命乞い

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 澪は二十歳になっていた。体つきはすっかり女性らしくなり、髪ももとの艶やかなものに戻った。  超人的についた筋肉は、今では一見華奢とも思えるその体の中に忍ばせていた。  自然なものを食しているため、肌艶もよく健康的に見えた。  澪は、神経を麻痺させる毒のある杓牙草(しゃくげそう)を生で噛りながら、勧玄と草むらで仰向けになり体を休めていた。  毒に耐性のある体を無駄にしないようにと、日頃から害のない範囲で自ら毒を摂取するよう勧玄から言われていたからだ。  反対に急激に毒を摂ることをやめれば、体が解毒を始め、種類の多すぎる体に含んだ毒が喧嘩をする。それらが強烈な毒を産み、体に害を及ぼすことになる。最悪、命を落としかねない。  九重も勧玄も、それだけは避けたかった。 「ねぇ、勧玄様」 「んー?」 「勧玄様はそんなに強いのに洸烈郷の統主になろうとは思わなかったの?」  ずっと引っかかっていた疑問だった。勧玄程の実力があれば、洸烈郷の統主である甲斐(かい)家に養子縁組もできたはずだ。  何よりも武力を欲しがる洸烈郷が黙っているはずがない。 「ならないよ。俺は國を制圧するために強くなったんじゃない」 「え?」 「俺には、郷全体の命なんて重てぇんだ。たった少しでいい。本当に大事なものだけ守れたら、それでいい」 「守る……」 「今はお前だな」  そう言って、勧玄はわしゃわしゃと澪の頭を撫でた。実父である憲明の手はもう忘れた。勧玄の手は大きく、力強く、暖かかった。 「でもさ、今の統主は栄泰郷のやつら皆倒しちゃったんでしょ?」 「そうだな。でもまあ、栄泰郷は頭数が多いだけの郷だからな。一人あたりの武力なんて大したことはない。洸烈郷は強ぇぞ。あそこの統主相手じゃお前でも負けるかもな」  そう言って冗談まじりにかっかっと笑う。勧玄には自信があった。澪はその辺の統主とだって互角に戦える程の戦闘力を得ることに成功した。  家臣であれば、歯もたたないだろう。  栄泰郷は五つの郷の中で最も人口の多い郷だ。軍勢の数だけならどの郷よりも多いだろう。子孫繁栄のため、様々な催しもされており、子宝を望む奥方が忍びで参加することも多いと言われている。  多勢に無勢とはよく言ったもので、その人数の多さで郷を守ってきた。しかし、澪の言う一件で多勢も強大な力には及ばないという力の差を見せつけられることとなった。  あの一件から、栄泰郷は大人しくしているが、実際のところ何を考えているかはわからない。隣郷の翠穣郷(すいじょうきょう)と同盟を組むという噂も耳にする。  武力としては今一つの翠穣郷が他の郷より優れた力を持ち、国王になるなど無謀といえよう。だとすれば、同盟の話もあながち間違ってはいないかもなと勧玄は思う。 「とりあえず、お前はこの郷のことだけ考えろ。どこの郷よりもここが一番まずい。城の者が城下の民との交流を絶ってどのくらい経ったかな。皆それぞれ今まで通り生活しているように見えるが、郷の中で何かが起これば、もう止められん。  わかるか? この郷はもう終わってんだ。統主は郷のことなど知らん顔。使用人がこそこそと買い出しにくるくらいだ。こんなことがよその郷に知られてみろ。あっという間に匠閃郷は呑み込まれるぞ」  勧玄の言葉は、澪の不安を煽った。自分の家族は、本来守るべき民を放っておき、他の郷から守る力もない。  もしそうなったら、ここにいる優しい村の人々は、誰が守るのだろうか。他の郷に吸収されてしまったら、余所者の民達はどんな扱いを受けるのだろうか。  考えただけで恐怖だった。 「だから澪、お前は強くなれ。大切なものは自分で守れ」 「……わかった」  勧玄との約束だった。  その三日後、水汲みのために家を空けた澪が戻ると、変わり果てた九重と勧玄の姿があった。  無惨な光景を目にした澪は、血相をかえ、水のはった桶を投げ捨て、二人に駆け寄った。  九重の息は既になかった。ヒューヒューと細い音を立てて横たわる勧玄。 (何で……あんなに強かった勧玄様が……)  隣の九重の亡骸を見て澪ははっと息をのむ。 (お祖父様を庇ったのか……)  勧玄の腕につけられた浅い傷。しかし、そこは赤黒く腫れていた。 「……毒か」  澪は、それで全てを察した。  九重を庇った時、勧玄は毒を塗り込まれた刀で腕を切られたのだ。それ自体はかすり傷だった。しかし、九重を庇いながら戦う勧玄の体を徐々に毒が蝕んでいった。 (まずいっ、毒か!?)  勧玄が気付いた時には既に手遅れだった。一気に体の力は失われ、その時を待っていた男達が数本の刀を身体中に突き刺した。  親友の九重は、ただの刀工。鍛刀は誰よりも長けていても、それを使いこなせるのとはわけが違う。  九重の抵抗も虚しく、勧玄の目の前で心臓を一突きにされ殺された。
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