豊潤な郷

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 翠穣城では、澪は伊吹に連れられ城敷地内の畑へと来ていた。様々な野菜が実っており、沈みかけた太陽に反射して艶やかであった。 「明日朝からここへ出て畑仕事をする予定だ」 「うわあ……広い畑ですね。想像以上です!」  澪は辺り一面に広がる広い敷地に驚きの色を隠せずにいた。  ぐるりと一周見渡すと「明日は私もご一緒してもよろしいですか?」と伊吹に尋ねた。 「ここへか? かまわんが農作業など面白くはないぞ」 「私も農作業くらいしたことがあります故大丈夫です」 「……匠閃郷の姫がか?」 「はい。城下で暮らしたことがあります故」 「城下で!? 何故また……」 「経緯はまだ話せませんが、人手が必要でしたらお手伝いいたします」 「い、いや……こちらはそなたを拐ってしまった身だ。そこまでさせられぬ……」  澪の申し出に狼狽した伊吹であったが、澪に押しきられる形で翌日農作業を共に行うここととなった。  眠り薬により散々深い眠りについた澪は誰よりも早起きであった。農作業は日が登る前から行われることを知っているのだ。  これも稽古の内だと称し、よく勧玄に畑を耕させられたものだと懐かしく思った。時には野菜を採り九重の調理を手伝った。そんな穏やかな毎日が好きであった。  匠閃郷にも田や畑があるが、翠穣郷のもの程立派には育たない。特別な肥料を使っているのか、或いは新鮮な水が効果的なのか澪にも謎であった。  伊吹は己よりも早くに目覚め、畑にいる澪の姿に目を見張った。一度畑を見てから時をみて澪を起こしに行こうと思っていのだ。 「早いな……」  澪の後ろから声をかけると、驚いたように横に飛び退き、戦闘体勢をとるかのように体を屈めた。しかし、伊吹であると気付いた刹那、体の力を抜き「私も今起きたところです」と言った。 「そのように警戒せずともよい。私が言うのもなんだが……。それにしても随分素早い動きをするものだ。やはり、噂は本当だったようだな」 「噂……?」 「大和」  伊吹が後ろを振り返ると、ばつが悪そうに一人の男が伊吹の背後から顔を出した。  伊吹と並ぶと小柄に見える男であった。齢は二十歳。澪よりも一つ年下であるが、見た目はずっと幼く見えた。しかし、伊吹に憧れて鍛えぬいた腕は太く、筋肉が盛り上がっていた。 「申し訳ございませんでした!」  澪の顔を見た途端、大和は派手に頭を下げた。澪が首を傾げると「そなたを拐った男だ。昨日は目覚めたばかりであった故、心労がかかると思って会わせなかった。当人より謝罪をさせようと呼んだのだ。俺の直臣である大和だ」と伊吹が大和に視線を移して言った。 「それで、噂と言うのは……」 「大和」 「は、はい……。私の家来が潤銘城へ出荷しに行った時の事です。匠閃郷の姫様が木刀を持って稽古をしているところを見かけたとのとこでした。……それはそれは素晴らしい程の刀捌きで度肝を抜かれたと……」  澪はまさかそんなところを見られていたとは、と顔をしかめた。潤銘城の者は皆、澪の剣術が優れていることを知っていて当然だが、他郷の者から見れば驚くのも無理はない。 「数日前の評定で潤銘郷統主と匠閃郷の姫様とが栄泰郷統主に会いに行ったという話を聞きまして……。皇成様が我等翠穣郷を裏切り、潤銘郷と匠閃郷と手を組もうと目論んでいるのではないかと思ったのです。そ、それで……攻め込まれてしまう前に神室様の弱味である姫様を拐ってしまった次第でございます……」  最後は震える声でそう言った。 「そうでしたか……。皇成様には、恋仲の娘を連れて遊びに来いと歩澄様に書状が届いたのですよ。女人好きの皇成様の興味本位といったところです。故に、他郷を超えた軍義でもなんでもありません」 「は、はい……」 「それに、歩澄様と皇成様には確執があります。私達が栄泰郷へ行ったことはご存知でも、そこまでの経緯については何も知らぬのですか?」  澪は半ば呆れた口調でそう言った。澪には、己の稽古の様子を見られ、敵わないと悟った翠穣郷の家来が眠り薬を使って澪を拐ったことに納得がいった。しかし、拐った理由がなんとも浅はかであり、伊吹の命でないことは明らかであった。
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