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途中、オープンカーに乗った二人組の美女が、クラクションを鳴らして楽しげに通り過ぎていった。一瞥しただけでも、彼女たちが一般人でないことはわかった。モデルか何かだろう。
天を駆ける人間と地を這う人間が往来する街、それがここ、ハリウッドなのだ。
広場に辿り着くと、入り口に立つ看板に『LAKE HOLLYWOOD PARK』と書かれていた。木々に囲まれた青々とした芝生の広場からは、ハリウッドサインを望むことができる。ピクニックや子供の遊び場にも丁度よさそうな雰囲気のするここには、犬を連れた人も多くいる。入り口付近の路肩には、多くの車が停められている。どうやら、皆ここへは車で来ているようだ。
歩き疲れた脚を休めるために、ひとり芝生の上へと腰を下ろした。目の前を子供が走っていく。ボーっと『HOLLYWOOD』の文字を眺めた。
色々な感情が芽生えては、消えていく。起業するときに抱いた夢と希望、そして儚くも崩れ去った現実。幾人の勝者と敗者がこの場所、この景色を瞳に映しただろうか。完全なる敗者のおれは、無気力な翳りを瞳に宿し、僅かな光明さえも見出せずにいた。
気がつけば、辺りは雰囲気を変えていた。夕日が丘全体を照らし、『HOLLYWOOD』の文字を一層際立たせるように周囲がスカーレットに染められている。その景色は美しいだけではない、人々に闘志を抱かせるのだ。だが、人生を暗雲に覆われている今、おれにはただただ強烈な焦燥感を与えた。
スッと日の光が途絶えた瞬間、それまでと打って変わって急激な不安に駆られた。この先、どうしようか、それよりも、今この瞬間をどう過ごせば良いのか。持ち合わせは殆どない、これではホームレスとして暮らしていくことになるだろう。日本を飛び立つ際にはそれも悪くはないと思っていたが、現実を目の当たりにした今、それは絶望を意味していた。
(どうすればいい……。わからない……)
落日の光が消え入った後も、その場を動くことができずにいた。ようやく重い腰を上げたときには、辺りは薄暗くなっていた。四月、日本では過ごしやすい季節だが、L.A.では初夏のような気候で日没も遅い。案外、夜は深まりつつあるのかもしれない。
周りにはまだ人影は見えるが、皆車で来ている人たちだろう。ここからまた、おれは徒歩で下らなければならない。夜が更ける前に麓の下へと辿り着かなければ、目的もない中でそう焦りを感じつつ、薄闇に包まれたハリウッドサインを一瞥し、広場を後にした。
―――なぜ、もっと早く、帰路につかなかったのだろう。住宅も人通りもない車道を、ひとり歩きながら後悔した。ここは治安が良さそうに見えても、銃社会の一端なのだ。助けも呼べず護身もできないおれは、足早に前へと進んでいた。
そのときだった、後方から走ってきた一台の車が派手にクラクションを鳴らして速度を落とした。そして、おれの横に車をつけて並走しだした。
「Hey!」
運転席から男が声をかけてきた。車内からは複数人の声がする。目を合わせてはいけない、振り向いてはいけない、気がつかないふりをするのだと自分に言い聞かせた。だが、男たちは諦めることなくしつこく並走している。
心細い、脚が震えてくる。おれは、ここで事件に巻き込まれるかもしれない、はたまた撃ち殺されるかもしれない。絶望の縁を歩いているとき、不意に犬を連れた人影が見えた。
徐々に距離を詰めていくと、犬を散歩させている男だということに気がついた。こちらの様子に気がついた男は、足早にやって来た。
「―――Hey, what's up?」
犬を連れたその男は、目の前で見るとかなりの長身だ。身長一七八センチであるおれよりも、手のひら分くらい目線の位置が高い。
気さくな調子で車の男たちに声をかけた彼は、よれたTシャツに短パン姿、目深に被ったキャップにビーチサンダルという出で立ちだ。だが、そんな男とは対照的に、犬のほうは艶やかな毛並み、立派な筋肉をつけたドーベルマンだ。
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