3. シャロルの挨拶

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 受講するクラスを選び終えたシャロルは、案内図をたよりに学長室へと向かった。  ジョルドモア学長と顔を合わせたことはない。編入が決まったときに受け取った手紙も事務的な内容で、人柄を感じ取ることはできなかった。  シャロルの通っていた初等教育学校の校長はにこやかで明るい人物だったが、この格調高い学校の長ともなれば雰囲気はまったく違うだろう。  とはいえ編入を認めてくれたのだからきっといい人に違いない。  学長室の大きな扉の前に立ったシャロルは深呼吸をして、金色のノッカーを鳴らした。 「どうぞ」  促されて扉を開ける。  広々とした丸い執務室の中、黒檀の机の向こうに座った壮年の女性が顔を上げてシャロルを見た。 「失礼いたします、シャロル・クロイツです――」 「授業を決めたのですね?」  ジョルドモア学長はシャロルの挨拶をほとんど遮るように言いながら立ち上がり、きびきびとした身のこなしでこちらに向かってくる。艶やかな光沢のあるボルドーのワンピースはいかにも仕立てが良く、シャロルが今まで目にしたどんな大人よりも品のある身なりだった。  目の前に立った学長に手の平を差し出され、シャロルはあたふたしながら登録用紙を手渡す。  学長は内容に目を通すと「結構」と言った。 「明日から参加なさい。言うまでもなく、単位が取れなければ進級はできません。あなたは推薦による特待生なのですから、進級する実力すらないのであれば退学です。また日常生活において、本校の品格を貶める行為も許しません。本校の学生としての自覚を持ち、謹んで生活するように」 「は、はい」 「むろん、退学しなければいいという程度の志ではいけません。この学園の卒業生となるからには、社会に出て相応の成果を残す必要があります。覚悟を持ち、研鑽を重ねることです」 「はい」 「結構。下がってよろしい」  退室を促すされるまま、シャロルは一礼を残して扉を閉めた。  なんだか圧倒されてしまって、満足に挨拶ができなかった。  学長は相当に厳格な人物だと思っておけば間違いはなさそうだ。少しだけ怖い気もしたけれど、厳格という気質はシャロルには好ましく思えるものだった。  厳しさを保つためには心に芯が必要だ。組織の上に立つ者にまっすぐな芯が通っているということは、その者の振るう采配にも信頼が置けるはず。  シャロルの身分について少しも言及されなかったのも、好ましい印象を覚えた理由の一つかもしれない。いい意味でも悪い意味でも、シャロルを特別に見てはいないということだろう。 「おい、ミス・クロイツ」  聞き覚えのある声に呼ばれて振り向くと、音楽講師のエルバルドがこちらに向かってきていた。  シャロルの編入を推薦してくれた彼は、この学園で唯一と言っていい知り合いだった。 「こんにちは、先生」 「学長に挨拶を?」 「はい。しっかり研鑽を積むようにと激励いただきました」 「さっそく説教されたわけだな。冷たく見えるババアだが、優しいところもあるから安心するといい」  ぶしつけな表現にシャロルは苦笑する。  エルバルドは少々風変りで、貴族風のいでたちだが妙に砕けた口を利く。  年齢も経歴も詳しく聞いたことはないが、彼の推薦が通るということは、学園ではそれなりに認められている人物なのだろう。 「それより、平気か? 君を推薦したのが私だってバレてるようでね。授業中に突っ込まれたよ。エルバルド先生は金髪娘がよっぽど好きなんですねってさ。君もああだこうだ言われたんじゃないの?」 「いえ、私は……大丈夫です」 「ま、凡人の言うことなんて気にするこたない。天賦の才を持ったら世間から疎まれるのが運命だからね」  エルバルドはひょうひょうと肩をすくめると、シャロルの横を通り過ぎて学長室の方へ向かう。 「ああ、それと……私が好きなのは金髪じゃなくて、才能のある人間だ。だからもし君が私に好かれたいなんてトチ狂ったことを考えるなら、実力を見せてくればいいから」  また明日、と言い残して、エルバルドは学長室へ入って行った。  会釈を返したシャロルは、ひとまずアンリと別れたテラスへ戻ることにした。  この学園にも様々な人物がいるものだ。  身分にこだわる者と、そうではない者。人の上に立つ者と、人に従う者。シャロルを侮る者、興味を示す者、意に介さない者、手を差し伸べる者。親切にふるまう者、そして――悪意を見せる者。  シャロル自身は何と扱われようと構わなかった。シャロルはただ自分のすべきことをするだけで、その結果によって周囲からどうみなされても仕方のないことだから。
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