95人が本棚に入れています
本棚に追加
(ふぐぐぅ......く、悔しい......)
2人分のノートを取る事になった僕は、半ば睨むようにして斜め前の彼を見た。グーグーと気持ち良さそうに寝ている彼を見ると、無性に腹が立つ。
(いかん......ここで怒ったら敗けだ...っ)
ぐっと拳を握り、僕は机に手を入れた。こういう時は好きな事をするに限る。もちろん授業も大切だが、古典は得意科目だ。そこまで必死に受ける必要はない。
......というわけで、僕は"趣味"に走らせてもらう。
(えっと、確かこの辺に......あった!)
机の最奥。そこに置いてある"ノート"に指先が触れ、僕は口角を上げた。ぺらぺらとページをめくり、何も書いていない真っ白なページを開く。
(......ふっふっふ......)
そして彼の方をチラリと見て、ペンを握る。気持ち良さそうに寝る彼の後ろ姿をよく見ると、後頭部の毛が"ぴこん"と立っている。
"3月29日。寝癖がついている。間抜けな後ろ姿だ。しかも「寝るからノートを取れ」等とふざけた事を言われた。なんて日だ。ちなみに今日の香水はマリン系だ。あぁ、いい匂い(白目)"
(......ふぅ、)
思い付いた事を走り書きすると、気持ちが落ち着いた。
そう。これが僕の趣味........."特定の人間の観察日記を書く事"である。
何故、半田君......クラスのヤンキーの観察日記を書いているのかというと......いや、それはまたいつか話そう。とにかく今は観察し、気付いた事を観察日記に書く事に集中する。
観察日記を書かれているとは知らない彼は、相変わらずグーグーと寝ている。ちらりと見えた耳の軟骨に、ピアスが2つ増えている。勿論、観察日記にしっかり追加した。
「......えぇ、では皆さん。今日の授業で、何か質問はありますか?」
「.........え?」
教師の声に驚いて顔を上げると、既に授業の終了5分前になっていた。
(わ、やば......っ、)
2人分のノートに、急いで板書を書き写す。時間がないので、自分のノートには要点を書くだけにしたが、それだけでもテストは十分乗り切れる。
「.........はい。ではこれで授業は終わりです。テストに備えて、しっかり復習しておくように」
無機質なチャイムの音が響くと同時に、僕は板書を写し終えた2人分のノートを閉じた。
「...ん?ふぁ、あ~………ぁ、よく寝たァ」
むく、と起き上がり、彼が背伸びをした。寝起きの目を擦り、首をボキボキ鳴らす。
「んン......あ、そだ。察男くぅん?」
「ひ、ひぁい?」
僕の方を見た彼が、にゅっと手を出してきた。
「ノート、ありがとね?」
「......はい、」
にゅっと出された手にノートを差し出すと、彼は受け取ってすぐ鞄に入れた。そしてまた大きく背伸びをして「便所行こ~」と席を立った。
そして放課後、僕のもとに不幸が訪れる。
「......あれ?」
放課後の静かな校舎。僕は半ばパニックになりながら、机の中を漁った。
「......見当たらない」
今日1日の授業のノートは、全て鞄の中。問題は"観察日記"だ。観察日記が、どこを探しても見当たらない。
「......どうしよう...ヤバいって......」
もしもあの"観察日記"を、誰かに見られてしまったら......僕はもう死ぬしかない。パニックになりそうな気持ちを抑え、机に手をついて床を見つめた。
(どうしよう...どうしようどうしよう......っ)
視界がグニャグニャ歪む。足が冷えて、力が入らない。
(どうしよう...本気でどうしよう......っ!)
じわ、と涙が溢れた......その時だった。
「.........おい、」
「えっ!?」
聞き慣れた声に、僕は弾かれたように顔をあげた。
「は、んだ......くん」
聞き慣れた声の主は、やはり半田君だった。青白い顔をしている僕を見て、彼はにっこりと目を細める。
「どした?何か探し物か?」
「え!?っあ、いや......その...っ」
まさか「あなたの観察日記です」とは言えず、僕は言葉を探して下を向いた。
(な、何て言えば...あ、そうだ!)
「の、ノート、です」
「ノート?へぇ?そりゃ大変だなぁ」
半田君が目を丸くした。僕は目を合わせずに「はい、ノートです」と答える。
「......そのノートってさぁ、もしかして"コレ"?」
「......え?」
そう言って彼が僕に見せてきたノートを見た瞬間、頭が割れたのではないかという程の大きな衝撃を受けた。
「え?な、なんで......え?」
「俺の古典のノート。お前、その下に置いといたろ。コレ」
「......ぁ、」
まさかあの時に?2冊重なっているのを気付かずに手渡したのか?僕はなんて間抜けなんだ。ガンガンと痛む頭に、彼の声が響く。
「見覚えのないノートだからさ?"変だなぁ~"と思って中見たら......お前何してんの?」
しかも内容まで読まれてしまっているようだ。膝が笑い始め、歯がガチガチと鳴る。
「そっ......それっ、は......っ」
「きっしょくわる」
味がなくなったガムを吐き捨てるように、彼が言った。僕の全身から血の気が引き、涙が零れた。
「俺の事見てるだけならまだしも、こんな気色わりぃモン書きやがって......きっっもちわる」
彼はノートをバサバサと振ると、床へ叩きつけて踏みつけた。ぐしゃっと音を立てて、ノートが汚れ、歪む。
「陰キャなのは知ってたけどさぁ......流石にキモいのはヒくわぁ......ほんと無理」
ぐしゃ、ぐしゃ、と何度も踏みつける音が聞こえる。汚れ、歪んでいくノートを見ていると、もうどうしようもなくなった。
「あ~……きもっちわる......ん?」
気づけば、僕は彼の前で土下座をしていた。床に顔を押し付け、震える声で「ごめんなさい」と繰り返す。
「......ごめんなさい、ごめんなさい......っ!」
「.........。」
謝る僕を見て、彼は何も言わない。無言で僕を見下ろしているようだ。
「......そんな必死になんなよ。いぢめてるみてぇじゃん」
「ご、ごめんなさい......ごめ......っい!」
ぐい、と顔を上げさせられた。彼が僕の前髪をつかみ、無理に上を向かせているのだ。
「い......いだ......っ、」
痛みに目を細めながらも彼の顔を見つめると、彼はにっこりと目を細めていた。
「だぁからそんな謝んなってぇ。別に怒ってねぇし......」
「ただ......」と、彼が続ける。
「"他人の観察日記つけてる変態野郎"ってバラされなくねぇなら......分かってるよなぁ?」
「........ひゃ、ひゃい...」
にっこりと笑った彼がマスクをずらすと、牙のようなピアスが見えた。
こうして、僕の波瀾万丈な日々が幕を開けたのである。
最初のコメントを投稿しよう!