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23歳 本当に大切なもの云々って何万回も聞いたのに
恋人がいる状態で迎えた初めてのクリスマスは、だけど思いっきり仕事だった。
ひとり暮らしのアパートのすぐ近くにあるドラッグストアで、ニベアの青缶とキットカットを買って車に乗り込むと、暖房の余韻が残る車内で冬を感じた。
お互いに仕事だとわかっていたし、それをなんとも思っていない私に恋人は
『一緒に過ごせなくてごめんね』
とメールをくれて、それで私は、はりぼてでできた幸福のお城みたなのに守られているような気持ちになれる。
人並みの幸せ。
人並みの人生。
人から見て幸せ。
人から見て普通。
そういうのが喉から手が出るほどに欲しくて、だけど実際手にしてみると、みんなそれと同じ気持ちだったのかなって思う。
みんな本当は幸せじゃないのかも。
人から見た普通の幸せを、演じてるだけなのかも。
でもなんでそんなふうに思ってしまうの?
優しい恋人。クリスマス当日は無理でも、週末は泊まりに行くって子どもみたいにはしゃいでくれる恋人。
それ以上なにが必要?
ニベアの青缶とキットカットの入ったビニール袋を助手席に置いて、恋人からのメールを読み返していると考えるのがバカらしくなってくる。
湧いて出てくる疑問全部、肯定してしまっていいって、それでいいやって、思えてくる。
そんなふうに思う自分が本当の自分じゃないこと、それすらもいいやって。
白いメール画面が突然、真っ黒になる。
0コンマ何秒の間があって、「着信」の文字。
どうせ恋人からだろうと思っている。でも、どうせって何? ねえ、自分。
そんな自問自答を2周くらい繰り返し、だけど画面に映る名前が君の名前だって気づいて、吐きそうになった。
冗談じゃなく本当に。
お腹の真ん中がじゅわって熱くなって、心臓が逆上がりする。口からなんか、大事なものが出てきそう。
それくらい、君の名前の漢字の並びは、私のことを動かしてしまう。恋人がいる私でも、いない私でも。
「もしもし」
どんな声で出ればいいか考えて、わかんない無理って思うけどそれ以上に怖いのは電話が切れてしまうこと。
そうしたら思った以上に声が低くなっちゃって、電話の向こうで君は笑った。
「声ひくっ」
シシシって笑う君の声。
数か月前まで毎日のように聞けた声。
どうしようもないくらい宝物だと、瞬間、気づいてしまう。
「久しぶり。元気?」
君の声はそう訊くのに、
「なに? なんかあった?大丈夫?」
答える声は切羽詰まって泣きそう。
「えー? 別になんもない」
のんびりした声。低くも高くもない君の声。
私にとってはどこまでも優しい、救いみたいな声。
「なんとなく、元気かなーって思って」
「げ、元気だよ」
「そっか」
「本当になにもない?なんかあったとかじゃない?」
学生時代、用があると君はいつもmixiのコメント欄かメールをくれるばっかりで、電話なんかしてこなかった。
電話なんて珍しくて、だから何かあったんじゃないかって怖くてしかたない。
仕事が辛いとか、体調を崩したとか、事故ったとか。そんなんじゃないよね?
君の身に何かあったら、私はダメになってしまうよ。
「何をそんな心配してんのさ。なーんもないって。ただなんか、ちょっと声聞きたいなって」
声を聞きたい。君が、私の?
完全無欠の幸せの鉄壁が、みるみる私の身を囲う。本当に幸せと言える気持ちを知ってしまう。
「あ……いや」
黙り込んだ私に、君は少し気まずそうに言葉を繋いで、
「あーなんていうか。今日ほら、クリスマスだろ。どうせ一人寂しく過ごしてるんだろうなって。いっちょ独り身の愚痴でも聞いてやろうかなって思ったんだよ」
君はおどけて言って、
「俺も今年はひとりだからさー」
そう付け加える。
「美樹ちゃんは?」
最後に君に会った3月の、そのときの君の彼女の名前を言って、
「あ、もう別のコか。おモテになるから」
とってつけたみたいにおどけてしまう。それはそのまま、学生時代の、君の前での私。
「いやいやだから、今は彼女いないって」
その言葉を、私は4年間、ずっと聞きたかった。
「そちらも変わらずおひとりですか?」
おどけたふりの、緊張した君の声。
将来の夢を語ってくれた時と同じ声。
私の話に、「わかるよ」って言ってくれた時と同じ声。
「彼氏できたよ」
言った途端、ごめんねやっぱりバカみたい、そう強く思ってしまう。
私じゃない。こんなのは私じゃないね。
「そっか」
よかったじゃん。
じゃあ、お邪魔だったね。
不通音を聞きながら、はりぼてに憧れた自分を呪う。
君の電話一つでこんなにも、君の漢字の並びでこんなにも、揺れて揺れてぐらぐらになる。
本当の自分を思い出す。
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