第一話

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第一話

 たまたま、本当にたまたまだった。  星太は僕の恋人だけど、親の前、すなわち親がいる家の中では基本友人だ。  でもその日は、無性にキスがしたくなって家の中でしてしまった。それを見られてしまったのだ。  なんて運が悪いのだろうと思う。僕らの両親はひどく怒った。その上、両方の親がお互いにお前の息子がたぶらかしたなんて言って。  仲が良かったのに、今は最悪とも呼べるほどの空気が漂っている。  自分たちのせいだとはわかっているけれど、僕たちは目の前の男が好きだったのだ。若かったけど、ちゃんと好きだった。社会の目が優しくないことも知ったうえで、ひっそりと恋愛をしていたかった。  日に日に、自分たちに向けられる親の視線が厳しくなっていく。  逃げ出したかった。  全部投げ出して、どこかに行ってしまいたかった。 「ね、ちはや。逃げよう。」 「どこに?」 「少し、遠くまで。」  そして僕らは行き先も決めず、電車に乗り込んだのだ。  自分が持ってこれるだけのお金を全部持って。 「こういうの駆け落ちっていうのかな。」 「…かもね。住むところも、生活できるだけのお金もないけど。若い、か。」  こんな風に思い付きで行動してしまうのは、僕らの精神的未熟さの象徴みたいなものか。 「どこで降りるの?」 「わからない、でももう少し遠くまで行こう。まだ電車に揺られてたい。」 「そうだね、もう少し。」  いつも使わない駅で乗り換えて、どこか知らない土地を目指して移動し続ける。  出発した時間が遅かったせいで三時間ほど経つと空が暗くなってきた。 「降りようか。」  着いたところに広がっていたのは、深い緑色が大半を占める風景。  高い建物なんて一つもない、のどかな景色。 「泊るところなんてあるのかな?」 「探してみようか。」  僕は野宿を覚悟していたけれど、意外とあっさりとそれは見つかった。  ぽつぽつとしか家が建っていないような場所で、一軒だけ少し大きめの家。看板を見ると民宿とある。 「…あったね。」 「あった。」  予約していないから空きがあるとも限らないが。  しかし、中に入ると優しそうなおばあちゃんが笑顔で迎えてくれたのだった。 「空いてるよ、二人かい?」 「そうです。予約とかしていないのに、大丈夫ですか?」 「いいよいいよ。こんなド田舎、ほとんど人も来ないからねぇ。夕食は済ませたの?」 「いえ、まだ…。」 「若い二人だから、サービスするよ。」 「見つかるものだね。きれいな部屋がいっぱい…。二階にある部屋全部から選んでいいってすごいね。」  外装は古く見えたが中はリフォームが施されているのか、和洋折衷で綺麗だ。  僕ら以外に客はいなかったようで、部屋は選び放題。 「申し訳なくなるな。」 「うん…。部屋って本当にどこでも選んでいいんだよね?」 「確かにそう言ってた。」  申し訳なさで自信がなくなって星太に再度確認してしまう。  こんなの初めて、というか外泊なんて修学旅行でしかしたことないから色々基準がわからないけど。 「そろそろ夕飯出してくれるって言ってた時間だよ。」 「ああ、行こうか。」  食堂に行くと家庭料理が湯気を立てて並んでいた。どうやら一人でここをやっているようで、おばあちゃんがごはんをよそっているところだった。 「食べな、お金はとらないよ。」 「申し訳ないです…。」 「すみません。」  二人してぺこぺこと頭を下げる。 「若いんだからうじうじしないで食べる!」 「なんか、できることとか…。」 「じゃあ、話を聞かせてくれるかい?」 「ええ、もちろんです。」 「ああ、嬉しいわ。爺さんが死んで、寂しくて。人の話を聞くのが楽しみなんだ。」  一人は寂しいよね。  もうここにずっといたいとさえ思えてきた。  手を合わせて、いただきますを言う。優しい声色で「どうぞ」と返ってきた。  料理は予想通りというか、とてもおいしかった。みそ汁の味が心に染みるようだ。素朴で飾り気のない、日本の味って感じ。 「それで、君たちは駆け落ちかな?」  僕は一瞬箸を動かす手が止まったけど、星太は平然とそうなんですと答えた。 「そうか。やっぱり…。認めてもらえなかったんだね。」 「はい、覚悟はしていましたが。」  星太の声ははっきりしている。僕と同じで色々思うところはあるだろうが、しっかりと受け答えできるのがすごいなと思う。僕だったら声が揺らぐだろうし。 「ここはそういう子たちが来ることが多いんだ。駅から見える景色は木だらけで、駆け落ちにはもってこいなのかもしれないね。人目につかない感じで。…ここに来た後死んじまう子たちもいる。君たちは…死んだりしないよね?」  そういう手もあるとは思っていた。それも一つの方法だけど…。 「死んだら終わっちゃうから、死なないです。あと、おばあちゃんが悲しむことはしたくないです。」  僕がいうと彼女はにっこりと微笑んだ。 「良かった。もう死んでいく子の顔は出来れば見たくない。寂しくなっちゃうもんだから。」 「大丈夫ですよ。」  色々なことを話している間にも、温かくて優しいご飯をつつく手が止まることはなく食卓はあっという間に片付いてしまった。 「ごちそうさまです。」 「お粗末様でした。」  食器の片づけを手伝って部屋のある二階に上がろうとするとおばあちゃんが優しい先生のように言った。 「たくさん話してよく考えなさい。ここには時間がたっぷりあるから。」 「はい。」 「ありがとうございます。」  僕らは一番狭い、ベランダがある部屋を選んだ。清潔感のあるベッドが二つ、壁に沿って並んでいる。  多くない荷物を床に置き、ベッドの上に座った。 「話せ、か。」 「…目を背けてちゃ答えはいつまでたっても出ないもんね。」  そうとは言ってもこうやって思い付きで行動している今、これからどうしたらいいかなんてなかなか見当のつくものではない。 「風呂いこ。」 「え?」 「寒いと脳みそが固まりそう。」 「…うん、そうだね。」  こうやって気持ちをほぐしてくれる星太が、僕は大好きだ。
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