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突き落とされる
夢を見た。
高校生の時に大好きだった男の子が出てくる夢で、当時はほとんど会話なんてしたことのない彼と、学校で仲良く話をしている夢だった。
渡り廊下の端と端をシャッターで閉めてしまうと大人数で使える教室のようになっていて、アップライトのピアノが置いてあり、主に第二音楽室のように使われている場所だった。冬の終わりで、煙突付きの石油ストーブの匂いと、暑くなり過ぎた室内の温度を下げるために細く開けられた窓から漂ってくる湿った土の匂いが混ざり、暖かい春を予感させる妙にリアルな夢だった。
私達は、卒業生に向けてクラスで歌を披露することになっていて、どうしたらもっと良くなるか、というような事をダラダラと話していた。
彼は私と話しているのが楽しくて仕方がないという様子で、私は大好きな彼と二人きりで話をしているという状態に舞い上がってしまっていた。
弾む二人の笑い声。
当時、その彼には可愛らしい彼女がおり、私は今よりも15キロ太っていて恋愛とは無縁の容姿をしていたため、絶対にありえないような設定だった。
卒業以来、その子とは会った事もないどころか見かけることも無かったから、夢の中の彼は17歳のままなのに、私は現在の年齢ーつまり31歳ーというところだけが実に悲しい夢だった。
あまりにその場が楽しく、有頂天になった私は無謀にも彼に思いを告げようとしていた。
「あの、私ね、・・・」
だけどその先の言葉が出てこない。
何度も何度もトライするが肝心な言葉が出てこない。
「なんだよ、どうした?」
彼も私が言おうとしていることがことがわかっている様子で先を促してくる。
4、5回ほど「私ね、・・・」を繰り返したところで目が覚めた。
まだ、胸の中が甘く、心地よい窓からの冷たい風が前髪を揺らしている気がした。
夢から覚めた世界では雨だった。小雨で、音も立てずに静かに降っているのが気配でわかる。
夢の中とは正反対に、重苦しい感情があっという間にユリの全身を支配した。いつも枕元に置いてある携帯電話の画面を指でタップする。待ち受けにしてある好きな漫画家の派手な絵と共に、日時が浮かび上がる。
「12月2日 月曜日 04:37」
しばらく布団の中でうずくまってみたが、もう眠れそうにもない。思い立ち、布団から出ると洗面を済ませ、パジャマからデニムとセーターに着替えてコートを羽織り、斜めがけの鞄に財布と鍵だけを入れてアパートを出た。
12月の朝の5時過ぎ。もちろんあたりは真っ暗で凍えるような寒さだ。雨は止んでいたが道路は街路灯に照らされてツヤツヤと濡れているのがわかった。
雪になるかもしれない。
ユリは特にあてがあるわけでもなく、人気のない田舎の道をひたすら歩いた。
手には途中で見つけた自動販売機で購入したホットの緑茶のペットボトルが握りしめられている。
「これからどーすっかな。」
心細すぎて、思わず声に出して言ってみる。今日の予定のことではない。
人生のことである。
ユリは昨日、突然会社をクビになったのだった。
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