観察日記3日目

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 事態が飲み込めず、僕は目を丸くした。優しく重なった唇は柔らかく、レモンの味なんてしなかった。"初めてのキスはレモンの味"というのは、どうやら都市伝説らしい。 「.........ぇえ......?」 唇が離れた時、思わずそんな声を漏らしてしまった。  そんな僕を見て、半田君は何を言う訳でもなかった。静かに唇を離した後、何度か口をモゴモゴと動かし、それから「ぶふ~~っっ」と息を吐いた。 「.........ねる、」 「え?ね......っえ???」 「おやすみ......」 「え、えぇ~~......?」 アッサリと僕のファーストキスを奪った半田君は、また僕の枕を抱き締めてベッドに横になった。  「......記憶にねェ」 「......左様ですか」 僕にキスをしてから眠りについて2時間後。「あぁ~よく寝たァ」と起きた彼にさっきの事を聞いたが、どうやら記憶にないらしい。 「寝起きわりぃからなぁ、俺」 「......それにしてもキスをするのは悪すぎると思いますが......」 「ん~......まぁ、いいんじゃね?」  半田君はそう言ってあくびをすると、首をゴキゴキと鳴らした。そして枕を元の位置に戻し、ベッドから立ち上がった。 「そろそろ帰るわ......ごめん、ベッド借りて」 「い、いえ、気にしないで下さい......」 皺になったスーツもそのままに、半田君は少しだけ乱れた僕の布団を直していた。 「......抜けた髪は捨てた方がいい?」 「.........そんな浮気の証拠隠滅みたいな事しなくてもいいですから」 「へぇ?いいんだ」 「......大丈夫です」 「まぁ、察男君カノジョいないもんね!」 サラッと言って笑った半田君の舌には、わざと外していないのか、それとも外し忘れたのか分からないピアスが輝いていた。  「じゃ、また明日ね」 靴の爪先をトントンと鳴らして、半田君がこちらを振り向いた。「泊まればいいのに」と言ったが「そこまでしてもらったら悪いから」とアッサリ断られてしまった。 「......はい。あ、あの、気を付けて......」 「え?何?俺の事心配してくれてるの?」 「......そりゃ、まぁ......はい」 「なぁんだよぉ!!察男君のくせに優しいじゃねぇかよぉ!!」 「いっ!いだだだっ!首っ!首取れる!!」  半田君が嬉しそうに笑いながら、僕の頭をグリングリンと撫でた。物凄い勢いでグリングリンと撫でるので、首が取れてしまうのではないかと不安になった。 「......ぅし、じゃあ、またあし......」 「あっ!ちょっと!半田君、待って!!」 玄関のドアノブに手をかけた瞬間、母さんが家の奥から走ってきた。  「これ、もし良かったらもらって?」 「え?い、いいんですか......?」 母さんが半田君に渡したのは、お菓子が大量に入ったスーパーの袋だった。半田君は目を丸くして、袋の中身を見ている。 「察男と仲良くしてくれてるお礼。うちの子、だいぶ変だけど......これからもよろしくね」 「........."だいぶ変だけど"は余計だと思う」 そんな会話をする僕と母さんを見て、半田君は楽しそうに微笑んだ。  母さんが「晩御飯の支度をする」とキッチンに行ったので、僕は家の外まで半田君を見送ろうと外に出た。 「わざわざいいのに」 「い、いえ...悪いので......」 一体、何が「悪い」のだろうか。我ながら不自然な事を言ってしまった。 「......あんがと」 それでも半田君は「何言ってんだ?」とは言わず、僕の言葉に微笑んでくれた。 「じゃ、今度こそバイバーイ」 「さ、さようなら~......」 ひらひらと手を振って、半田君が背中を向けて歩き出した。  「......ふぅ、」 半田君の背中が見えなくなったので、家に入ろうとした時だった。 「さぁ~~つおくぅ~~~ん!!!」 「はっ!!はいっ!!??」 遠くの方から大きな声で呼ばれ、僕は飛び上がった。声の方を見ると、半田君がこちらへ走ってきている......。  「な、ななっ、何ですか?」 「はぁっ...はぁっ......ごめん!忘れ物!!」 「わ、忘れ物?」 「ん!忘れ物!!」 半田君はそう言うと、僕の目の前に立ってニッコリと笑った。 「.........また明日ね」 「は、はい......またあし......っ」 そして僕の言葉を遮るようにして、半田君が僕の唇を塞いだ。  「......はぇ????」 「......忘れ物。しちゃったから取りに来た」 ぺろ、と僕の唇を舐めて、半田君が笑った。どうやら、忘れ物とはキスの事らしい。僕たちは新婚夫婦か。 「.........は、ははは...」 「んじゃ、今度こそまったねぇ~」 バイバーイと手を振る半田君の背中に手を振りながら、僕はムズムズする胸を押さえた。 (ファーストキスは無味無臭、と......)
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