バグと破壊

1/1
0人が本棚に入れています
本棚に追加
/18ページ

バグと破壊

 研一は雪の後ろに見える、その陽炎の様な歪みを睨みつけた。そしてそのまま本能に任せるように背中に手を伸ばすと、その「筒」から人の背丈ほどある、細長い物体を取り出した。 「危ない、みんな離れろ!」  まるで3段ジャンプのように、1つ、2つと軽くジャンプをした後、最後にとびきり大きくジャンプをした。その跳躍は辺りの人々の頭上を遥かに上回っていた。  まるで天から飛び降りてきたような研一は、そのまま雪の背後の「ゆらめき」めがけて大きな「刀」を振り上げた。  辺りが一瞬真っ暗になった。  次の瞬間、突如現れた暗雲から大きな稲光がその天を指す「刀」に向かって降り注ぐ。  その稲光を浴び、電閃を放つ刀は、ぼやけた陽炎に向かって全力で叩き付けられた。  ほんの一瞬静寂があったような気がする。  それも束の間、地面への振動は店全体を大きく揺らす地揺れを引き起こした。  その大きな地震に辺りは騒然となり、しばらくは何が起きたのか誰しもが理解出来ないでいた。  やがて再び辺りが明るくなると、そこには袴姿の「壱」が一瞬浮かび上がった。  「壱」が刀で叩き付けたその先に、ねずみ色の粘土のような物体が、ぴちょん、と弾け飛ぶ。  スティールバグ。  アバターなどに忍び込んで、カード情報などをスキミングする、違法プログラムだった。 「危ないところだった」  しばらくして、街はざわつき始めた。  ——あの人、「壱」じゃない?   ——うそ、じゃああの刀、伝説の名刀、天叢雲剣(あめのむらくも)?   ——それって、あのオルタナクレスト決勝戦で、対戦相手のバケモノを一発で仕留めたっていう?  辺りを察知した研一は、即座に「壱」のアバターを再び解き、名刀天叢雲剣(あめのむらくも)を背中の筒に収めた。そして唖然と床に座り込む雪を引っ張って、全力で走り出した。  ほとんどよろけながら、引っ張られた雪は 「ねえ、ちょ、ちょっと待って」  そういう雪をよそに、研一は黙って引っ張り続ける。 「ねえ、離してって、ちょっと」  どれほど離れただろうか、  やっと喧噪から逃れられそうな場所までくると、雪はおもいっきり研一の腕をふりほどいた。 「もう、やめてって!」  雪は今まで見た事がないほどの怒りに満ちた表情で、研一を見た。  その視線にたじろく研一。 「何なの? もう、よくわかんない……」 「スティールバグがお前を狙ってた。もしあのまま放っておいたら、カード払いをした、お前のカード情報が盗まれていた」  辺りはザックタウンからだいぶ離れ、ユーザーもまばらな町外れの場所だった。  背景の飛行船が、無造作にゆらゆらと揺れ、二人の横を流れる小川がキラキラと輝きながら流れていた。  そんな中、雪はただただうつむくばかり。 「聞いてんのか? 本当に危なかったんだぞ?」  研一はやっと、雪のその異変に気づいた。 「泣いてんのか?」  雪はうつむき、握りこぶしをただ固める。  数秒の静寂の後、鼻をすする音が聞こえると、そのまま何滴かの雫が地面の上にこぼれ落ちる。うさぎ耳と小悪魔の羽がすっかり元気なさそうにしおれていた。  やがて一つ深呼吸をすると雪は、手に持っていたものを力強く研一の目の前に突き出した。それは先ほど雪が「買おうとしていたもの」だった。  研一はその突き出されたものを見た。  そしてそれを見た瞬間、研一はまるで全身に水をかけられたように、一気に熱が引いていくのを感じた。 「これって……」 「私、今日の事ずっと楽しみにしてたんだよ? 研一君にどんなのが似合うかなって、色々考えてたんだよ? 家でもずっと、学校の帰り道でもずっと……それなのに」  そこには、「to Kenichi」とかかれた、男性用の服と、アバターがあった。  そしてそれはサンプルではなく「Today Land」という今若者に人気のブランドだった。  しかしそれは先ほどの研一の一撃の衝撃を受け、すっかりぼろぼろになってしまっていた。 「あの……ごめん」  ただただそうとしか言えなかった。  決して裕福とは言えない家庭のはずだった、そんな雪が自分のためにわざわざ買ってくれた——。  雪の言うメインイベントとはこの事だったのだ。  それをよりによって自分がぶち壊してしまうなんて……。  研一は自分のしてしまったことを心から後悔していた。もっと冷静に動くべきだったのだ。ただいくら後悔してももう遅い。自分がやってしまったことはもう元には戻せない。  雪は数回鼻をすすった後、ぼそっと呟いた。 「……私、今日はもう帰るね」  そう言って雪は胸からスマホに似た端末、コマンダーを取り出した。そして無言でスイッチに手をやる。 「おい、ちょっと待てって」  その言葉を聞かずに雪はコマンダーのスイッチを押すと、目の前からいなくなった。オルタナの中でも自分に馴染みのある場所、ホームスペースに一旦戻ってからログアウトするだろうと思われた。  研一もすかさず自分のコマンダーを取り出した。  まだ近くにいるかもしれない、そんなかすかな期待を胸に「トレース」機能を起動した。  「トレース」機能を使えば、知人の移動履歴が分かる。まだログアウトしていなければ、大体の場所が分かるのだ。  数秒経ち、コマンダーにはとある場所が現れた。 (いた、まだオルタナにいる)  それが分かると、直ちに研一も後を追うべく、コマンダーの「ムーブ」ボタンを押した。すると、研一は一瞬にして、雪がいただろう場所へ移動した。  そこは先ほどのザックタウンだった。  そして「トレース」が指し示す方角へ研一は進んでいった。  そしてとある場所の前で立ち止まる。「トレース」は明確にそのとある1点を指していた。 (ここの中にいるのか)  そこはザックタウンの試着室だった。  いくつかある試着室の中、一つだけ使用中のものがあり、そこは鍵がかかっていなかった。研一のトレースはまさに今目の前のその赤いカーテンで閉じられた、その空間の中心部を指していた。  もし雪のスティールバグが無かったら。  もし研一が冷静な判断を出来ていれば。  その数々の「もしも」が一つでも起きていたら、これから起きる悲劇はひょっとしたら防げたのかもしれない。  死に物狂いで雪を追いかける今の研一に、その裏に隠された「真実」に気づく余裕は残念ながら残されていなかった。 「雪、そこにいるのか」  あたりの喧噪以外、何も聞こえない。 「さっきは、本当にごめん。俺、何といっていいのか……」  試着室カーテンが時折かすかに揺れる。 「だから、許してもらえないか。頼む」  カーテンは先ほどから同じように時折揺れるだけだった。 「なあ、雪、開けるぞ、いいな?」  そう言って、研一はゆっくりカーテンを開けた。 「あ……」  中には予想だにしなかった驚愕の景色が広がっていた。  そこはニコニコした、そしてどこか無感情な雪が、持っている服を胸に当てて、鏡を見たり、その服を置いたり。ただそれを何度も何度も繰り返していた。 「雪?」  そう言いながら試着室に一歩踏み込んだ瞬間、後ろのカーテンが、ざっ、という音とともに瞬時に閉まった。 「しまった」  そう思った時はもう手遅れだった。  先ほどの研一の振りかざした天叢雲剣(あめのむらくも)の衝撃を遥かに上回る地揺れが突如始まったかと思うと、研一の意識は、遥か遠くに飛ばされていった。    遥か深い闇の奥で、研一というプログラムの存在を狙っていたその「者」はついにターゲットを捕まえる事に成功したのだった。 19:21:41
/18ページ

最初のコメントを投稿しよう!