果てない魔法

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 真の魔法、それは。 「……」    その男は黒いマントについたフードを被り、ゆっくりと裏路地を歩いていた。裏通りに似合うように目立たぬ身なりをしてはいるものの、フードの付け根あたりからは輝く金髪の房がこぼれ、覗く高い鼻筋に赤い唇、伏し目がちの長いまつ毛といった要素から、男の類まれな美しさは隠しきれずに滲み出ていた。 「……おい」 「ああ」  そのひそやかな、ここらでは見かけることのない美しさに目を留める者はやはりいて、裏路地を数分と行かないうちに、男は狼藉をはたらくことを目的としたならず者たちに取り囲まれた。 「ちょいと、お兄さん。どこへ行くんだ?」 「……」  三人、いや四人の男に前後を囲まれて、男はぴたりとブーツの足を止める。無言で立っていると、後ろから近づいてきた一人が男のフードを勝手におろした。ばさり、と落ちるフードによって顕わになったのは、女性と見紛うばかりの輝く美貌。男たちが下卑た顔を見合わせる。 「大した上玉だぜ、こいつぁいい」 「ちょいと顔貸してもらうぜ?」 「断る」 「何?」  ばっさりと切り捨てるように黒衣の男が言うと、ならず者たちが途端に顔をゆがめる。自分たちのほうがはるかに人数が多く危険であり、目をつけられた以上逆らう者などありえない。にもかかわらず、美貌の男はさらに冷たく言い放った。   「貴様らに貸す顔などない。失せろ」 「てめえ、今なんて言った?」  八つ裂きにして殺しても良いんだぞ、とばかりにリーダー格の男が凄んだ時、「おいおい、それくらいにしとけよ」と、妙にのんきな声が飛んできた。一同がいっせいに振り返ると、路地の入り口からこちらにやってくる、焦げ茶の髪に青い目をした若い男が余裕の笑みを浮かべていた。 「お前……ルクス!」 「よう。おれの家の近所で何を好き勝手やってんだ? その人を離せ」  ルクス、と呼ばれた男は、その人、と言いながら黒衣の美青年を指差した。指された男は無表情で佇んでいる。 「お前に関係ねえだろう!」 「関係大ありなんだよ。この辺で誰かが消えたとなりゃまた警察が騒ぐ……それにその人がなにかしたか? 見たところ、歩いてただけだろう」 「うるせえ! 商売の邪魔だ、お前もやられたくなきゃ消えな!」 「ほう? おれとやるってのか? その人数で?」 「よそうぜ、奴は強い……」 「いいや、もうこいつにでかい顔はさせねえ!」  ならず者のひとりがそう叫んでナイフを取り出した時。一瞬にして太陽が陰り、あたり一面が暗くなった。「……!」悪党の一味のひとりが、はたと何かに気づいて顔面を青くした。  「あ、あ……!」ナイフを持った男の背後を指差した、次の瞬間。バクッ、と音がして、ナイフを持った男の上半身が影に消えた。 「ギャーーーッ!!」  悲鳴が迸る。さらに一面に広がった影の中から、ずい、と真っ黒な右腕が突き出して、下半身だけになった男の身体をむんずと掴んだ。さらに左腕が壁からにょっきりと生えてくる。 「あ、あ、あぁ……!」 「な、なんだ、なんだぁーーっ!」  あまりの出来事に恐慌状態に陥る男たちをよそに、黒衣の美青年はすっと一歩後ろに下がった。と、その前にルクスと呼ばれた男が進み出る。 「下がってろ……おれの後ろにいるんだ」  黒衣の青年をかばうように自分の背後に置き、そう言ってルクスはあたりの様子を伺う。目の前では影から突き出た両腕が次々に男たちを捕まえては引き裂き、影の中に引きずり込んでいく。一人、また一人と。悲鳴は路地の外には届かない。 「合図したら、振り返らずに逃げろ……いいな」  最後の一人が、がっしりと両腕に身体を掴まれた時。「今だ、逃げろ!」どん、と黒衣の青年の肩をルクスが押した。が。 「……?」  黒いマントの美しい男は、ルクスに後を任せて逃げるどころか、ルクスの背後からするりと抜け出すと、一歩前に歩み出た。 「お、おい! あぶねえぞ、何してる!?」 「危険なのはお前のほうだ。下がっていなさい」 「何……?」  問答している間に、ついに四人目を影に引きずり込んだ化け物が、ゆっくりとその全身を影のなかから現した。「……!」ルクスが思わず息を飲む。顔のない、全身真っ黒な化け物が、ルクスたちのほうを向いた。上背はこちらの二倍はある。 「おい、避けろ……!」  顔のない化け物が、両手両足を広げて二人に襲いかかってくる。ルクスが黒衣の青年を引きずり戻そうとした、その時。青年がマントを翻し、長く白い腕を突き出して、空に手を掲げた。 「来い、雷の矢よ!」彼が叫んだ瞬間、稲光が天空を切り裂いた。 「……!!」  青年が手を振り下ろすのと同時に、雷が文字通り光の矢となって、巨大な化け物を一刀両断にした。凄まじい衝撃に、ルクスは後ろに吹き飛ばされて倒れ込む。その時、ルクスは見た。 (あ……!)  翻る黒いマントの裏地が、真紅であること。砂煙の中微動だにせず、平然と佇む美しい横顔。そして、その振り下ろされた右手の甲に、浮かび上がる王家の紋章。それらが、意味するものはひとつ。 「無事か、ルクスとやら」  雷の一撃で化け物を退治した黒衣の男は、影から放り出された最後の男が意識を失っていることを確かめて、軽々と道の隅に運んで寝かせてからルクスのもとへ歩いてきた。ルクスはなんとか起き上がって、今見た事実を確かめる。 「あ、あんたは……魔道士、なのか……それも、”黒”の……?」 「そうだ」 「そうだ、って……すごいな、初めて見た……!」  このユーミアル王国で公認された魔道士の中で最も位の高い、”黒”の魔道士。初めて実物とその実力を目の当たりにして、ルクスは大げさに首を振った。 「だろうな。黒の魔道士に逢う確率は極めて低い……今は7人しかいないからな」 「……あんた、名前は?」  ルクスが尋ねると、一糸乱れぬ輝く金髪を後ろに撫で付けた美しい魔道士は、すう、と一瞬そのはしばみ色の瞳を細めた。その大きな瞳は、よく見れば左目のほうが金色がかっていることにルクスが気づいた時。男が口を開いた。 「……スーリヤ。フースーリヤ・カナンだ」 「スーリヤ……」  美しい響きの名だった。ルクスに学があれば、フースーリヤ、というのが古代の言葉で”月の光”を意味するとわかっただろう。 「後始末は魔道士協会の者が来る。ではな」 「待ってくれ!」  マントを翻し、再びフードをかぶって立ち去ろうとするスーリヤを、ルクスが腕を掴んで引き止めた。なんだ、とばかりにスーリヤが振り返ると、ルクスがじっと目を見つめて叫んだ。 「頼む……おれを、あんたの弟子にしてくれ!」 「……なに?」  思いもかけない言葉に、スーリヤは初めて表情を変えた。「スーリヤ。あんたしかいないんだ」そう告げるルクスの瞳には、本気の炎が宿っていた。
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