四人目の●● --y--m

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四人目の●● --y--m

「こんばんは」  今回は私の方から声をかけた。  果たして自分と話すというのはどういう気分なんだろう、その今後二度と経験することのない現象に胸が震えた。  しばらく部屋の雑音が聞こえたかと思うと、遠くから届いてきたのはとあるか細い声だった。 「おお、こんばんは」  聞こえてきた声は想像していた三十歳男性の声ではなかった。  その声には力がなく、しゃがれている。明らかに老人の声だった。ひょっとするとこの先長く無いのではないか、そんな匂いさえも漂わせるか弱いトーンだった。  私は思わず聞いてしまった。 「あなたは……誰ですか?」  相手は少し待ってから答えた。 「これは……たしか、そういうのは言っちゃいけないんじゃないのかね」 「ええ、そうでした。すみません」  私は動揺していた。  奥の方から子どもの話し声らしきものも混じっている。何を言っていいかわからず黙っていた私に、老人の方が声を発した。 「ところで、悩みは……何でしたかな?」  ゴホッ、ゴホッ、と痰の絡んだひどい咳が続いた。  悩み? これはどういうことだろう。そもそもこれは私が相手の悩みを聞くボランティアじゃなかったのか? これじゃあまるで私が……。 「無いのか?」 「いや……そうですね」  私は一つ呼吸を落ち着かせた。 「私、人が良すぎて、思ったことが言えないんです。嫌われるのが怖くて。そんな自分がすごく嫌で。毎日毎日しんどいです、だから……」  言葉に詰まった私に老人は、うー、という唸りにも聞こえる声を発してからしばらく黙った。そして口を開いたようだった。 「なるほど。それで? 振り返ってみて、君は不幸な人生だったか?」  言葉が胸に刺さる。  今まで話した依頼者、彼らを私は蔑んだだろうか、見下しただろうか、かわいそうな人と思っただろうか。 「いえ、とても幸せでした」 「だろう。だったらそれでいいじゃないか」  私が話した三人は皆、透き通った声をしていた。未来を夢見てキラキラしていた。  いじめに遭った小学生時代。目の前が真っ暗になって、無視されるのが怖くて人に話しかけられない毎日を過ごしたけれど、おかげで友達の大切さに気づいた。そんな中でもずっと友達でいてくれた一人は今でも私の大切な友人だ。  父を亡くして家計が厳しくなってもそれでも母さんと力を合わせて乗り切って来れたことは今でも自信に繋がっている。  就職活動、自分というものが初めて何度も否定されて、何もかもが信じられなくなっていた時期。思ってもみないところから来た内定に久々に涙を流した。  その後も思った事が上手く言えなくて、辛いこともあるけれど、それでも人に優しくできるこの今の自分は何よりの宝物だ。 ——それでいいじゃないか。  なんでそれに気づかなかったんだろう。ふと、涙が溢れて来た。  パソコンの奥から、ゴホッ、ゴホッ、と痰が出し切れないくらいのひどい咳が聞こえて来た。 「……すまない、最近調子が悪くて。もうここまででよいかな?」 「待ってください!」  どうしても聞かなければいけないことがある。私は必死でしがみついた。 「あの、あなたは……。幸せでしたか?」  しばしの沈黙。それはただの間なのか、思案を巡らせているのか、それは私には分からない。 「あぁ、とても幸せだったよ」  良かった。それを聞けただけで十分だった。 「そうですか、ありがとうございました」  気づけば視界が歪み始めた。  思わず嗚咽が漏れた。老人は最後にこう言った。 「こちらこそありがとう。こんな幸せな気持ちにしてくれて、生き抜いてくれてありがとう。もう時間だ、それじゃな」  そのまま通信が切れた。  その後相談依頼は来なかった。  いつからだろう、   サンタクロースを信じなくなったのは。  いつからだろう、   クリスマスが楽しみでなくなったのは。  いつからだろう、   未来が楽しみじゃなくなったのは。  でも今日だけはほんの少し、遠い未来を夢見ながら優しい気持ちで眠れるかもしれない、そんな気がした夜だった。  メリークリスマス、おやすみなさい、良い夢を。
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