喉から、空気が抜ける音がした。 「っあ、ア、まって…なぎ、まって」 秋葉が快感の波に耐えきれず凪の手首を掴むも、力が入らず滑り落ちた秋葉の指は、凪に搦め取られた。 背骨から水圧がせり上がるような感覚に腰が慄き、否応なしに背中が反り返る。 ぐっと咽頭を押し当てられ、秋葉の喉から飛び出した叫びは、最早音にならなかった。 「〜〜〜〜〜〜っ……は、ぅ、あ」 ぐ、と凪の喉から太い音がして、凪が初めて顔を顰める。秋葉が吐き出したものを飲み込もうとしていることに気付き、秋葉は回らない口で止めようとするも、凪の喉が無理に動いた。 ずるり、と凪が咥えていた性器が、飲み込みきれなかった大方の精液と一緒に口から取り落とされる。口や顔を液体でべたべたにしたまま、凪は目を細めて自分の指を突っ込んだ。 「か、はっ…あ、きば」 「ばか、だから飲むなって!」 上手くいかなかったのか、再び押し込もうとする凪の指を慌てて引き抜き、代わりに自分の指を入れる。凪の細い喉に引っかかった粘っこい液が指に絡みつき、指を抜くと固体が混ざった白濁液が引き摺り出された。 「は、ぁ…ありがとう、秋葉」 「………」 「秋葉?」 「……ごめん、拭かせて」 防水の為、凪の肌は撥水性がある。そのために秋葉の汗や精液が顔を上げた凪の肌のうえを滑り落ち、水跡を残す。その光景が物凄く淫靡なものに思えてしまい、秋葉は凪の顔からその跡を消すように拭った。 なされるがまま、タオルに埋まる凪と秋葉の目が合う。彩度の低い水色の瞳は、今朝会った時と何も変わらない。無条件に、秋葉を映している。 「秋葉」 「……なに?」 「愛してる」 凪のその、非常に柔らかく表情が使えている笑顔は、愛を囁くとき限定の特別仕様なのだろうか。凪がすこし背筋を伸ばして、秋葉の顔に口を寄せた。 「あいし」 「凪、それ連発しないで。死にそう」 キャパオーバー寸前の秋葉が凪の言葉を阻む。凪はすこし小首を傾げて考え、やがて合点がいったように、爽やかな顔をした。 「じゃあ、『合言葉』にするか?」 * 燦々とした朝日を真正面から浴び、学校に向かう。凪と並んで慣れた道を進む途中、バシッ、とした衝撃を背中に受けて秋葉が振り返ると、よく見慣れた顔があった。 「よっ、秋葉、青海。おはよう」 「おはよー巻本。背中、弁当入ってんだからやめろよな」 悪い悪い、と巻本がへらへら笑う。凪の顔をみて思い出したように、そう言えば、と言った。 「先週言ってた筋トレはほんとに筋トレだった?」 ぎく、と秋葉の口角が固まる。 「あー…うん、まぁ」 「合言葉が増えたくらいだな」 想像とはちょっと違ったけど、と付け加えようとした秋葉を遮って、凪が言った。思わず凪を振り返り、秋葉は噴き出しそうになった。 きっと、秋葉以外の人が見ればいつも通りの無表情に見えるだろう。けれど、その表情のパーツ全てが少しづつ不自然で、凪がむくれているのが秋葉にはひと目でわかった。 「……秋葉、翻訳して」 興味も失せたようにそっぽを向いた凪の真意が分からず、巻本が言う。 秋葉は巻本を振り返り、悪戯っぽく笑った。 「長年やってる攻略ゲーに超大型のアップデートが来た、って感じ」 秋葉の茶髪とそれよりすこし低い凪の黒髪が、同じ陽を浴びて、同じように風に吹かれていた。 (「グッバイ・マイベイビー」 おわり)
/3ページ

最初のコメントを投稿しよう!

23人が本棚に入れています
本棚に追加