深山の王

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 数日して、父が小さなタッパーに入ったノコギリクワガタのメスを持って帰ってきた。 「同僚がさ、クワガタ沢山飼ってるからって一匹くれたよ。やっぱりこいつもずっと独身じゃ可哀相だからな。」  こうして虫かごの住人が一匹増えた。陽太は早速、ノコギリクワガタのメスの写生を開始した。オスの画はすでに出来上がっていたが、角度を変えて再び描く予定であった。陽太は大好きな読書の時間を削ってまで、飽きもせずに彼らを観察した。 「そんなに気に入ったのか。なら取りに行けばいいのに。今はちょうど一年で一番、クワガタやカブトがいる時期だぞ。」  父の言葉はとてつもない魅力を持って陽太に響いた。それで明くる日の朝食の卓で、彼は意を決して話しかけた。 「ねえお父さん、クワガタを取りに行きたいな。」  陽太はこれまで自分から何かをしたいと言ったことはほとんどなかった。今だってたったこれだけのことを言うのに、顔の表面がなぜだか異様に熱くなった。しかし彼は躊躇(ちゅうちょ)している場合ではなかった。一年の内で、クワガタを取れる時期は限られているのだ。
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