缶コーヒーはブラックで

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どうやらキスは諦めてなかったようだ。彼はなんの躊躇もなく顔をこちらに寄せてきた。 「へ……? はぁっ!? ちょっと待て。無理無理無理……っ!」  首を振ってみたが、彼が止まる気配はない。八戸はぎゅっと目をつぶって無理を連呼し続けたが、いつまで経ってもキスの気配がない。 (あれ……?)  試しに口を閉じてみても同じだった。不思議に思って瞼を開けると、勝ち誇った睦が視界いっぱいに広がっていた。 「いや、全然逃げないなと思って」 「ふざけんな……むぅ……ん……」  反論は口付けに飲み込まれた。薄い唇が押し付けられ、八戸はとっさに目をつぶった。ベンチの背もたれに身体を預け、降ってくるキスを享受する。  覆いかぶさってくる背中に手を回し、こんなの誰かに見られたらもう言い訳できないなと考えながら、握られた手を握り返した。  唇を吸い合うようなキスを何度も繰り返し、八戸がおもむろに舌で彼の唇を舐めるとお返しとばかりに舌を吸われた。 「ふ……んんぅ……」  甘い感覚に思考が溶けていく。口付けがこれ以上深くなる前に、八戸は最後の理性を振り絞って彼の身体を離した。熱っぽい視線を絡めたまま、二人はしばらく息を整えた。 「八戸さん……」 「……むつきゅん……」  うっかり放った失言を睦が聞き逃すわけがなかった。ちょっとからかうような表情でわざとらしく聞き返してくる。 「むつきゅん?」 「いや、睦くんって言ったんだよ」 「ふーん」  にやにやしている彼を横目で見て、八戸は軽く咳払いをした。 「……睦くん。俺、君が高校を卒業するまでちゃんと待とうと思う。来年の春に君と付き合うって約束するから」  こういうのってけじめが大事だ。今は十二月あとたった三ヶ月で彼と付き合う壁が一つ減るなら、それが最善かつ誠意を示せると思ったのだ。  しかし、睦はなんだか申し訳なさそうな表情をして頭を掻いた。 「あの……、多分勘違いしてると思うんすけど、定時制って高校四年まであるんすよね」 「え、そうなの」 「それとあんま言いたくないんすけど……一年の時に日数足りなくてダブってるんで、あと二年は高校に通うんすけど……それでも待ってくれるんですか」  八戸は即答できなかった。その沈黙を睦は肯定と捉えたようだった。 「八戸さんは、さっきたった二年とか言ってたし平気かもしれないけど……」 「二年は長いよ!」  八戸は立ち上がって叫んだ。 「え……、でもさっき……」 「二年って七三〇日だろ。むつきゅんが俺を好きなんて言い出す日が何もしないまま七三〇回も繰り返されるなんてありえない。その間に君は成長して今のむつきゅんじゃなくなってるかもしれないじゃないか。三ヶ月は待てる! だが三ヶ月が限界だ」  そこまで一気にまくし立てたあと、八戸はようやく我に返った。睦が呆然とした顔でこちらを見ている。  やっちまった。  そう思ったが、もう誤魔化しようがないのも理解して、八戸は静かにベンチに腰を下ろした。 「ごめん……。今のは忘れて……」 「じゃあ、今付き合うってことでいいですか?」  ベンチに座ったままの睦が冷静に今の話をまとめてくる。八戸はそのまっすぐな瞳から逃げるように曇った夜空を見上げ、頷いた。結局、好きだと言ってしまった時点で答えは決まっているのだ。 「……よろしくお願いします」  睦は嬉しそうに目を細めて頷いた。彼はベンチの上に置かれたままだった缶コーヒーのプルトップを開け、それを渡してくれる。  一口すすると、ぬるくなったコーヒーが苦味とともに口の中に広がっていく。  社会的、会社的にバレたら終わりの綱渡りが始まったというのに、八戸の心には幸福感で満ちていた。これからも並んで座れることが、なによりも嬉しい。  隣の彼を見ると薄い微笑で答えてくれた。彼も同じ気持ちだといいなと考えながら、静かな時間を楽しんだ。  コーヒーを半分ほど飲んだ頃、彼はゆっくりと口を開いた。 「あの、ずっと考えてたんすけど……」 「うん」 「俺も八戸きゅんって呼んでもいいすか」 「駄目」 おわり
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