十章 赤薔薇の花嫁

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十章 赤薔薇の花嫁

 議会で大公が無期限の禁固刑に処されてから一ヶ月が経った。 毒殺の片棒を担いだルゴーンも同様に地下牢に入れられ、国民にも包み隠さず真実が伝えられた。王族の全体の信用問題だとアルファスが国王を続けることに民から反発の声も上がったが、身内であろうと大公を議会で公正に裁いたことを認める意見もあり、現状としては国王の座につけている。これからは国王として荒れる国を平定しつつ、彼の理想の国の土台を創りあげていかなければならないのでやることは山積みだった。  そして今日、大公の件も片付き前王妃の体調も回復したためにガイルモント公爵の所有する大聖堂で即位式が行われている。前はルゴーンの邪魔が入り式は中断してしまったが、それでよかったのかもしれない。困難をくぐり抜け、より国王としての覚悟をもつことができた今だからこそ皆から尊敬の眼差しを向けられる王となれたのだ。  スヴェンとともに壁際に立ち、王冠を頭に乗せて凛と前を見据える彼の姿を目に焼きつけながら、彼のカヴァネスになれたことを心から誇らしく思った。  即位式を終えて城に帰ってくると、スヴェンに議会が終わるまで待っていてほしいと言われたシェリーは庭園を散歩していた。  大公が失脚してからは、議会の最終決定権をアルファスが担うことになった。国政に関わる機会が増えたことにより、シェリーは法律を重点的にアルファスに教えている。国のために働くスヴェンやアルファスに自分にもしてあげられることがあると思うと、うれしかった。 「シェリー、待たせたな」  夕暮れが青薔薇を赤く染める中、声をかけられて振り返る。そこに立っていたのは、沈んでいく太陽よりも赤く燃えているガーネットの瞳と髪の騎士がいた。 「スヴェン様、お帰りなさい」 「ああ、ただいま」  側にやってきたスヴェンが離れていた時間を埋めるようにシェリー腰を引き寄せ、空いた方の手で髪を梳く。髪に触れる手が心地よくて目を細めていると「シェリーに話したいことがある」と言われた。 「はい、なんでしょう」  やけに真剣な口調だったので、不思議に思いながら顔を上げる。スヴェンの瞳の中に自分の姿が映っているのがわかる距離で、スヴェンと見つめ合った。 「シェリー・ローズ」  側にあったはずの温もりが離れると、スヴェンは胸に手を当てて目の前に跪く。その仕草があまりにも美しくて、シェリーは目を奪われていた。 「この身も心も、すべてお前に捧ぐ。だからシェリー、これからの人生を俺と共に歩んでくれないだろうか」 「スヴェン様……」  これはもしかしてと期待が込みあげてきて、心臓がトクトクと早く鳴る。むせ返るような薔薇の匂いに包まれて、どうか願望だけで終わりませんようにと彼の言葉を待つ。 「俺と結婚してくれ」 「――っ、スヴェン様!」  たまらず、跪いているスヴェンの首に抱き着いた。淑女としてははしたない行為だとは思うけれど、愛しさが溢れてきて我慢できなかったのだ。 「愛しています、心から。あなたの妻になりたい」 「これで、お前は俺のものだな」  スヴェンはうれしそうに、シェリーを強く抱き込む。彼から香しい薔薇の香りがして、帰る場所を見つけたような安心感に包まれた。 「お前を生涯愛し守り抜く」  誓うように口づけられ、シェリーは幸福感に満たされながらそっと目を閉じた。  即位式にも使われた城下町の大聖堂には、祝福の鐘と薔薇の花びらが舞い散る。国王のアルファスと三人の公爵、スヴェンの縁者たちに見守られてふたりの式は厳かに執り行われた。  今日からシェリー・セントファイフになる喜びを噛みしめながら、真紅のベルベット絨毯の上を歩いていくと祭壇前にいるスヴェンはが手を差し伸べてくる。 「今日のシェリーは一段と美しいな」  シェリーの純白のドレスは、肌触りが良く光沢のあるシルク素材でできており、瞳の色と同じブルーゾーサイトの宝石があしらわれた首飾りとイヤリングを身に着けていた。 「スヴェン様も婚礼衣装、とても似合っています」  彼が着ているのは、セントファイフ家の由緒正しき白の軍服。襟や袖口にはスヴェンの髪色と同じ赤のラインが入っており、金糸の刺繍に縁どられている。その腰にはセントファイフ家の家紋と薔薇のモチーフがつけられた剣が差さっていた。  差し出された手をとり、共に司祭の前に並ぶ。 「汝スヴェン・セントファイフは、シェリー・ローズを妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死が愛を分かつまで愛し合うと誓いますか?」 「この命朽ち果てるその日まで、愛し守り抜くと誓おう」  一瞬、スヴェンは司祭ではなくシェリーを見た。その視線に気づいたシェリーは、胸がいっぱいになって目に涙をためる。まるで神にではなくお前に誓うと言われているようで、心の奥から揺り動かされるような感動を感じた。 「汝スヴェン・セントファイフは、シェリー・ローズを妻とし、健やかなるときも病めるときも、富めるときも貧しきときも、死が愛を分かつまで愛し合うと誓いますか?」 「はい、この命尽きるまで彼を愛し、支えると誓います」  司祭の言葉には、シェリーもスヴェンを見つめながら誓った。満足げに目を細めるスヴェンに笑みを返して、お互いに向き合う。 「それでは、誓いのキスを」  司祭からのお許しが出て、待ち遠しかったとばかりにスヴェンが指で唇に触れてくる。そのまま手を滑らせるようにシェリーの頬に手を添えると、そっと顔を近づけてきた。 「愛している」 「私も愛しています」  そっと目を閉じれば、優しく唇が重なる。祝福の鐘や拍手の音を聞きながら、シェリーは愛する人を受け入れた。  式がを挙げてから半年後、シェリーはセントファイフ家の邸に移り住んだ。ローズ邸の方は学舎として今も活用しており、授業がない日も庭園の薔薇の手入れはシェリーが馬車で通い行っている。  公爵家に入ったシェリーは本来ならば仕事を辞めるべきなのだろうが、今もカヴァネスを続けている。というのも、身分の高い女性が働くことはみっともない恥さらしであるからだ。 最初はセントファイフ家の先代当主、スヴェンの父から今すぐ辞めるようにと厳しいお咎めを受けた。もちろん愛する人と離れるという選択肢はなかったので引退も考えたのだが、スヴェンが国王を育てたシェリーの力を必要としている人間は大勢いるのだと説得してくれたのだ。  今は旦那様であるスヴェンを支えながら、城と学舎を行き来して働いている。 「シェリー、遅くなってすまない」 「お帰りなさい、スヴェン様」  今までスヴェンは城に寝泊まりしていたのだが、あのアルファスに「僕のお守りは必要ない、妻の側にいてやれ」と言われてしまったらしい。スヴェンは信のおける騎士をアルファスの護衛に置き、夜はこのセントファイフ邸に帰ってくることになった。 「やはり、シェリーの顔を見ると癒されるな」  スヴェンは扉の前で帰りを待っていたシェリーを後ろから抱え込む。背中に感じる彼の体温に幸せを感じながら、シェリーはホッと息をついた。 「それはうれしいですね」  思わず顔を綻ばせていたら、スヴェンは不思議そうに「うれしい?」と聞き返してくる。シェリーは顔だけで彼を振り返り、にっこりと微笑んだ。 「はい、愛する夫を癒すのも妻の大事な務めですから」 「お前は……俺を喜ばせて、どうするつもりだ」  後ろから顎を掴まれて上向くと、啄むように口づけられる。唇が離れると、お腹に回る彼の腕に手を添えた。 「愛しています」 「シェリーに先を越されたな。俺も愛している」  スヴェンが肩に顎を乗せて、深く長い息を吐いた。どこか疲弊を感じているように思えて「お疲れのようですね」と労わるように彼の手の甲をさする。 「アルファス様が学舎の設立を議会で提案したんだがな、シェリーのように学のある教師がいないことを問題視されて案がなかなか通らない」  アルファスが議会でも積極的に意見するようになったのは、カヴァネスの仕事で城を訪れた際にウォンシャー公爵から聞いていた。アルファスが絶対に成功させるのだと意気込んでいたので応援していたのだけれど、うまくいってないのなら落胆しているに違いない。  でも、アルファス様はさっそく誰もが活躍できる国を創ろうとしている。簡単にはいかないからこそ、人はたくさん考えて知恵を身に着けていくのだ。どの経験も未来の武器になり得ると信じて、彼には今を踏ん張ってほしい。そのためにカヴァネスとして、アルファスを支えようと改めて思った。  それにしても、今まで恥さらしと白い目で見られ続けたカヴァネスが人数不足を問題視されるほど必要とされる日が来るだなんて思ってもみなかった。  どこか感傷深くなりながら、国を変える一歩を歩みだしたアルファスを誇らしく思う。アルファスのためにも、なにかいい案はないかと思考を巡らせた。 「教師不足……そもそもカヴァネスは私のように絶家した貴族の娘がなる職ですので人数は少ないのです。まずは教師を育てる制度が必要では?」 「なるほど、いきなり学舎は飛翔していたかもしれん。まずは教育の土台を作る必要があるのかもな」 「もしくは実習という形ですでにカヴァネスとして働いている者について回り、体験から学ぶことも視野に入れてはどうでしょうか」  いきなりカヴァネスの教育体制を整えるのは難しいので、そういった土台ができるまでは経験者に学ぶ方法を取ればいい。シェリーもかつてはカヴァネスから教養を学んだので、従来のやり方を進化させれば人材は育つ。 「出会った当初から感じていたが、シェリーは先進的な考えを持っている。さすがは俺の妻だな、頼りにしているぞ」 「お褒めに預かり光栄です」 「俺の知らないシェリーの一面を見るたびに、何度も心奪われる」  体の向きを変えられて、真正面から向き合う。ガーネットの瞳が優しさを帯びて淡く輝くと、愛しくて仕方ないとばかりに前髪に口づけられた。 「ずっと共にいよう。そのために俺は剣を握り続ける」 「はい、永遠にあなたの側にいます」  両手を重ねて指を絡めるように握ると、お互いに一歩近づく。屈むスヴェンに合わせて背伸びをすると、唇が重なった。  こうして社交界の貴婦人の憧れの的であった騎士公爵は、絶家令嬢のカヴァネスと結ばれた。多くの貴族令嬢を震撼させた出来事であり、初めはセントファイフ公爵の気が触れたのではないか、不釣り合いな夫婦だと陰口を叩かれたりもした。  しかし社交界でふたりが幸せそうに寄り添う姿を見た者たちから物語のようにドラマチックな結婚だと憧れられるようになり、赤薔薇の騎士とカヴァネスの恋はアルオスフィアの劇場や小説で伝えられて一世を風靡したのだった。                            END
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