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いつもは閉まっている店のシャッターが、今夜は開いていた。
廃れた貧しい商店街の終わりかけ、ぽつんと小さく灯された提灯が黄ばんだ暖簾を静かに照らしていた。
暖簾の上に行書体でおとなしく書かれた「はるよし」の文字は、暮れが早い夕方の冷風に静かに揺れていた。
ここ、和食屋だったのか。
いつ建てられたのかも分からない店ばかりが立ち並ぶこの古びた通りも、一つ提灯が灯るだけで随分風情が出るもんだと、男は感心しながらその暖簾をもう一度眺めた。
「お客さん、いらっしゃい」
唐突に、店の扉から一人の老父が顔をのぞかせた。
「あ、すんません。客じゃないんすよ。見てただけ。」
男はそうきまり悪そうに苦笑いしながら暖簾を指差した。
反応なく微笑み続ける人の良さそうな老父に、男はこう付け加えた。
「お宅、いつもは店を閉めているよね。今日はなんで?」
「ああ、カミさんが戻ってきたからね。」
「へーえ。奥さんがこの店経営してるんか。そりゃ、よかった。」
男はそう言って帰り去るつもりであった。早く家に帰って、この疲労困ぱいした体をとにかく休ませたかった。
しかし老父は足腰曲がった体をずりずりと引きずりながら男に躙り寄り、予測していた言葉を口にした。
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