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「The night sky」
運転席から男がふざけて答えた。車のほうへ顔を向けると、運転席の男の腕にはタトゥーがびっしりと彫られていた。
「Haha! Right! ―――So, do you want anything with him? (ははっ、そうだね! ところで、彼に何か?)」
子供が言いそうなくだらぬジョークにも、男は笑って相槌を打った。人が良さそうと見える。
「No, no nothing. Just driving(いや、べつに。ドライブしているだけさ)」
白々しい返答に、思わず眉を寄せた。
「(そうか。実は、彼、ぼくの知り合いなんだ。英語があまり得意じゃなくてね。ごめんね)」
そう言うと男は、さり気なくおれの肩に手を載せて、親しい仲なのだと示してみせた。
「(ああ、なるほど。通りで。―――じゃあ、おれたちは行くよ)」
おれに興味を失くしたのか、はたまた面倒になったのか、砂埃に塗れた黒塗りのSUVは、短くクラクションを響かせて走り去っていった。
瞬く間に派手なエンジン音が遠ざかり、辺りに静寂が戻った。助かったとホッと胸を撫で下ろし、救済者である男に向き直った。
「―――(助けてくださり、ありがとうございます)」
英語で礼を述べると、男は目深に被っていたキャップを上げて、意外そうに目を丸くした。薄闇の中でも、ブルーの瞳をしていることが窺える。
「(なんだ、英語は話せるのか。日本人か?)」
「(ええ、まあ……。)」
おれの英語力はビジネスレベルだ。それよりも、アジア人はさながら見分けがつきにくいはずだ、知り合いに日本人でもいるのだろうか。
「(そうか。旅行で来たのか? こんな時間に、一人で出歩くのは危険だ)」
そう言う男も、ラフな格好からは護身用の武器などを持っているようには見えない。
「(ああ、ぼくには、この子がいるから)」
男が「Sit, Sophie!」と声を発すると、犬はスッと腰を下ろしておすわりをした。どうやら、犬の名前はSophieと言うらしい。名前からしてメスだろう、飼い主に従順でよく躾けられている。だが、ドーベルマンなだけあり迫力がすごい、やすやす目も合わせられないくらいだ。
「(大丈夫だよ。臆病な性格だから、噛むことはありえない。悪さをしなければね)」
そう言って、男は悪戯な表情をみせた。そうは言われても、とてもじゃないが彼女に触ろうとすら思えない。
「(ところで、どこに向かっているんだ? この近くに泊まっているのか?)」
「(わからない……)」
おれの返事を聞いた男は、ことさら目を丸くした。
「(はあ? わからない? どういう意味だ)」
「(金がない)」
「(ちょっと待ってくれ。お金を持たずに海を渡ってきたのか? それとも、スリにでも遭ったのか?)」
「(全財産が、ない……)」
男は、驚きを通り越して呆気にとられている。
「(おいおい。それで、今夜は……いや。これから、どうするんだ? まさか、海まで渡ってきてホームレスにでもなる気か?)」
「(わからない。自分でも、わからない……)」
ここまで来ておいて、どうすれば良いのかわからなくなっていた。
「(わかったよ。―――とりあえず、ぼくのところへ来ればいい。すぐ、そこだから)」
そう言って、男は今しがた上ってきた道を振り返った。この辺り一帯は、並大抵の財力では住めないはずだ。もしかすると、この男はどこかに宿泊しているだけなのかもしれない。どちらにせよ、このままではどうすることもできない、彼について行くしか選択肢はないのであった。
―――男は、少し道を下った先に車を停めていたらしい。美しい輝きを放つパールホワイトのボディは汚れ知らず、ドイツ製のSUVだ。後部座席にSophieを載せると、おれを助手席へと促した。
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