第1章

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第1章

 焦げた匂いのする風が、少年の頬を撫でた。  常人であれば凍えてしまいそうな冷たい風が、爆撃の焔で若干温められている。そこかしこでまだ煙の上がる、瓦礫の山と化した村を、少年は何かを探すように歩いていた。 「…………」  道端の瓦礫の塊――家だったものの下から、微かなが聴こえた。今にも消えそうなその音を、少年の受音装置は逃さず捉える。  ベージュがかった金髪を風に揺らし、少年は音の聴こえた瓦礫の前に立った。受像装置のモードをサーモに切り替えスキャンする。  ――生存反応確認、攻撃。  少年は指先のレーザー砲で目の前の瓦礫を薙ぎ払った。  サーモモードのままだった受像装置が受信した映像は、熱源を表す暖色に染まる。人間の生存できる温度を越えていた。  少年は瓦礫の山から一瞬で更地になった場所に背を向け、また何かを探して歩き始めた。  ミルクティーブラウンの髪とエメラルドの瞳を持つこの少年は、人間ではない。戦争用に作られたロボットである。  アジアの島国で生まれ、家族で北欧に移住し、その後単身軍事大国に渡った変わり者の工学博士。少年はその博士の『作品』のうちの1体だった。  博士は彼を「スィスタ」と呼ぶ。  スィスタは博士が契約を結んでいる国の軍隊に所属し、「マスター」の命令に従って軍の作戦を遂行する。作戦のない時は、自分を作った博士――「マイスター」の邸で過ごしている。  スィスタのマイスターには、「変わり者」と呼ばれるに足るある悪癖があった。彼は自身の作品であるロボット達に、それぞれ異なる「性質」をインプットしていた。  それは、人間においては「感情」と呼ばれるモノ。マイスターの作品には全て、何かを「感じる」能力――心が備わっている。  あるロボットには「楽しい」と感じる心を。  またあるロボットには「淋しい」と感じる心を。  そしてまたあるロボットには「憎い」と感じる心を。  何故そんな事をしたのか、それは誰にも分からない。無機物に人間と似た感情を持たせた理由を、マイスターは生涯語らなかった。マイスターの最後にして至高のロボット・スィスタにも例外なく、ある心が宿っている。  それは「美しい」と感じる心だった。  この村には、もう生き残りの人間はいないようだ。しばらく歩いてそう断じた少年は、作戦終了の信号をマスターに送り、ぱちりと受像装置――瞳を閉じた。  ふぃん、と身体の中で小さな音がして、行動モードが切り替わる。バカみたいにエネルギーを喰う戦闘モードから、通常モードへ。  少年は改めて、自分が壊滅させた村の全景を眺めた。  行動モードを切り替えたスィスタは、それでもまだ何かを探していた。生存者を探しているのではない。それはもうこの村にはいないから。スィスタが探しているのは「美しいもの」だ。  スィスタ達ロボットは、マスターの命令によって動く。どんな時でも、マスターの命令が最優先事項である。ただし、マイスターにプログラムされたスィスタの行動パターンには、マスターの命令より優先度が下の階層に、マイスターのある命令がある。 『戦場に出るたびに何か1つ、「美しいもの」を持ち帰ること』。それがマイスターからスィスタへの、たった1つの命令だ。  戦闘モードの時のスィスタは、「美しい」と感じる心を発動できない。スィスタはマスターの命令を遂行するために戦場を駆けた後、通常モードに移行してから、今度はマイスターの命令を遂行するため戦場をさまよう。  自ら壊した美しいもの――「美しかったもの」を横目に、美しいものを探す。  村の全景を見つめたスィスタは、村人の遺体が数多く折り重なる一点を見つけた。襲撃から逃げ惑う人々が、こぞってどこかを目指したのだろうか。  死に際した者が「美しいもの」を守ろうとする光景には何度か遭遇した事がある。スィスタは点々と倒れている遺体を辿るように、その場所へ向かった。 「…………」  村人の遺体が集まっていたのは、村の南の外れ、湧水のほとりだった。湖と呼ぶには余りに小さい、だが透き通った清水をこんこんと湧き出す泉だ。細い小川が流れ出すその泉に、人々はおそらく水を求めて殺到したのだろう。熱源を狙って上空から爆撃され、その人々も今や息はない。  スィスタは踵を返そうとして、ふと足を止めた。認識した画像の中に、人の姿を見たからだ。即座にサーモモードに切り替えて熱源を探るが、いくら見渡してもそんなものはない。  スィスタは見間違い……デバイスエラーを疑った。マイスターにその旨を信号で送る準備を始めた瞬間、今度は受音デバイスが声を拾った。音ではなく、声だ。周波数と波形パターンからして、少女の泣き声。  スィスタはもう一度だけ確認しようと、受像モードを通常の光学モードに切り替えた。 「あなたはだれですか?」  ほぼゼロ距離地点から聴こえたその声に、スィスタの行動モードは反射的に戦闘モードに切り替わってしまった。人間で言えば、身構える程驚いた。スィスタが受像モードを切り替えた途端、スィスタの目の前に赤い着物の少女が現れたのだ。  否、少女はずっと、スィスタの目の前にいた。ただ、スィスタのサーモモードの視界には少女が映らなかったのである。  スィスタの中にインプットされている「人間」の定義に、彼女は当てはまらなかった。だからスィスタは彼女に対して、戦闘モードをすぐに解除した。マスター命令は、この村の人間を殲滅する事。人間でない彼女に対して、何らかのアクションを起こす必要はない。 「あの……聞こえますか?」  少女は不安げに、返事をしない相手を見上げる。  何か応答しようにも、戦闘用カスタマイズで不要なデバイスを外した状態の今のスィスタには、声を発する術がない。仕方なくパクパクと口を開閉してみせると、少女は納得顔で小さく頷いた。 「声が出せないのですね。この村の人ではありませんよね? お分かりかと思いますが、ここは危険です。いつまた攻撃が再開されるか……。早く逃げてください」  そう言い募る少女の口調は切羽詰まったもので、本気でスィスタの身を案じているようだ。  少女は知らないのだ。さっきまでの爆撃をしていたのが、外ならぬ目の前の少年であることに。  動こうとしないスィスタに、少女はくしゃりと顔を歪めた。 「お願いです……もう誰も私の目の前で死なないで……」  褐色の瞳から、ほろほろと透明な水の粒が落ちた。スィスタはそれを見て思った。 (見つけた……「美しいもの」)  スィスタは無言で少女の手をとった。少女は一瞬目を丸くしたが、すぐに悲しげな顔で首を振る。 「私はここを離れられません。私の事はお気になさらず、早く逃げてください」  少女がその場を離れられない理由は、一目瞭然だった。木々の枝に絡まった一束。地中に埋まった一束。少女の長く長く伸びた黒髪が、彼女自身をその池のほとりに縛り付けているのだ。  スィスタはロボットなので、それが『何故か』などとは考えない。ただ『美しいものを持ち帰る』というマイスターの命令を遂行するためには『どうしたらいいか』。それだけを考える。  スィスタは一旦少女の手を放した。少女はホッとしたが、スィスタはその場を離れるどころか少女の周りをうろつきだした。 「何を……あっ」  つん、と髪を引かれて、少女は小さく声をあげた。スィスタが掴んだその一房は、近くの木の枝に絡んでいる。  スィスタはしばらくその髪を見つめていたが、碧の瞳をひとつ瞬くと、少女に断りもなくバッサリと断ち切ってしまった。 「な……」  余りの事に少女は声を失った。その間にもスィスタは、少女をこの地に縛り付ける糸をバッサバッサと断ち切っている。少女が我に返った時には、長い長い黒髪が背中の中程まで短くなっていた。  少女は深い褐色の瞳いっぱいに戸惑いを浮かべ、スィスタを見上げた。  この人は、そこまでして私をここから連れ出したいのだろうか。 「だめです……行けません。ここの人達は私を愛してくれました。彼らを置いては……」  少女の言葉に、スィスタはふい、と視線を動かす。つられて見た先には、村人達の無惨な遺体の山があった。 (そうだった……)  自分を愛してくれた村人達はみな死んでしまった。この村はもう、死んでしまった。置いていかれたのは自分の方だ。  思わず目を伏せた少女の顔を覗き込み、スィスタは再確認した。少女の流す涙は、美しい。  俯き、嗚咽をこらえて静かに泣く少女の瞳からこぼれおちる雫を、スィスタは掌に受けてみた。自分の作り物の掌の上では、小さな雫はちっとも美しくなかった。  少女はざんばらな髪を揺らし、スィスタを見上げた。その瞳はまだ潤んではいたが、心を決めた強さがあった。 「分かりました。あなたが私をどうしたいのかは知りませんが、私を必要として下さるのなら……お供いたします」  涙の最後の一粒を瞬きで払い、少女はスィスタの前で深々と頭を下げた。 「雪椿と申します。どうぞよろしくお願いします」
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