豊潤な郷

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 その頃歩澄は、煌明に渡す筈の書状を忘れたことに気付き、一旦城へと戻っていた。歩澄は城前で待ち、同行する瑛梓に取ってくるよう命を出していた。  瑛梓が馬に乗ったのを確認し、歩澄もまた洸烈郷への道を急ごうと向きを変えた。  その時、遠くに梓月らしき男が見えた。白金色の髪は、この城では瑛梓と梓月しかいない。遠くに見える姿でも、髪色を見て間違えること等ありえない。 (梓月か……? 今日は朝から城下に出ている筈だが……)  疑問に思い首を傾げる歩澄。馬が横を向くと、梓月の前に誰かが乗っており、軽やかに馬から飛び降りた。  その動きから、馬に乗り慣れている人間であろうと察する。  一瞬、客人か? とも思うが、次の瞬間その人物が頭の布を取り、梓月に手を振ったことで歩澄は己の目を疑った。  その鮮やかな赤髪は澪以外に見たことなどなかった。しかし、澪の髪が赤くなるのは、月明かりの下か、水に濡れた時。  何故、あの髪色で梓月と共に馬に乗っているのかと疑問を持たずにはいられなかった。  政務中である筈の梓月が澪と共に馬に乗り、城にいる。梓月は澪を置いて直ぐに馬を走らせた。城下へと行く道だ。  ヒヒィィィィン。  馬の鳴き声が聞こえ、歩澄は視線を瑛梓へと向けた。洸烈郷へと向かうため、馬の腹を蹴った瑛梓は、梓月には気付いていないようだった。  歩澄もこの件は後で問いただそうと、瑛梓と共に洸烈郷へと急いだ。 ーー  洸烈郷から戻った歩澄は、瑛梓を置き去りにし、真っ先に澪の元へと向かった。既に辺りは真っ暗であり、自室にいた澪は寝間着に着替えていた。 「歩澄様、おかえりなさいませ。洸烈郷はいかがでしたか」  普段と変わらぬ様子の澪に、歩澄は沸々と憤りが沸いてくる。昨日までは歩澄と秀虎と共に栄泰郷、匠閃郷への旅を楽しんでいた。それが城に帰って来た途端、梓月と二人でいるところに遭遇したのだ。  梓月と何処かへ出かけるなどという話は聞いていない。また、梓月は歩澄の命によって政務のため城下に行っていた筈なのだ。  両者が歩澄を欺き、故意に二人で会っていたとしか考えられなかった。 「澪、今日は何処へ行っていた?」 「……え?」  澪は息を飲んで瞳を揺らした。気付かれる筈がない。人目に付かないところで馬の乗降をしたのだ。それに、歩澄は先に城を出ていったはず。  澪は嫌な汗が滲んでくるのを感じながら、言葉を探した。しかし、歩澄の方が先に「梓月と共にいたであろう」と言った。  その言葉に澪は目を見開き、歩澄はその反応を見逃さなかった。 「逢い引きか」  歩澄は目を細めて言った。梓月が澪に慕情を抱いており、想いを告げていることも把握している。その梓月と二人きりで会っていたとなれば疑うのは当然のことであった。 「ち、違います! 決して逢い引きなどでは……」 「では何だというのだ」 「その……以前連れていってくださった湯屋に行きたかったのです……」  こんな形で知られてしまうとは……と澪はおろおろと動揺を隠せないでいた。 (それで髪が濡れていたのか。しかしこの反応……やはり私に気付かれまいと動いていたのか。やましいことでもあるのだろうな)  歩澄の苛立ちも膨れる一方である。 「何故私に直接言わぬ」 「そ、それは……」  澪は事実を言えずにいた。言えば傷について何かを言われそうで、くだらないなどと言われれば深く傷付きそうでどうしても次の言葉が出てこなかった。 「もうよい」  歩澄はくるりと向きを変え、澪に背を向けた。 「ほ、歩澄様!」  澪は引き留めようとはするが、やはりそれに続く言葉は出てこなかった。  歩澄は障子を閉め、梓月の部屋へと向かった。直臣である梓月を問い詰めれば、すぐにわかることである。梓月がいくら澪に慕情を抱いていても歩澄に逆らうことは許されることではない。  様々な可能性が脳裏を駆け巡り、歩澄の機嫌は更に悪くなっていく。
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