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楊は穏やかな雰囲気を一変させ、目を細めた。
「誰かが忍び込んだね」
「何!?」
「おそらく姫さんは拐われたよ。この薬は少量でぐっすり一晩眠りについてしまうような薬だ。それをこんなにも大量に仕込んであれば、相当な量を吸い込んだに違いない。眠らせて拐って行くなどとは考えたね」
「一体誰が!?」
「城内の者が裏切ったか、或いは先ほど言ったように忍び込んだか」
「忍び込むなど不可能だ! 潤銘郷も城も厳重に警備されている。他者が入り込むなど……」
「いや、いるじゃないか。唯一城の中まで入ってこれる余所者が」
「まさか……翠穣郷だとでも? いや、そんな筈はない。あそこは争い事を嫌う。人拐いなどもっての他だ」
「そんなに信用していいのかい? 穏やかそうに見えて牙を隠しているのかもしれないよ。どちらにせよ姫さんが拐われたのなら急がないとねぇ」
楊は顎の髭を撫でながら言う。口調は変わらず穏やかだが、目元は決して緩めてはいなかった。射るような目でいくつも地に転がった巾着を見つめていた。
「くっ……しかし確証がない。城内に監禁されていることも考えられる」
「前者の場合、ありえるだろうね。とにかく城内から探そう。門番にも翠穣郷の者の動きを確認した方がいい」
楊の言葉に歩澄は頷き、すぐに追加の動きが命じられた。
それから今に至るが、澪は一向に見つからずにいた。
本日、入荷に来た翠穣郷の者に尋ねたが、うちの郷がそんな事をする筈がないと認めようとはしなかった。この男は、澪を拐った男とは無関係であるため、当然であった。
怪しいところがないか積み荷の台車も馬も食料も全て調べ上げた。しかし、当然のことながら怪しいものは何一つ見つからなかった。
歩澄が途方に暮れた頃、血相を変えて城を尋ねてきた者がいた。翠穣郷からの遣いだという。
震える手で書状を差し出した男は、歩澄のただならぬ殺気にだらだらと脂汗を吹き出した。
書状は落伊吹直筆のものであり、家来が澪を拐ったことと、それを詫びる謝罪文が書かれていた。
「家来が勝手に拐っただと……? 虫のいい話を……おい! すぐに馬を出せ! 翠穣郷に向かう!」
「ほ、歩澄様直々に行かれるのですか!?」
近くにいた家来が恐る恐る尋ねた。
「当然だ!」
「歩澄様、既に日が落ちております。今から山道を通るのは危険ではありませんか」
歩澄の大声に駆けつけた瑛梓は眉間に皺を寄せ、明るくなるのを待つよう諭した。しかし、澪を拐ったのが翠穣郷だとわかった以上、いても立ってもいられぬ歩澄は「どちらにせよ向かっている内に暗くなる。ついてこれぬのであれば来なくてもよい」そう瑛梓の胸に書状を叩き付けた。
「……お供いたします」
瑛梓はぐしゃっと握り潰された書状を受け取り、覚悟を決めるかのように呟いた。それから周りの家来達に「今から出るには危険な故、歩澄様と私だけで澪を追う。馬に乗せて帰ってこられる状態かどうかわからぬ。明るくなったら馬車を出してくれ」と命じた。
それから間もなく歩澄と瑛梓は、潤銘城を後にした。歩澄は澪を責めたまま離れ離れとなってしまったことを悔やんでいた。
伊吹の真意はわからぬが、仮に澪が無事でなかった場合、手段など選んではいられぬと、手綱を握る手に力を込めた。
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