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バグと破壊
研一は雪の後ろに見える、その陽炎の様な歪みを睨みつけた。そしてそのまま本能に任せるように背中に手を伸ばすと、その「筒」から人の背丈ほどある、細長い物体を取り出した。
「危ない、みんな離れろ!」
まるで3段ジャンプのように、1つ、2つと軽くジャンプをした後、最後にとびきり大きくジャンプをした。その跳躍は辺りの人々の頭上を遥かに上回っていた。
まるで天から飛び降りてきたような研一は、そのまま雪の背後の「ゆらめき」めがけて大きな「刀」を振り上げた。
辺りが一瞬真っ暗になった。
次の瞬間、突如現れた暗雲から大きな稲光がその天を指す「刀」に向かって降り注ぐ。
その稲光を浴び、電閃を放つ刀は、ぼやけた陽炎に向かって全力で叩き付けられた。
ほんの一瞬静寂があったような気がする。
それも束の間、地面への振動は店全体を大きく揺らす地揺れを引き起こした。
その大きな地震に辺りは騒然となり、しばらくは何が起きたのか誰しもが理解出来ないでいた。
やがて再び辺りが明るくなると、そこには袴姿の「壱」が一瞬浮かび上がった。
「壱」が刀で叩き付けたその先に、ねずみ色の粘土のような物体が、ぴちょん、と弾け飛ぶ。
スティールバグ。
アバターなどに忍び込んで、カード情報などをスキミングする、違法プログラムだった。
「危ないところだった」
しばらくして、街はざわつき始めた。
——あの人、「壱」じゃない?
——うそ、じゃああの刀、伝説の名刀、天叢雲剣?
——それって、あのオルタナクレスト決勝戦で、対戦相手のバケモノを一発で仕留めたっていう?
辺りを察知した研一は、即座に「壱」のアバターを再び解き、名刀天叢雲剣を背中の筒に収めた。そして唖然と床に座り込む雪を引っ張って、全力で走り出した。
ほとんどよろけながら、引っ張られた雪は
「ねえ、ちょ、ちょっと待って」
そういう雪をよそに、研一は黙って引っ張り続ける。
「ねえ、離してって、ちょっと」
どれほど離れただろうか、
やっと喧噪から逃れられそうな場所までくると、雪はおもいっきり研一の腕をふりほどいた。
「もう、やめてって!」
雪は今まで見た事がないほどの怒りに満ちた表情で、研一を見た。
その視線にたじろく研一。
「何なの? もう、よくわかんない……」
「スティールバグがお前を狙ってた。もしあのまま放っておいたら、カード払いをした、お前のカード情報が盗まれていた」
辺りはザックタウンからだいぶ離れ、ユーザーもまばらな町外れの場所だった。
背景の飛行船が、無造作にゆらゆらと揺れ、二人の横を流れる小川がキラキラと輝きながら流れていた。
そんな中、雪はただただうつむくばかり。
「聞いてんのか? 本当に危なかったんだぞ?」
研一はやっと、雪のその異変に気づいた。
「泣いてんのか?」
雪はうつむき、握りこぶしをただ固める。
数秒の静寂の後、鼻をすする音が聞こえると、そのまま何滴かの雫が地面の上にこぼれ落ちる。うさぎ耳と小悪魔の羽がすっかり元気なさそうにしおれていた。
やがて一つ深呼吸をすると雪は、手に持っていたものを力強く研一の目の前に突き出した。それは先ほど雪が「買おうとしていたもの」だった。
研一はその突き出されたものを見た。
そしてそれを見た瞬間、研一はまるで全身に水をかけられたように、一気に熱が引いていくのを感じた。
「これって……」
「私、今日の事ずっと楽しみにしてたんだよ? 研一君にどんなのが似合うかなって、色々考えてたんだよ? 家でもずっと、学校の帰り道でもずっと……それなのに」
そこには、「to Kenichi」とかかれた、男性用の服と、アバターがあった。
そしてそれはサンプルではなく「Today Land」という今若者に人気のブランドだった。
しかしそれは先ほどの研一の一撃の衝撃を受け、すっかりぼろぼろになってしまっていた。
「あの……ごめん」
ただただそうとしか言えなかった。
決して裕福とは言えない家庭のはずだった、そんな雪が自分のためにわざわざ買ってくれた——。
雪の言うメインイベントとはこの事だったのだ。
それをよりによって自分がぶち壊してしまうなんて……。
研一は自分のしてしまったことを心から後悔していた。もっと冷静に動くべきだったのだ。ただいくら後悔してももう遅い。自分がやってしまったことはもう元には戻せない。
雪は数回鼻をすすった後、ぼそっと呟いた。
「……私、今日はもう帰るね」
そう言って雪は胸からスマホに似た端末、コマンダーを取り出した。そして無言でスイッチに手をやる。
「おい、ちょっと待てって」
その言葉を聞かずに雪はコマンダーのスイッチを押すと、目の前からいなくなった。オルタナの中でも自分に馴染みのある場所、ホームスペースに一旦戻ってからログアウトするだろうと思われた。
研一もすかさず自分のコマンダーを取り出した。
まだ近くにいるかもしれない、そんなかすかな期待を胸に「トレース」機能を起動した。
「トレース」機能を使えば、知人の移動履歴が分かる。まだログアウトしていなければ、大体の場所が分かるのだ。
数秒経ち、コマンダーにはとある場所が現れた。
(いた、まだオルタナにいる)
それが分かると、直ちに研一も後を追うべく、コマンダーの「ムーブ」ボタンを押した。すると、研一は一瞬にして、雪がいただろう場所へ移動した。
そこは先ほどのザックタウンだった。
そして「トレース」が指し示す方角へ研一は進んでいった。
そしてとある場所の前で立ち止まる。「トレース」は明確にそのとある1点を指していた。
(ここの中にいるのか)
そこはザックタウンの試着室だった。
いくつかある試着室の中、一つだけ使用中のものがあり、そこは鍵がかかっていなかった。研一のトレースはまさに今目の前のその赤いカーテンで閉じられた、その空間の中心部を指していた。
もし雪のスティールバグが無かったら。
もし研一が冷静な判断を出来ていれば。
その数々の「もしも」が一つでも起きていたら、これから起きる悲劇はひょっとしたら防げたのかもしれない。
死に物狂いで雪を追いかける今の研一に、その裏に隠された「真実」に気づく余裕は残念ながら残されていなかった。
「雪、そこにいるのか」
あたりの喧噪以外、何も聞こえない。
「さっきは、本当にごめん。俺、何といっていいのか……」
試着室カーテンが時折かすかに揺れる。
「だから、許してもらえないか。頼む」
カーテンは先ほどから同じように時折揺れるだけだった。
「なあ、雪、開けるぞ、いいな?」
そう言って、研一はゆっくりカーテンを開けた。
「あ……」
中には予想だにしなかった驚愕の景色が広がっていた。
そこはニコニコした、そしてどこか無感情な雪が、持っている服を胸に当てて、鏡を見たり、その服を置いたり。ただそれを何度も何度も繰り返していた。
「雪?」
そう言いながら試着室に一歩踏み込んだ瞬間、後ろのカーテンが、ざっ、という音とともに瞬時に閉まった。
「しまった」
そう思った時はもう手遅れだった。
先ほどの研一の振りかざした天叢雲剣の衝撃を遥かに上回る地揺れが突如始まったかと思うと、研一の意識は、遥か遠くに飛ばされていった。
遥か深い闇の奥で、研一というプログラムの存在を狙っていたその「者」はついにターゲットを捕まえる事に成功したのだった。
19:21:41
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