四章 Shall we dance?

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四章 Shall we dance?

 翌朝、スヴェンの胸で泣いたときのことを思い出して、とてつもない羞恥心に駆られたシェリーはベッドに顔を埋めて身悶えていた。  「シェリー様、前王妃様がお呼びです」  するとそこへ、執事がやってきてそう言った。  呼ばれる理由に思い当たる節はなかったが、「すぐに参ります」と返事をして身支度を済ませると部屋の外で待っていた執事に連れられて前王妃の部屋へと向かう。 「失礼します」  そう声をかけて中に入れば、窓際に立っていたアリシア前王妃が白銀の長髪を揺らしてこちらを振り返る。 「いらっしゃいシェリーさん。どうぞ、こちらへいらして?」  左右に分けられた前髪から覗く、サファイアの瞳。その眼差しは柔らかくも聡明で、心まで見透かされてしまいそうだ。  緊張の面持ちでぎこちなく微笑みを返すと壁際に控える執事を横目に、アリシア前王妃のほうへ歩み寄る。  そのままバルコニーに出て、清潔感あるホワイトのガーデンテーブルまで案内された。  前王妃に合わせて椅子に腰を下ろすと、執事が絶妙なタイミングで朝食とティーセットを乗せたワゴンを押してくる。 「あなたと一緒に食べようと思って、用意させたの」  アリシア前王妃はカップに口をつけ、紅茶をひと口飲むとそう言った。  朝食と一緒にとる紅茶はブレックファストティーと言って、アッサム茶やセイロン茶のブレンドのために風味や香りが強くコクがある。ミルクや砂糖と合うトーストや目玉焼き、ベイクドビーンズなどのフル・ブラックファストとともにとるのが一般的だ。  シェリーは鼻を抜けていく紅茶の香りに張りつめていた気が緩み、疑問を口にする。 「あの、お誘いはとても光栄なのですが、なぜ私をお呼びになったのでしょうか?」  なにかしてしまっただろうかと不安に思っているとアリシア前王妃はふわりと笑い、カップを受け皿に戻して答える。  「アルファスから聞きました。昨日、町にアルファスを連れていったようですね」 「あっ……勝手なことをして申し訳ありません。危険な目にも合わせてしまって……」  昨日の怯えるようなアルファスの姿を思い出して、胸が締めつけられるような気持になる。町に出て気分転換をしてほしかったのに怖い思いをさせてしまって、彼を連れて行ったことを後悔していた。  落ち込むシェリーに前王妃は「違うの」と口を開く。 「責めてはいないのよ。むしろ感謝しているわ」 「え、感謝ですか?」  予想だにしない返答に目を丸くして、前王妃の顔をまじまじと見つめてしまう。 「ええ、あの子は確かに怖い思いをしたかもしれない。でもね、私には町で見た大道芸や民の生活の様子を楽しげ話してくれたわ」 「アルファス様が……」  彼がどんな表情で町のことを話していたのかを想像したら胸がポッと温かくなり、自然に口角も上がる。 「あなたは聞いていたとおり、優しい人ね」  うれしそうな顔をするシェリーを見て、アリシア前王妃は下級のカヴァネス相手にも寛大な言葉をかけてくれた。 「前王妃様、そんな恐れ多いです」 「謙遜しなくていいのよ。アルファスやスヴェンからも、あなたは分け隔てなく人を愛すことができる素敵な女性だって聞いているもの。だから、私もお会いしてみたくて」  アリシア前王妃は四十代とは思えないほど美しく、茶目っ気たっぷりに笑うところも女の自分ですら見惚れるほどに魅力的な女性だった。  そんな前王妃の口からスヴェンの名前が飛び出したことに、心臓が嫌な音を立てる。  前に抱き合っているところを見かけていることもあり、ふたりが特別な関係なのではないかと勘ぐってしまった。  このような高貴な方相手に黒い感情を抱くことすら罪深いというのに、どうしても嫉妬心が芽生えてしてしまう。  教育者として、人に誇れないような生き方はしたくないと考えていた。なのに、今ここでドロドロとした感情を隠して笑う自分は果たしてカヴァネスにふさわしい人間なのだろうかと自己嫌悪に陥りそうになる。  それがばれてしまわないように、シェリーは淡々と食事を口元へ運んだ。  やがて食事が終わり、紅茶を飲んでひと息ついていると前王妃は突然、「そうだわ!」と両手を叩いて閃いたとでも言いたげに瞳を輝かせる。  その表情が新しい発見をしたときのアルファスにそっくりで、毒気を抜かれたシェリーは思わずクスッと笑みをこぼして尋ねる。 「どうされたのですか?」 「シェリーさん、お礼に今日の前夜祭に参加したらどうかしら?」  突拍子もない提案に「えっ」と失礼極まりない声をあげてしまう。だが前王妃は気にした様子もなく、控えている執事を呼びつけてドレスの手配などをし始めた。  その姿は無邪気な女の子のように楽しげで、シェリーは断ることができずに見守ることしかできない。  少ししてドレスや装飾品などが前王妃の部屋に運び込まれ、シェリーは着せ替え人形のように何着もドレスを試着させられる。  数十着目には、さすがのシェリーも疲労感を隠せずにひっそりと溜息をついた。  しばらくして前王妃の満足のいくドレスが決まると、元のカヴァネスの服に着替えることを許され、安堵する。  付け襟を整えながらベッドにいくつも並べられたドレスを苦笑いで見つめているとアリシア前王妃はひと段落ついたのか、満足そうにシェリーを振り返った。 「じゃあ、ドレスは夕方に部屋に送るわね。今日は城内の催し物だから、私も出るの。シェリーさんの着飾った姿、楽しみにしているわ」 「前王妃様……ありがとうございます」  カヴァネスの自分が前夜祭という名の舞踏会に参加するだなんて恐れ多いけれど、せっかくのお誘いだ。さりげなくアルファスのダンスチェックをしようと考えていると、ナイトテーブルの上にある花瓶に薔薇が生けられていることに気づく。 「素敵な薔薇ですね」  そう言って、ベッドサイドのナイトテーブルに近づく。花瓶の中には三本の黄色い薔薇の中に一本の赤い薔薇が混じっている。 (でも、これって……)  シェリーは薔薇の組み合わせの意味をい思い出して、眉間にしわを寄せた。四本の薔薇は〝死ぬまで愛の気持ちは変わらない〟、黄色い薔薇の中に赤い薔薇があるのは〝あなたがどんなに不誠実でも愛してる〟という意味をもつからだ。  どちらも熱烈に相手を思ってはいるが、その裏には相手が他の誰かと結ばれてしまったことへの妬みや憎しみも含んでいる。  贈り物としては最適ではないけれど、こういう意味を知らない人は五万といるので考えすぎかもしれない。そう自分に言い聞かせたが、次の前王妃の言葉でさらに不信感が増す。 「昨日、部屋の前に置かれていたのよ。綺麗だったから捨てちゃうのもかわいそうだし、花瓶に生けることにしたの」 「部屋の前に……」  シェリーにも心当たりがあった。この城にやってきたばかりの頃の話だ。借りた部屋の前に一輪の青薔薇が落ちていた。あれは前王妃の部屋の前に薔薇を置いた誰かと同一人物なのではないか。そんな思考を巡らせていると「シェリーさん?」とアリシア前王妃が不思議そうに顔を覗き込んでくる。 「あ、ぼーっとして申し訳ありません。大丈夫ですから」  言いようのない胸騒ぎを胸に抱えながら、シェリーは笑顔を繕った。散らばったパズルのピースが少しずつ繋がっていくような感覚に、その先にたどり着く答えが大切な人たちを傷つけるようなものではないことを祈りながら、シェリーは前王妃の部屋を後にした。 「シェリー、母様と朝食をとってたんだろう? 僕も呼んでくれたらよかったのに」  朝食後、アルファスの部屋で今日の前夜祭の流れをおさらいしているときだった。ブラウンの気品あるマカボニーのテーブルとお揃いの椅子に座るアルファスが、ムッとした表情で側に立っているシェリーの服の裾を引っ張る。  いつもなら一緒にグレート・ホールで食事をとっているので、寂しい思いをさせてしまったのかもしれない。 「申し訳ありません、アルファス様。また機会がありましたら、皆で一緒に食事をしましょう」  拗ねてしまうアルファスの肩に手を乗せて謝れば、眉間に寄っていた深いしわがほぐれていく。口元がニンマリと笑みを象ると「仕方ないなぁ」と嬉しそうに言った。  素直に喜べない彼は不器用だが、そんなところも可愛らしいなとシェリーは顔をほころばせる。 「アルファス様、ダンスは上手なだけではいけません。さて、なにが一番大切なのか、覚えていらっしゃいますか?」 「女性への気遣い、だろ?」 「そうです。アルファス様と踊った女性が笑顔になれるように、優しくリードしてさしあげてくださいね」 「はーい」  ここに来たばかりのときに比べて、彼は素直に話を聞いてくれるようになった。それだけ信頼されているのだと思うと、カヴァネスとしても個人としてもうれしい。 「さぁ次は、今日来られる貴族の方への挨拶ですが――」  日々に充実感を感じながら、アルファスが社交界で多くの人に国王として愛されるよう、外が暮れ始めるまで念入りに確認をしたのだった。 「これは……私には恐れ多すぎると言いますか……」  コルセットで上半身の細さを主張し、花冠形に段々と膨らむブルースターの花の色に似た水色のドレス。大きく開いた胸元には、瞳の色と同じブルーゾイサイトの宝石が飾られている。  そんな自分の姿を自室の鏡越しに見つめると、ついつい身に着けている物の総額を予想して卒倒しそうになる。  ため息をついて腰を屈めると部屋に来ていたアルファスが、いつもシェリーがするようにビシッと指をさしてきた。 「シェリー、シャキッとしろよな! そんな丸まった背筋じゃ、レディ失格だぞ」  ごもっともなお説教をアルファスにされてしまい、シェリーは苦笑する。  彼もまた、今日の前夜祭に備えてボタンが宝石でできている赤褐色のジェストコールに細かい金糸の刺繍が施された王族衣装を身に着けていた。   「アルファス様の言う通りですね。あなたの先生らしく、堂々といなければ」  肩をすくめて笑って見せると、アルファスはじっとシェリーの顔を見つめる。 「アルファス様、どうかなさいましたか?」 「シェリーはさ、絶対に僕のことを馬鹿にしないよな」  唐突に投げられた話題には、なんの脈絡もなく「え?」と首を傾げてしまう。  彼は驚きと喜びが入り混じったような瞳で、シェリーの顔を見つめたまま続けた。 「皆は僕がワガママだとか、国王として失望しただとか言うけど、シェリーは僕に間違ったことは間違ってるって言ってくれるし、絶対に否定したりしないんだ」 「アルファス様……」  きっと彼は、多くの期待と失望の中で息をしている。その苦悩は想像でしかないが、アルファスから国王になりたいと思わせる自発性を奪ってしまっていたんだろう。  シェリーはそっと、幼いその体を抱き寄せて頭を撫でた。 「アルファス様が成長なさっていることは、側にいる私が一番わかっています」 「妃に迎えるなら、シェリーみたいな女がいいな」 「言葉は上品さに欠けますが。ふふっ、うれしいです」  アルファスと笑みを交わしていると、部屋の扉がノックされる。「どうぞ」と声をかけて入ってきたのは、スヴェンだった。  いつもは白色の軍服なのだが、今日は真紅の瞳と髪がよく映える深紺のジェストコールに黒のズボン、ブーツといった見慣れないスタイルだった。  軍服のときは飾帯に薔薇のモチーフをした剣を差しているのだが、今回は社交界の正装なので代わりに襟元のスカーフに家紋の薔薇のブローチが飾られている。  屈強な騎士というよりは、どこぞの王族なのではないかと錯覚するほどに品にあふれていて思わず見惚れてしまった。 「アリシア様から聞いてはいたが、シェリーも前夜祭に参加するとはな」 「お誘いいただいたのはうれしいのですが、高価なドレスが身の丈に合わない気がして……落ち着かないです」  そう言えば、スヴェンはシェリーのドレス姿を上から下まで眺め始めた。  ふと昨日の晩に彼の胸でさんざん泣きじゃくったことが走馬灯のように脳内を駆け巡り、体を這う視線も手伝ってか居心地が悪くなる。  シェリーは目を伏せて、恥ずかしさを紛らわすように片方のもみあげを耳にかけた。  すると剥き出しの肩にスヴェンの無骨な手が乗り、反射的に顔を上げる。 「お前は綺麗だ」 「え?」  情熱を宿して煌く、彼のガーネットの瞳を戸惑うように見つめ返す。  いつもなら堂々と触れてくるのに、躊躇いがちに伸ばされたスヴェンの手が頬の輪郭をなぞり始めてゾクリと肌が栗立つのを感じた。 「家柄など関係ない、内面から滲み出る美しさだろう。着飾ったお前を他の男に見せるのが心底嫌になる」 「なっ……なにをおっしゃっているのですか!」  また私をからかかっているのですか、そう言おうとして口をつぐむ。向けられた彼の瞳を見れば、心から出た言葉だということはわかった。  だからこそ、戸惑う。どうしてスヴェンが自分のような庶民を気にかけるのかと。 「エスコートは俺がしても?」  窺うように顔を傾けるスヴェンに手を掬われて、ポッと頬を赤らめる。 「はい……」  おずおずとその手を握り返せば、腕に回すよう促される。フッと満足そうに笑う彼はどこか嬉しそうで、初めて見せた無防備な表情にサッと顔をそむけた。 (スヴェン様でも、あんなに子供らしい顔をするのね)  心臓がトクトクと音を立てて、激しくなっていく。そんなシェリーの耳元に唇を寄せたスヴェンから、「かわいいな、シェリーは」と囁かれてクラッと目眩がした。 「なんだよ、エスコートは僕がしたかったのに!」  シェリーたちを見上げてつまんなそうに唇を突き出すアルファスに、スヴェンは深々と頭を下げた。 「すみません、アルファス様。ですが、この役目だけは陛下にも譲りたくないのです」 「なんだよそれ」 「それにあなた様には、エスコートしなければならないお方がいるでしょう」  そう、アルファスが今日エスコートするのは、母君であられるアリシア前王妃。内々の催し物には出席されているようで、そのときは必ず親子で参加されるのだと執事から聞いていた。  図星をつかれたアルファスは「うーん」と唸りながら悩んでいるようだった。  ややあって渋々といった様子でシェリーの顔を見上げると、ドレスの裾を掴んでくる。 「じゃあ……お母様の後だったら、僕とダンスを踊ってくれるのか?」 「もちろんです、私でよろしければ」  にっこりと笑って答えるとアルファスは「じゃあ、少しの間だけ任せたぞ」とスヴェンに向かって偉そうに声をかけた。 「この命に代えても、よからぬ虫がつかぬようお守りすると誓いますよ」  恭しく膝を曲げたスヴェンに「うむ」とうなずくと、アルファスは前王妃を迎えに行くために部屋を出ていった。  シェリーもスヴェンにエスコートされながら、大広間へと歩き出す。舞踏会の会場に近づくにつれて一流の演奏家が奏でるクラシック音楽が聞こえてきた。  心臓が高鳴るのは社交界に出るのが数年ぶりで、教え子であるアルファスや隣の彼に恥をかかせてはいけないという緊張からだ。 「緊張するか、シェリー」  そんなシェリーの心が見透かされているみたいに、スヴェンはすぐ声をかけてくる。内心ドキリとしながら、思っていることを素直に伝えることにした。 「そうですね……私はアルファス様の先生ですから、信頼を裏切らないためにもうまく立ち回らなければと少し緊張しています」  するとスヴェンには珍しく「ははっ」と大口を開けて笑った。目を見張って彼を見上げれば、例えるなら慈愛という言葉がしっくりくるような温かい視線とぶつかる。 「お前はいつも生徒のことばかり考えているのだな。仕事に誇りをもっている姿は凛としていて、見ている者に見習いたいと思わせる」  貴族の女が仕事をするのは、はしたないとされている。ローズ家の当主が他界したことで今では庶民となったが、元は中流階級の出だ。カヴァネスになったときは周りの住人や友人だった令嬢たちから、憐れむような目で見られた。  あのときは自分が惨めでしかたなかったのだが、今は子供たちの未来を育てる仕事をしている自分に誇りをもっている。それをスヴェンに認めてもらえたことがうれしかったシェリーは「最高の褒め言葉です」と微笑み返した。  やがて大広間の扉の前にたどり着く。スヴェンの目配せで控えていた騎士により扉が開かれると、くぐもって聞こえていた優美な音楽が鮮明に耳に届いた。  天にはいくつものシャンデリアが輝き、磨かれた地面は鏡のように貴族令嬢や婦人の色鮮やかなドレスを映している。  四方八方の壁には金箔の浮彫があしらわれており、無数の光を反射させていた。どこを見渡しても華やかな黄金の世界。シェリーは夢見心地になりながら、赤薔薇の騎士に導かれて広間の中心へと歩いていく。そこにはアルファスと前王妃がおり、こちらに笑顔で手を振っていた。 「遅いじゃないか、ふたりとも」 「アルファス、女性には準備に時間がかかるものよ」  ご機嫌斜めのアルファスの肩に手を乗せて、諭したのはアリシア前王妃だった。 「だって、シェリーにダンスを見せたかったんだよ」 「もうダンスは、始まってしまっていたのですか?」  時間通り来たはずなののに、と不思議そうな顔をするシェリーに前王妃が「参加者の皆様にお願いされて一曲だけ踊ったのよ」と教ええてくれる。 「じゃあ、次はシェリーが僕と踊ってくれよ」  アルファスのお願いに、いつものシェリーなら「はい」と即答していただろう。  でも、一瞬迷ってしまった。最初はスヴェンと踊りたかったのだ。  なんて身の程知らずなのだろうと自分でもわかっているけれど、どうしても彼の一番になりたかった。きっとこの気持ちは、抱いてはいけない特別な感情だ。  それに、母君であられるアリシア前王妃の次に踊るという約束をアルファスとしていたので断れない。  向けられる無垢な瞳を見つめながら諦め悪く悩んでいると、アリシア前王妃がスヴェンに手を差し出して告げる。 「ならばスヴェン、あなたが私と踊ってくれるかしら」  その手を見つめたスヴェンは気遣うようにこちらを見る。それは見間違いかと思うほど一瞬で、彼は前王妃の手を「光栄です」と取った。  身分差を考えれば、スヴェンがその誘いを断ることができないのは百も承知だ。  でもエスコートすると言ったのに、という黒い感情を抱いてしまう自分を止められない。   音楽が鳴りだし、始まるダンス。シェリーはアルファスと体を揺らしながら、時々見えるスヴェンと前王妃のダンスに胸がズキズキと痛んで集中できないでいた。  ふたりのダンスは息がぴったりで華があり、どこのだれが見てもお似合いだったからだ。  気もそぞろにアルファスとのダンスを終えたシェリーは、「少し外の空気を吸ってきますね」とひと声かけてその場を離れる。  二階にあるこの広間にはバルコニーがあり、そこから階段を降りて青薔薇の庭園にやってきた。    音楽や人の笑い声を遠くに聞きながら、シェリーは項垂れる。 「私、アルファス様の先生失格だわ」  ダンスの最中、パートナー以外のことを考えて踊るのは最も失礼なことだ。それをアルファスに教えたのは自分だというのに、情けなくて目先に見える噴水に飛び込みたい気分になる。  ここまできたら、もうどんなに否定しようと自分をごまかせない。何度も溢れ出ようとする感情に蓋をしてきたけれど、無理だった。噴水のようにどんどん彼への想いが噴き出してきて、胸の内に収まりきらない。 「私――スヴェンに恋をしてしまったんだわ」  胸にやってくるのは幸福感と切なさの両方。好きになっても報われないというのに、どうして彼でなければならないのか。そんな問いを繰り返しては泣きそうになる。 「そんなところでどうしたのかな、お嬢さん」  ふいにかけられた声に振り向けば、グリーンのジェストコールに身を包んだブラウンの髪と瞳の男性が立っている。その襟元のスカーフには、見覚えのあるエメラルドの宝石。   彼には一度だけ会ったことがあった。 「ウォンシャー公爵……」 「やあ、シェリー嬢」  片手を上げてへらっと笑うウォンシャー公爵は、薔薇に囲まれて立ち尽くすシェリーの側に歩み寄る。  あまり話したことがないうえに身分の高い彼の隣に立つのは、なんとなく気まずい。視線を彷徨わせて助けを求めるように星空を見上げた。  銀色に輝く幾千の光はダイヤモンドのように美しいのだが、やっぱり側におわす公爵に意識がもっていかれる。  なにを言われるのか、自分に何の用なのかと心臓をバクバクさせていると――。 「君はローズ家のご令嬢らしいじゃないか」  唐突に自分の家のことを言われて、シェリーは彼の真意を定めるように横を向く。 「令嬢だなんて……ローズ家はすでに絶家していますので、私はただの庶民です」 「なにを言うんだい。俺は君を敬うに足る女性だと思ったから、そう呼んだんだ」 「どういう意味でしょうか」  ウォンシャー公爵が嫌いなわけではない。ただ前に前王の毒殺の件を自分に話したことや身の回りに気をつけろと忠告されたことが、返って彼への不信感に繋がってしまった。  スヴェンもウォンシャー公爵と話していたとき警戒している様子だったので、こんなところでふたりきりになっても大丈夫なのかと不安になる。  顔を強張らせるシェリーに彼は気づいていないのか、ニコニコしながら話し出す。 「ローズ家が安泰だった頃、君は知識と教養が豊富な才女だと社交界では有名だったそうだよ。だから、君の社交界デビューを皆が待ち望んでいた」 「社交界デビューだなんて……私は前王妃様のお誘いを受けたので出席したまでです。本来であれば、一介のカヴァネスごときが参加していいものではないのですから」  華やかなこの世界は、自分のいる場所ではない。だからどんなに彼の側にいたいと願っても、スヴェンの隣にいる自分を想像することすらおこがましいことなのだ。  「それにも驚いたよ。前王妃様は前王の毒殺を知って、城の人間にすら疑心を抱いていた。でも君は、あのアリシア様に会いたいと思わせた」  どうして、前王妃が自分に会いたいと言った経緯を知っているのだろう。考えてみれば、公爵といえど前王の死の真相を知っているなんておかしくはないだろうか。王族お抱えの医師は病死と診断したはず。それをなんの迷いもなく毒殺と断言した。  ますますウォンシャー公爵という人間がわからなくなり、不信感は増長していくばかりだ。 「前王妃が心を許す人間は息子のアルファス様を除いてスヴェンと君だけだ。そしてスヴェンも物腰はやわらかいが、滅多に人を信用しない。つまり君は、この城で最も危険な立場にある人間の特別な存在になってしまったということだね」  そう言ったウォンシャー公爵の顔は常に笑顔なのだが、その裏には言いしれない不穏な影が潜んでいるように思える。それが自分にとって害のあるものなのか、そうでないのかはわからないけれど、今はただ目の前の彼が不気味に思えてしかたがない。シェリーは警戒するように長身のウォンシャー公爵を見上げて、単刀直入に聞く。 「なにが言いたいのでしょうか」 「脅しているわけじゃないんだ。君は非常に危険な世界と隣り合わせなんだってことを忠告したいんだよ」 「その危険が、私にはわかりかねるのです」 「じゃあ、君の周りでおかしなことは起きていないかい?」 「おかしなこと……」  言われてすぐに脳裏に浮かんだのは、薔薇の花だった。  初めは自分の部屋の前に落ちていた一輪の青い薔薇。続いて城の玄関前の広間に散っていた紫の薔薇の花びら、黄薔薇とナイフ。町へ出かけた際には道化師の男が『我々は必ずや成し遂げる。ギュンターフォード二世、その王座を必ずや散らせよう。平和はこれで終わりを告げるだろう』という謎の言葉とともに現れたこと。  そして誰かに贈るには不釣り合いな意味を持つ、前王妃の部屋の花瓶に生けられていた三本の黄色い薔薇と一本の赤い薔薇。思い返せば、おかしなことはたくさんあった。  表情を曇らせて思案顔をするシェリーに、ウォンシャー公爵は「心当たりがあるようだね」と言う。  でも彼を信じていいのかがわからず、話すことは躊躇われた。自分のせいでアルファスやスヴェン、前王妃を危険に晒してしまったらと思うと迂闊に発言できず、唇をギュッと引き締める。 「まあ、俺のことを信用しろというのは難しいか。でも俺は自分の下で働く者たちのためにも危険を回避する義務がある。だから独自に調査しているだけだよ」 「ウォンシャー公爵……」  確かにシェリーを利用しようとしているなら、わざわざ忠告したりはしないだろう。警戒されてしまうし、近づきにくくなるのは明白だ。  でも今ここで彼を信用に足ると判断できることではないし、慎重にならなければならない。そう思ったシェリーは曖昧に微笑んで「肝に命じます」とだけ答えた。  するとウォンシャー公爵はへらっと笑って、シェリーの肩に手を乗せる。 「君は聡い女性だね、慎重なくらいがいいよ」  こうして笑っているところを見ると、やはり悪い人には見えないから困る。眉尻を下げながら、ウォンシャー公爵を見つめていると――。 「シェリー、ここにいたのか」  背後からかかった声に振り返ると眉間にしわを寄せ、険しい顔をしたスヴェンが立っていた。普段の優雅な動きからは想像もできないほど大股でズカズカと近づいてきた彼は、あきらかに機嫌が悪そうだ。 「外は暗いし、危険だ。城の中とはいえ、無防備に歩き回るものではないぞ」  彼の咎めるような視線が、シェリーの肩に乗るウォンシャー公爵の手に向けられる。 「スヴェン様……申し訳ありません。少し、外の空気を吸いたくなって……。たまたまウォンシャー公爵と会ったものですから、つい長話をしてしまいました」 「いいや、お前から目を離した俺に非がある。それより、その手を放してもらええないだろうか、ウォンシャー公爵」  鋭利な眼光を放つガーネットの瞳に射すくめられたウォンシャー公爵の顔は、笑みを浮かべながらも強張っているのがわかる。この地で最も強い人間である男に睨まれて、平静を保てる人間などいないだろう。 「それは、お安い御用だよ」  パッと手を放したウォンシャー公爵は、かけられた疑念を晴らすように両手をあげた。  解放されたシェリーが戸惑うようにふたりの顔を見比べていると、スヴェンと目が合って強引に腰を引き寄せられる。 「こんなことなら、お前を手放すんじゃなかったな」  耳元で誘うように囁かれて、シェリーは息を詰まらせる。手放すというのは、さきほどのダンスの誘いのことだろうか。 「随分と気に入っているようだね、彼女のこと」  ウォンシャー公爵が楽しげに声を弾ませると、スヴェンの眉間のしわが深くなる。 「わかっているなら、誘惑しないでほしいのだが?」 「あっ、スヴェン様っ」  腰に回った腕がさらに強くシェリーの体を抱きしめる。口調こそ余裕そうではあるが纏う空気は張りつめており、威圧感がビリビリと肌を刺しているのを感じた。  ニヤリと口角を吊り上げる彼の顔を見上げたら危うくも艶やかな瞳に目を奪われ、心臓が高速で脈を打つ。 「それだけシェリー譲が魅力的ということだよ。だから、周りには気をつけたほうがいい。どうやら、もうすでに彼女の周りでおかしなことが起きているようだからね」 「なんだと?」  スヴェンの問うような視線が、こちらに向けられる。ただの勘違いかもしれないので、話す段階でないと思っていたのに先にウォンシャー公爵に言われてしまった。  なんとなく気まずくて、シェリーは目を伏せる。 「何度も言うけれど、俺は白だ。君が疑いの目を向けるべきは、もっとほかにいると思うけど。誰が真に狙われているのか、それを見極めることだね」  意味深な発言を残してシェリーたちの横を通り過ぎようとしたウォンシャー公爵だったが、ふと足をとめてじっと見つめてきた。 「短い間でしたが、あなたと話せて有意義な時間を過ごせましたよ。聡明なローズ家の才女であれば、そこの頭の固い騎士公爵様より先に真実に辿り着けるやもしれませんね」  スヴェンへに皮肉をこめて、恭しくお辞儀をして去っていくウォンシャー公爵を呆然と見送る。物怖じしない性格なのか、スヴェンを相手にここまで挑発的な態度をとれる彼をある意味さすがは公爵を務めるだけあると賛辞できる。 「あの男は何度言葉を交わしても、いけすかんな」  苦い顔でため息をつくスヴェンは、シェリーの瞳をまっすぐ見つめ返すと、その顎を掬ってさらに上向かせる。 「あのっ、なにをなさるのですか!」  じたばた暴れるシェリーの体を片腕だけで強く抱きしめ拘束し、顔を近づけると「仕置きだ」と優しく咎められる。 「失礼ながら、身に覚えがありません」  迷惑かけるようなことはしていないはずだけれど、知らないところで粗相をしていたのだろうか。緊張の面持ちで彼を見上げていると、体に回る腕に力がこもる。 「ならば教えてやろう。まず身の回りで異変があったのなら、なぜ俺に早く知らせないのだ。なにかあってからでは遅いのだぞ」 「あ……ですが、勘違いかもしれないので」 「聡明なお前がおかしいと思ったのならば、勘違いではない。そもそも、その判断はこの俺がする。お前は気になったことを逐一、俺に報告するようにしろ」  きつい言い方ではあるものの気遣いが感じられる。かなり心配させてしまったようなので、謝罪することにした。 「申し訳ありません」 「謝罪はいい。それで気になったこととはなんだ」 「はい、実は……」  シェリーは自分や前王妃の部屋の前に、薔薇が落ちていたことを話した。王妃の部屋の薔薇の意味までは勘ぐりすぎだろうと思い伝えなかったが、スヴェンはなにか思うところがあるのか難しい顔をする。 「大広間の薔薇とナイフといい、広場の道化師の言葉といい……。ウォンシャー公爵の忠告もあながち的は外れてはいないらしい。疑いの目を向けるべきはほかにいる、か……」  ウォンシャー公爵が残した言葉が引っかかるのか、スヴェンは復唱する。 「あの言い方ですと、ウォンシャー公爵は疑いを向けるべき者の検討がついているようですね」  スヴェンも同じことを感じ取ったのか、「ああ」と首を縦に振る。 「だが、なぜその人物の正体を口にしないのか。それが返って怪しいのだ」 「それは……ここで口にすることが危険を伴うからではないでしょうか。つまり、城の人間には聞かれたくないということでは?」  ここまで助言をくれたウォンシャー公爵が敵とは思えない。彼が話せないとしたら、話すことで地位や財産、なんらかの不利を被るからだろう。 「シェリー、その可能性は大いにあるな。そしてそれが意味することは、ただひとつ。内部にアルファス様の命を狙うものがいるということだ」 「内部に……否定したいですが、そうかもしれませんね」  シェリーがこの城で最も危険な立場にある人間の特別な存在なったというウォンシャー公爵の言葉を思い出す。  あれはスヴェンの言う通りアルファスのことなのか、それともアリシア前王妃のことなのか。はたまた、目の前のスヴェンのことなのだろうか。  わからないけれど、安易に引き受けた国王陛下のカヴァネスは思ったより危険な仕事だったのかもしれない。 「シェリー、これからは俺以外を信用するな。事が解決するまでは外出や学舎での授業にも俺か、手配した護衛騎士をつけるように」 「わかりました。それで、その……ひとついいでしょうか」  視線を彷徨わせながらおずおずと声をかけると、スヴェンは「なんだ?」片眉を上げた。 「そろそろ手を放してくださると助かるのですが」  いつ切り出そうかと思っていたのだが、会話中ずっとスヴェンの手が顎にかかったままなのだ。唇が触れ合いそうな距離で話し続けるのは心臓がもたないので、遠まわしに放してほしい旨を伝えたのだが――。 「なにを言う。まだ話は終わっていないぞ」  至近距離にあるガーネットの瞳が燃えるような赤さを増して、シェリーはゴクリと喉を鳴らす。薔薇の如く甘い色香にむせ返りそうになりながら、その硬い胸板を両手で押し返してみたけれどビクともしなかった。  それどころか、さらに距離を縮められて心臓が激しく鼓動する。 「ま、まだなにか?」  シェリーは震える唇で、なんとか言葉を紡ぐ。  その問いかけが気に食わなかったのか、スヴェンの瞳は非難するようにシェリーを見つめ、腰に回っていた手が髪の中へ差し込まれる。 「ウォンシャー公爵と、ふたりきりになったことへの仕置きが残っている」 「そ、それは意図的にではなく偶然です」 「経緯はどうでもいい。結果がそうであったなら、お前の仕置きは免れん」  スヴェンは「覚悟しろ」と最後に囁くと、吐息ごと閉じ込めるような口づけをしてきた。  頭が真っ白になったシェリーは抵抗することを忘れて、触れる唇の熱に目を見開く。 (どうしてなの、スヴェン様)  彼の舌が外気で荒れたシェリーの唇を潤わせるようになぞる。髪の中に差し込まれた手は、何度も頭を撫でてくれていた。  ひたすらに甘い口づけをされる意味がわからない。これが仕置きというのなら、どうしてこんなにも優しく触れてくるのだろう。  まるで恋人にでもなったかのようで、勘違いしてしまいそうになる。  角度や触れる深さを変えてじっくりと味わわれた唇がようやく離れていくと、スヴェンはまだ足りないとでもいうように飢えをその瞳に宿す。  彼の濡れた唇は月光を浴びて妖艶な輝きを放っており、とっさに目を逸らした。 「このようなっ、お戯れを……ひどいですっ」  両手で口元を覆い羞恥に耐えながらうつむくシェリーの体は、瞬く間にスヴェンの腕によって抱きしめられる。 「戯れなどではない。わからないか? 俺がウォンシャー公爵に嫉妬し、お前に口づけたその意味が」 「そんなの……信じられません」  戯れでないとしたら、彼が自分に恋愛感情を抱いていることになる。彼を好いている身としてはうれしい話だが、それを信じろだなんて無理な話だ。 「俺はお前に惹かれている」 「なっ――」  呼吸が止まりそうだった。  彼のような高貴な存在に見初められるなんて、ありえない。さきほど聞こえたのは、願望が生んだ幻聴だったのではないだろうか。  現実を受け入れられずにいると、自分に向けられる熱い視線に冗談で言ったのではないと気づかされる。 「私はカヴァネスです。あなた様に想ってもらえるような身分の人間ではありません!」  「ということは、お前も俺と同じ気持ちということだな?」  期待を含んだ声と懇願するような瞳に、息が苦しくなるほどの動機に見舞われた。 「それはっ――」 「お前の壮絶な生い立ちからは想像できないほど凛とした姿、母のように慈愛に溢れた眼差し、どんな立場の人間にも臆することなく真摯に接するお前がどんな女より尊く見えた」  熱烈な思いのたけをぶつけられて、心のままに彼に応えてしまえたらと思う。  けれどその一線を越えてしまえば、彼に相応しい縁談がきたときに、飽きられて捨てられてしまったときに立ち直れないだろう。 「まぁいい。これから時間をかけて、お前の心を手に入れてみせるさ」 「あっ……」  唇を親指で撫でられて、フッと笑われる。  心を手に入れてみせるなんて、引き返せなくなってしまいそうで怖い。もうすでに奪われているというのに、彼はこれ以上なにを手中に収めようというのだろうか。 「シェリー、さきほど叶わなかったダンスを俺と踊ってはくれないだろうか。仕切りなおさせてほしい」 「ダンス、ですか?」  スヴェンは聞き返すシェリーの前で片膝を折ると、誘うように手を差し出してくる。 「そうだ。ミス・シェリー、この手をとってくれるか」  この手をとってしまえば、もっと彼に惹かれてしまうというのに近づきたい衝動を抑えきれなかったシェリーは抗えなかった。 「はい、スヴェン様」  ドレスの裾を摘み、お辞儀をしてその手を取る。  スヴェンは微笑を口角に浮かべて繋いだ手を引くと、もう片方の手でシェリーの細い腰を引き寄せた。  音楽はないが、時折ターンを入れたりしてふたりのリズムで体を揺らす。ダンスの間、視線はずっとお互いに向けられていた。 「お前は月光を浴びると、謎を秘めた神秘的な女性に見える。今こうして見つめ合っていると、吸い込まれてしまいそうで恐ろしいな」 「恐ろしい、ですか?」  それは不快という意味だろうか。  弱弱しい面持ちで窺うように彼の顔を覗き込めば、柔らかい声で諭すように告げられる。 「あぁ、お前に心を支配されていくようでな。こんな奇妙な感覚は初めてだ。ひとりの女性にここまで執着する自分に出会ったことがない」  告白同然の言葉をかけられ、シェリーの頬は瞬く間に熟した林檎の如く赤く染まる。  彼が自分を好きになるはずがないと何度も言い聞かせながら、心の端では考えている。もしかしたら、本当に自分を好いてくれているのではないかと。 「お前が心を語れないのは、俺の非力さゆえだろう。だから、手始めにお前の周りで起きている異変について調査してみるとしよう。お前が信用するに足る存在と判断したならば、そのときは俺に返事をくれるか?」 「調査って、あの薔薇のことをお調べになられるのですか!?」  シェリーは動揺して大きな声を出してしまう。 「あぁ、しかし、この城で誰が信用できるのかも定かではない。まずはひとりで調査をしてみることにする。俺が必ず守るから、安心して――」 「いっ、いけません!」  ひとりで調査するだなんて、あまりにも危険すぎる。  シェリーは繋いだ手に力を込めて、必死に見つめた。 「スヴェン様がお強いの知っておりますが、無茶はしないで。私はあなたが危険な目にあってまで、守ってほしいとは思いません」  好いている人が危険に飛び込もうとしている。両親のように大切な彼を失ったらと思うと、想像するだけで体が震えた。  そんなシェリーに気づいてか、スヴェンは安心させるように手を握り返してくる。 「そういうお前だから、俺は心惹かれるのだろうな。だが悪いな、お前が危険に巻き込まれるのだけは許せないのだ。そのためなら、どんなに危険なことでも厭わない」 「スヴェン様……」  きっと、なにを言っても彼は自分の意志を曲げないのだろう。それがわかっているから、シェリーは泣きそうになりながらも首にかけていた首飾りを外す。  ローズ家の紋章と薔薇が彫られた、父の形見だ。 「シェリー、それは?」 「これは私のお守りなんです。ひとりになってもここまで頑張ってこられたのは、この首飾りのおかげでしたから、スヴェン様のことも守ってくれるはずです」  彼の首に下げようと両腕を伸ばすと、逆に腰をかがめて頭を下げてくれる。  シェリーはお守りを彼の首にかけ、装飾を両手で掬うように取ると薔薇の彫刻に口づけを落とした。 「スヴェン様が無事でいられますように」 「お前はやはり、いい女だな。俺を喜ばせて、どうするつもりだ」  彼の手に頬を包まれ、上向かせられる。  切なげに下がる眉と陽だまりのように優しい眼差しが向けられて胸が高鳴ると、やはり彼が好きなのだと思い知らされた。 「ますます、お前の心も体もすべてが欲しいと思う」 「もう、またそのようなことを言って……でも、本当に無茶だけはなさらないでください。私のところに帰ってこなかったら、呪いますよ」  冗談を言えば、スヴェンは肩を震わせて豪快に笑った。 「シェリーになら呪われてもかまわん。だが、ひとりで泣かれても困るからな。必ずお前の元の帰ると、騎士公爵の称号とセントファイフ家の名、そして俺個人に賭けて誓おう」  スヴェンの顔が近づいて、額に唇が押しつけられる。  恥ずかしさよりも、この温もりが永遠に自分のもとに帰ってこなかったらと思うと胸が切なくなる。 「そうですよ……スヴェン様までいなくなったら、泣きますからね」  涙交じりの声が震えた。  もう見ることの叶わない両親の笑顔が、閉じた瞼の裏に滲んでは消える。  スヴェンは華奢なシェリーの体を引き寄せて、腕の中に閉じ込めた。 「俺はこの国の剣だ。簡単にはくたばらんから、安心しろ。お前をひとりになどしない」 「はい、信じてます」  彼の胸に縋り付いて、頬を擦り寄せる。  耳元で規則正しく刻まれる鼓動に安堵しながら、この温もりが消えぬようにと願った。
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