95人が本棚に入れています
本棚に追加
事態が飲み込めず、僕は目を丸くした。優しく重なった唇は柔らかく、レモンの味なんてしなかった。"初めてのキスはレモンの味"というのは、どうやら都市伝説らしい。
「.........ぇえ......?」
唇が離れた時、思わずそんな声を漏らしてしまった。
そんな僕を見て、半田君は何を言う訳でもなかった。静かに唇を離した後、何度か口をモゴモゴと動かし、それから「ぶふ~~っっ」と息を吐いた。
「.........ねる、」
「え?ね......っえ???」
「おやすみ......」
「え、えぇ~~......?」
アッサリと僕のファーストキスを奪った半田君は、また僕の枕を抱き締めてベッドに横になった。
「......記憶にねェ」
「......左様ですか」
僕にキスをしてから眠りについて2時間後。「あぁ~よく寝たァ」と起きた彼にさっきの事を聞いたが、どうやら記憶にないらしい。
「寝起きわりぃからなぁ、俺」
「......それにしてもキスをするのは悪すぎると思いますが......」
「ん~......まぁ、いいんじゃね?」
半田君はそう言ってあくびをすると、首をゴキゴキと鳴らした。そして枕を元の位置に戻し、ベッドから立ち上がった。
「そろそろ帰るわ......ごめん、ベッド借りて」
「い、いえ、気にしないで下さい......」
皺になったスーツもそのままに、半田君は少しだけ乱れた僕の布団を直していた。
「......抜けた髪は捨てた方がいい?」
「.........そんな浮気の証拠隠滅みたいな事しなくてもいいですから」
「へぇ?いいんだ」
「......大丈夫です」
「まぁ、察男君カノジョいないもんね!」
サラッと言って笑った半田君の舌には、わざと外していないのか、それとも外し忘れたのか分からないピアスが輝いていた。
「じゃ、また明日ね」
靴の爪先をトントンと鳴らして、半田君がこちらを振り向いた。「泊まればいいのに」と言ったが「そこまでしてもらったら悪いから」とアッサリ断られてしまった。
「......はい。あ、あの、気を付けて......」
「え?何?俺の事心配してくれてるの?」
「......そりゃ、まぁ......はい」
「なぁんだよぉ!!察男君のくせに優しいじゃねぇかよぉ!!」
「いっ!いだだだっ!首っ!首取れる!!」
半田君が嬉しそうに笑いながら、僕の頭をグリングリンと撫でた。物凄い勢いでグリングリンと撫でるので、首が取れてしまうのではないかと不安になった。
「......ぅし、じゃあ、またあし......」
「あっ!ちょっと!半田君、待って!!」
玄関のドアノブに手をかけた瞬間、母さんが家の奥から走ってきた。
「これ、もし良かったらもらって?」
「え?い、いいんですか......?」
母さんが半田君に渡したのは、お菓子が大量に入ったスーパーの袋だった。半田君は目を丸くして、袋の中身を見ている。
「察男と仲良くしてくれてるお礼。うちの子、だいぶ変だけど......これからもよろしくね」
「........."だいぶ変だけど"は余計だと思う」
そんな会話をする僕と母さんを見て、半田君は楽しそうに微笑んだ。
母さんが「晩御飯の支度をする」とキッチンに行ったので、僕は家の外まで半田君を見送ろうと外に出た。
「わざわざいいのに」
「い、いえ...悪いので......」
一体、何が「悪い」のだろうか。我ながら不自然な事を言ってしまった。
「......あんがと」
それでも半田君は「何言ってんだ?」とは言わず、僕の言葉に微笑んでくれた。
「じゃ、今度こそバイバーイ」
「さ、さようなら~......」
ひらひらと手を振って、半田君が背中を向けて歩き出した。
「......ふぅ、」
半田君の背中が見えなくなったので、家に入ろうとした時だった。
「さぁ~~つおくぅ~~~ん!!!」
「はっ!!はいっ!!??」
遠くの方から大きな声で呼ばれ、僕は飛び上がった。声の方を見ると、半田君がこちらへ走ってきている......。
「な、ななっ、何ですか?」
「はぁっ...はぁっ......ごめん!忘れ物!!」
「わ、忘れ物?」
「ん!忘れ物!!」
半田君はそう言うと、僕の目の前に立ってニッコリと笑った。
「.........また明日ね」
「は、はい......またあし......っ」
そして僕の言葉を遮るようにして、半田君が僕の唇を塞いだ。
「......はぇ????」
「......忘れ物。しちゃったから取りに来た」
ぺろ、と僕の唇を舐めて、半田君が笑った。どうやら、忘れ物とはキスの事らしい。僕たちは新婚夫婦か。
「.........は、ははは...」
「んじゃ、今度こそまったねぇ~」
バイバーイと手を振る半田君の背中に手を振りながら、僕はムズムズする胸を押さえた。
(ファーストキスは無味無臭、と......)
最初のコメントを投稿しよう!