グッバイ・マイベイビー

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「秋葉、セックスしよう」 「いいよ。いつ?」 木曜日の昼休み。パンを齧りながら凪が放った爆弾に、驚きの爽やかさで返答した秋葉との会話を聞いて、隣でただゲームをしていただけの哀れな男子高校生は目を丸くした。 「は?お前ら、え、………はぁ?」 そりゃそうだ、それが正しい反応だろう。秋葉は、こいつ──巻本は初めてだったか、と少し肩を竦めて困り笑いを浮かべ、平静な顔をしている凪に向き直った。 「凪、セックスってどういうことか、もう少し詳しく教えてくれる?」 「はぁ!?」 何言ってんだお前、とでも言葉が続きそうな巻本の抗議の声を無視し、秋葉は凪を手で促す。それに凪はこくりと頷き、淀みのない、いつものすらすらとした口調で端的に言った。 「二人以上の親密な関係をもつ者が、密室または屋外で汗を流す運動行為。特徴は、確実な型が無く、行為内容の工夫や技量、文化によって内容・時間・得られる効果などが変化すること」 「……はぁ…?」 間違っちゃいないが、何言ってんだ─── そんな表情と声で凪を見詰めた巻本に、秋葉は苦く笑いかけ、言葉を続けた。 「凪、それの類義語はトレーニング?それともゲーム?」 「トレーニング、と要点が一致する」 「じゃ、言い直してくれる?日時も合わせて」 ジー、と凪の頭から小さく短い音がしたあと、凪は小さく頷いてから、いつもの無表情に近い顔で淀みなく言った。 「秋葉、今日学校が終わったらトレーニングをしよう」 「うん。わかった、いいよ」 秋葉の幼馴染、青海凪は人間ではない。 ここ数十年で飛躍的に成長した工学技術が、人間そっくりのアンドロイドを造ることを可能にしたのだ。凪は普通に成長するし、感情も思考もあり、そして、彼らには当然のように個性が備わっている。 凪は表情の変化が薄く、いわゆる「ロボットらしい」印象ではあるが、同じ機械種でも、お喋りが大好きで、黙っていられないような奴もいる。 要するに、現代の彼らは「機械種」というひとつの個として人間と共存する道を歩いているのだ。 凪はある意味での「個性」として、圧倒的に言語力に欠けていた。語彙力とはまた違い、日常会話での、いわゆる砕けた話し言葉や俗語の知識があまりにも少ないのは、もう昔からのことだった。 「びっくりした…俺は賛成派だけど、どんなタイミングのカムアウトかと思った」 一連の会話を横で聞いていた巻本が呆れたように肩の力を抜き、秋葉は困り笑いをした。 「ごめん。凪にはよくあることで…一緒にいたのが巻本でよかったよ。前なんかさ、弁当箱指さして『フェラしていい?』って言われた時はどうしようかと思った」 「なんでわざわざそのチョイスなんだよ…今のも筋トレでしょ、他に言い方もあるだろうに」 巻本がストローを咥えて、凪を見る。自分に言われていると気付いた凪は、悪びれることもなくけろりと答えた。 「覚えたての言葉は使いたくなるだろ」 その物言いに、巻本の溜息と、秋葉の苦笑が重なる。秋葉が凪に向き直り、穏やかなままの表情で訊いた。 「で、凪。その『新しい言葉』はどっから仕入れてきたの?」 「伊藤と酒井だけど」 「OK、絞めとく」 こういう事があるのは大抵、凪の性質を知ってわざわざ余計なことを吹き込むバカのせいなのだが、もし凪が他人の前でうっかり言ってしまったら溜まったものでは無い。過保護だなぁ、と巻本の視線を浴びながらも、秋葉の討伐リストには既に新しくふたりの名前が刻まれた。 性について、男も女も人間もアンドロイドも関係無くなった今のご時世、本当に冗談では済まない。自由と多様化が進んだ反面、社会の影はそんな所でいっそう色を濃くしていた。 秋葉の表情を見て凪は小首を傾げ、そしてようやく、合点が言ったように秋葉を見上げた。 「秋葉」 「あぁ、うん。合言葉」 「わかった」 秋葉が言うと、凪はすんなり頷き、そしてそれ以上は言及する素振りも見せなかった。 「合言葉?」 「あ──ごめん巻本、ちょっと凪見てて」 巻本が訊いたのに答えるより先に、秋葉が件のふたりを見つけて席を立った。仕方がない、という顔で苦笑いをする秋葉に、凪は静かにふたりのことを気の毒に思った。 普段は温厚な振る舞いをしている秋葉だが、本当は本人も気が付いていない程、血気盛んな所のある男だということを、彼らは身をもって学ぶことになる。 * 「情けないよねぇ、あいつら本気で泣いてたし」 「秋葉…やり過ぎは良くない」 授業が終わり、下校中。 柔らかい口調のままで手首をさする秋葉の隣で、凪は溜息混じりにたしなめた。秋葉が件の──凪に「合言葉」を教えた、ふたりを引き摺って行った廊下に凪と巻本が出てみた時には、もう既に制裁が下った後だった。 中学時代のひと夏に叔父から習ったという合気道は、潜在的であった秋葉のステータスを爆発的に上げさせた。 凪としては「無闇矢鱈な暴力は犯罪になりかねない」と秋葉に言ってみたこともあるが、秋葉は自分から手をあげることはないと言ったのに加え、「ちゃんと潰しておかなきゃ、そのうち凪に犯罪が命中するよ」と言った秋葉の笑顔が、凪の危険察知センサーに引っかかったので、それ以来止めるのをやめた。 正確には諦めた、という方が正しい。 「やり過ぎじゃないよ。凪は機械種の中でも見た目がいいんだから…摘める芽は摘んどかないと、このご時世ロクなことが無いの。そりゃあね、凪の交配相手が決まればまた話も変わってくるけど」 歩きざまに、凪は脇の水溜まりに映った自分と目を合わせた。 肉があまりついていない色白のスキン、新しく増えも伸びもしない黒髪、そしてその若干長めの前髪の下にある、薄い青の虹彩を持つ眼。 西洋人とも東洋人とも言いきれないその造形は、誰が見てもひと目で機械種だと思うだろう。 「…なぎー?どしたの」 思考に集中する間に凪は立ち止まってしまっていたらしい。数歩先で、秋葉が凪を振り返っている。傾いた陽に晒され、逆光の影が黄金色に縁取られていた。 「うち、寄ってくよね?」 チャリ、と鍵を凪に見せ、暗いブラウンの瞳が細くなる。風が流れて、秋葉の耳の横まで伸びた髪を持ち上げ、つぎに凪の肌を撫でていった。 「俺は、秋葉の見た目の方が「良い」と思う」 隣に並びながら、凪が言った。 秋葉は目を瞬かせ、少し間があってから、ありがとう、と笑った。困っているようにも、照れているようにも取れるその表情は、どちらの表現にふさわしいのか、凪には判断できなかった。
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