一文無しのハリウッド逃避行

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「(―――つまりは、キャッシュのインとアウトが噛み合っていなかったというわけか)」 「(はぁ……そうだ。なんとも、お粗末だろう)」  掻い摘んで話した己の笑えぬ失敗談に、思わず溜息が出る。 「(いや、君のその行動力は評価に値すると思うよ。君の弱点は、ファイナンス。そこをカバーできれば、勝利あり―――。ぼくなら、もう一発かましてみるけど)」  「どうかな?」と茶目っ気のある笑顔を見せたJaxtynに、どこか既視感を覚えた。たんなるデジャヴュなのか、それともどこかで彼を見かけたことがあるのか。心に引っかかるような消化不良の感情を流すように、琥珀色が透けるグラスを傾けた。 「(―――その前に、やはり君のことが気になる。Jaxtyn、君は一体、何で稼いでいるんだ?)」 「(はぁ……本当は、このまま知らないままでいてほしい。でも、それはフェアじゃない。―――ぼくは、映画俳優だよ)」 「(俳優……?)」  どこか憂いを見せた彼を、まじまじと見つめた。そして、ハッと目を見開いた。 「……Ansel(アンセル) Ortiz(オーティス)……」  知っている、思い出した。全米で大ヒットを記録した映画で主演を務めた若手俳優、Ansel Ortiz。目の前にいる彼と重なる。 「(はぁ……、君も知っているのか。光栄だな)」  言葉とは裏腹に、彼は機嫌を損ねた様子だ。 「(知っているに決まってる! だって、おれも……!)」  君の出演作品を観たことがあると興奮気味に伝えようとして、やめた。ミーハーな態度は、彼らにとって煩わしいだけだ。 「(すまない……。でも、君が誰なのか思い出したよ)」  Jaxtynは意気消沈した様子でグラスを傾けると、溜息とともに口を開いた。 「(それは良かった。それで、新しいビジネスを始める気はある?)」 「(新しいビジネスか……、わからない。でも、次も失敗するかもしれないし、おれには商才がないのかもしれない……)」  態勢を立て直し、一から再出発する手も考えなかったわけではないが、自己破産後、手元に残った財産は僅か九十九万円、勝負に出た結果がこれかと自信を喪失していた。 「(商才がないかどうか判断するには、まだ早いんじゃないかな。成功への道のりには失敗はつきものだ。そして、成功が偉大であればあるほど、失敗もまた大きいはずだよ)」  偉大な成功を掴んだ力強さ、その反面、何にも染まらぬ純粋さを兼ね備えた瞳が、真正面からおれを見据えている。 「(君の気持ち次第で、きっとうまくいく。君がYESと言うのなら、―――ぼくが君の力になるよ)」  真っ直ぐにおれを捉えたブルーが、照明の光を反射させた。それは、美しい色を纏った光明が、おれの前途を明るく照らした瞬間だった。 「―――(資産=負債+純資産、このバランスが肝心(かんじん)だ。このとき、負債と純資産との比率が同じであることも重要だ…―――)」  おれは今、経営学について個人的レクチャーを受けている。講師はJaxtynが紹介してくれた、一流企業でCEOを務める大物。  月日は早いもので、おれが新ビジネスを立ち上げてから六ヶ月が過ぎていた。Jaxtynによる支援のもと、ここハリウッドで日本語教育に力を入れている。事業内容は、showbiz(芸能界)に身を置く親子向けに、日本語教育をサービスとして提供するというもの。  家庭教師派遣事業と似たようなものだが、顧客は世界的セレブリティーとその子供。親日が少なくないshowbiz界隈、第二言語として日本語を選択してもらおうと試みた。また『子守の一環として』を売りにしたところ、現場に子供を連れてくる親に好評だった。  さらに、アルバイトにはshowbizに夢見る若者たちを雇っている。中にはハリウッドデビューを目指して日本から渡米し、短期間でデビューする機会を得た者もいる。  着実に、成功への道を上っているというわけだ。だが、大船に乗った気分には、まだ早い。すべて失い一文無しになったおれの人生、『それからの日々』は、まだ始まったばかりなのだから―――。
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