九章 約束のために

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九章 約束のために

 翌朝、和やかな朝日を瞼越しに感じて意識が急浮上する。頭を撫でられる感覚にまた眠ってしまいそうになったが、気を強く持って目を開ける。 「目が覚めたか、シェリー」  穏やかな表情を浮かべているスヴェンは、「おはよう」と言って寝ぼけているシェリーの頬に口づける。それにぼんやりとしていたシェリーの頭ははっきりとしてきて、素肌を重ね合わせるように身を寄せ合っている状況に顔を真っ赤にした。 「お、おはようございます」  なんとか返事をしたシェリーは、シーツを掴むとそのまま頭まですっぽりと被る。  昨日はスヴェンに体の隅々まで見られ、触れられ、愛されて。彼と結ばれたときの記憶が蘇って急に恥ずかしくなり、シーツの中から出られなくなった。  そんなシェリーを目を丸くして眺めていたスヴェンは、限界とばかりにブッと噴き出す。 「なかなか可愛らしいことをしてくれるじゃないか、シェリー。昨晩すべて見せ合ったというのに、なにをいまさら恥じらうことがある」  楽しそうにシーツの上から頭を撫でてくるスヴェンは余裕そうで、自分だけが慌てているのだと思うと悔しくなった。昨日はあんなに取り乱して求めてくれたというのに、今や見る影もない。 「恥ずかしいに決まっています。スヴェン様こそ、どうしてそんなに余裕でいられるのですか? 私は心臓が今にも止まってしまいそうですのに……」 「俺のせいで心臓が止まるのか、それは心配だな」  そんな彼の声が聞こえたと思ったらシーツが軽く持ち上げられ、シェリーは「へ?」と気の抜けた声を出してしまう。呆気にとられている間に、なぜかスヴェンもシーツに潜ってきて目が合うと不敵に笑われた。 「勝手に死ぬことは許さない」  そう言って手首を掴まれると、強くスヴェンの方へ引き寄せられた。そのまま腰に腕が回り、顎を持ち上げられると深く口づけられる。  驚いて彼の胸を押し返したのだが、当然ビクともしなかった。  何度も味わうように角度を変えて口づけてきたスヴェンは、ようやく満足したのか唇を離すと額を重ねてくる。 「お前が死神に連れ去られそうなときは、こうやって俺がこの世界に繋ぎ止めよう」 「あ、あれは物の例えです!」 「ははっ、わかっている。からかっただけだ」  子供にするように頭を撫でられたシェリーは、からかわれていたと知り脱力する。恨めしそうにスヴェンを見ると、シェリーの表情とは相反して微笑を浮かべてた。 「お前はいつも冷静に振る舞おうとしているが、俺の前ではそのように無邪気でいろ。肩の力を抜いて甘えてくれたほうがうれしい」 「スヴェン様……どうしてそんなに、優しくしてくれるのですか?」 「愛した女だからに決まっているだろう」  スヴェンの側にいると、大切にされていると実感できる。両親が他界してからはひとりで生きてきたので、甘えたことがない。具体的にどうすればいいのか頭を悩ませていると、スヴェンが手を握ってくる。 「すぐに思いつかないのなら、すべて片付いてから聞こう。それまでに考えておいてくれ」 「あ……はい」 「楽しみにしている」  向けられる笑顔は優しくて、シェリーの胸は温かくなる。スヴェンの手を指を絡めるように握り返し、約束を果たすためになんとしても生き抜かなければと心に刻んだ。  昼食を食べ終わった頃、スヴェンの予測通り邸にウォンシャー公爵から手配されたという馬車がやってきた。シェリーはスヴェンとアルファスとともに馬車に乗り込み、町へと向かうと空が暗むまで潜伏した。  夜になると暗闇に紛れるようにして、気が遠くなるほど高い城壁の前にやってくる。ここは城の裏手に位置しており、見回りは手薄になっているのだとスヴェンが教えてくれた。 「梯子が用意してある……。これもウォンシャー公爵が?」  アルファスは城壁にかけられた縄梯子を見上げて、口を開けたまま目を瞬かせる。スヴェンは強度を確かめるように縄を掴んで引っ張り、「一度に三人いけるな」と何度かうなづいた。 「ウォンシャー公爵はどうやら、俺たちの侵入経路をあらかじめ準備してくれているようです。まともに打ち合わせてはいないですが、行くしかないでしょう」 「わかった。スヴェンの指示に従う。じゃあ、僕たちはここを登ればいいんだな」  覚悟を決めたアルファスの隣で、シェリーは高い城壁の頂点を見上げてブルブルと震えていた。 (あんなに高いところ、本当に登れるの? 大げさだけれど、空まで届いてしまいそうなくらい高く見えるわ)  高いところが苦手なわけではないのだが、ここまでくると風で飛ばされやしないか、縄が切れやしないかと不安ばかりが募ってしまう。しかし国の命運がかかっているのだから、弱音を吐いている場合ではない。頑張らなければと強く拳を握りしめていると、「シェリー」とスヴェンに声をかけられた。 「シェリー、落ち着け。俺がお前の後から登るから、落ちても必ず受け止める」 「スヴェン様……ありがとうございます」  安心させるように頭を撫でてくれた彼のおかげで、ざわついていた胸が落ち着いてくる。シェリーが笑みを返すと、スヴェンも安堵したようにうなづき返してくれた。 「かなり高さがある。アルファス様は慎重に俺の後ろをついてきてください」 「任せておけ、僕はお前の訓練を受けているんだからな、これくらい余裕だ」 「えぇ、信頼していますよ」  スヴェンはアルファスと笑みを交わして「行くぞ」と厳しい面持ちで縄に手をかける。城壁の半分までくると風が強くなったが、振り落とされるほどではなかったので、シェリーはなるべく下を見ないように進む。そして無事に城内の地面に足がつくと、ガクンッと膝から崩れ落ちるように地べたに座り込んだ。 「頑張ったな、シェリー!」  アルファスが手を差し伸べてくれる。シェリーは「ありがとうございます」と笑みを浮かべて、彼の手を借りながら立ち上がった。  そのとき、遠くに複数の明かりと人の声が聞こえてきて、シェリーたちに緊張が走った。 「見回りだ。すぐにここを離れるぞ」  先導するスヴェンの後を追って城壁から離れると、青薔薇の咲く庭園にやってきた。花壇の陰に身を隠しながらスヴェンは外廊下に人がいないことを確認すると、こちらを振り返る。 「ふたりとも、俺の側を離れるなよ」  シェリーは「はい」と答えながら、庭園の薔薇を見てハッとする。肩からかけている鞄の中には、犯行に使われた青薔薇が入っている。ここにある薔薇との違いを説明できれば、より大公の虚言を証明できるのではないかと閃いたシェリーは提案してみる。 「あの、ここの薔薇も持っていきませんか?」 「ここの薔薇を……そうか、機転が利くな」  シェリーの言わんとすることがわかったのか、スヴェンは満足げに口端を持ち上げてシェリーの頭を撫でる。こうして褒められると、自分が生徒にでもなったみたいで心がこそばゆかった。恥ずかしさを紛らわすようにコホンッと咳払いをして、シェリーはアルファスに向き直り確認する。 「アルファス様、ここのオンディーナを一輪もらってもよろしいでしょうか?」 「シェリー、もちろんだ」 「絶対にすべてを明らかにしましょうね」 「あぁ、そして二度とこのようなことが起こらないように、僕がちゃんと国王としてみんなを守っていく」  出会った当初は気に食わないことがあるとすぐに大臣や教育係を辞めさせていた彼が、今ははっきりと芯の通った発言をするようになった。自分がいなくても、もう十分すぎるほどアルファスには国王に必要なものを会得している。  自分の役目が終わる日も近いのかもしれないと少し寂しく思いながら、皆で城へ侵入する。廊下を歩いている途中、議会の行われる真実の間まであと少しというところで騎士と鉢合わせてしまった。 「あれはスヴェン様に国王陛下!」 「すぐに捕らえ――」  廊下の先にいるふたりの騎士たちが声を張り上げようとしたとき、隣にいたはずのスヴェンが目にも留まらぬ速さで前を駆け抜ける。腰の剣は抜かずに鮮やかな身のこなしで、ふたりのうなじに手刀を落とした。  気絶させた部下を見下ろしながら「悪いな」と謝罪を口にすると、スヴェンは来ても大丈夫だというふうに手を挙げてくる。側に行けば、目の前には正義を意味する天秤と剣が彫刻された大扉がある。マカボニーの重厚な材質が厳格で公正なる議会の場、真実の間に相応しい扉を前に息を呑んだ。 「覚悟はいいな、行くぞ」  皆の顔を見渡したスヴェンは、勢いよく扉を開け放つ。そこには公爵と大公の姿があり、事情を知らない大臣のノーデンロックス公爵だけが「なぜここに国王陛下とセントファイフ公爵が!」と驚愕の叫びをあげていた。 「重要参考人が揃いましたな」  そう言ったウォンシャー公爵の視線の先にあるのは、囲むようにした配置された議席の中央にある証言台。そこに立っているのは前国王の毒殺に関与した前王医のメドレス伯爵と元メイドのヨエルだ。 「ウォンシャー公爵……ネズミのようにコソコソとなにかしていると思えば、このように罪人の手助けをしていたとは嘆かわしい」  大公は白々しいまでに自分を正当化する。その顔に浮かぶのは余裕の笑みで、証人を前にしても動じない大公が狂気的に見えた。 「議会というのは本来このように当事者と証人、そして裁く者が揃って初めて公正な判決をくだせる。そうは思いませんか、法の番人ノーデンロックス公爵」  教会で教皇を務めるガイルモント公爵が、大臣の名家であり法を司る権力者のノーデンロックス公爵に話を振る。 「確かに、これは良い機会かもしれませんな。陛下の話を直接聞くことができますし、私情を挟む気はありませんが前王の代から騎士として仕えるセントファイフ公爵が前王妃を手にかける手助けをしたとは思えません」  ノーデンロックス公爵は「再度、議会を執り行いましょう」と公爵に進言する。 「まぁ、いいだろう。それで国王陛下及びントファイフ公爵はなにを証言するのか」  大公は深く議席に腰を下ろすと、楽しそうに目を細めた。 「俺たちも証言台へ立ちましょう」  こちらを振り返ったスヴェンに、アルファスとシェリーはうなづく。そして証言台に立ったシェリーたちは、並んで大公をまっすぐに見据えた。 「今回の前王妃の毒殺未遂の件は、二年前の前国王の死に繋がっています。そこでまず、前国王陛下の死因について知る者から証言をしてもらいます」  スヴェンの視線が、同じく証言台に立っているメドレス伯爵と元メイドのヨエルに向く。メドレスは大公が恐ろしいのか、顔を俯けたまま口を開く。 「大公殿下の指示の元、心臓発作などと嘘の診断をしましたが、あれは紛れもなく中毒死でした」 「そして私が……毒が付着した薔薇を前国王陛下の部屋に置きました」  続けてヨエルが発言すると、議会の空気は一気に張り詰める。ノーデンロックス公爵は「なんということだ」と顔を真っ青にしていた。 「ヨエルはあなたとルゴーンが手を組んで、前国王の毒殺に関与した会話も聞いている。そして今回の前王妃の毒殺未遂の件に関しても、手口が似ているとは思いませんか」  今度はシェリーにスヴェンの視線が向けられた。その意図を察したシェリーは、ひとつうなづいて一歩前に出る。 「大公殿下は城の庭に咲いている薔薇を証拠に、アルファス様が前王妃様を手にかけようとしたとおっしゃいましたが……。そもそも犯行に使われた薔薇は、庭園のものではありません」  鞄から城を脱出する前にウォンシャー公爵に渡された薔薇を取り出し、さきほど摘んだ庭園の薔薇と合わせて見せる。 「城の庭園に咲いているのはオンディーナ。少数の丸い花弁に青みの弱い藤色をしているのが特徴です。でも犯行に使われた薔薇は花弁も多く先が尖っていて青みも強い……間違いなく別の品種、ターンブルーです」  ノーデンロックス公爵は「では、その薔薇はどこから入手したのだ」と追及され、シェリーはアルファスの背中を軽く押す。 「僕は大公から貰った。母様が喜ぶだろうからと、そそのかされてな」  アルファスに鋭い視線を向けられた大公は変わらず不気味な笑みを口元にたたえており、不気味だった。その態度に苛立って身を震わせるアルファスを落ち着けるため、シェリーはその手を握った。 「気を静めて、あなたの知恵で戦うのです」 「シェリー……そうだな、知識と教養はシェリーがくれた力だったな」  眉尻を下げて笑うアルファスに、強くうなづいてみせる。そうすると、凛とした表情でアルファスは大公を真っ向から見つめた。 「大公、お前は黒だ」 「アルファス様、どれだけ足掻いても無駄ですよ。ここに用意された証拠が真実だと、誰が信じるのか。私は大公、そしてあなたは幼く年端もいかない国王。果たして皆は、どちらの言葉を信じるのでしょうね」  これだけ証拠を突き出しても、大公は自身の権力や名声の強さを信じている。たとえ四公爵に認められなくともそれ以外の人間――民や貴族など、権力者の信用を勝ち取れば大公の座に居座れると思っているのだ。 「ならば、弁解の余地すらあなたに与えなければいい」  スヴェンはそう言って、アルファスになにかを耳打ちする。それにアルファスは「その手があったか」と不敵に笑い大公に向かって歩き出した。 「今ここで大公の称号を剥奪するか、否かについて議会を行いたい!」 「なにをするおつもりですか? あなたに議会を仕切る権限など……」  訝しむように片眉を吊り上げる大公に、スヴェンはニヤリと口角を吊り上げる。 「大公殿下ともあろう方が存じておられないのですか。国王陛下と四公爵が認めれば、大公殿下の許可がなくとも議会は執り行える」  スヴェンの言う通り国政は大公と四公爵の議会によって行われているが、なんらかの理由で正常な議会を開けないと判断された場合には、国王による議会の開催が認められている。これは大公及び四公爵が国を揺るがす不祥事を起こしたときのために、設けられた国王の特例議会の権限だった。  大公は「悪知恵を働かせおって」と忌々しげに呟く。 「ならば私から、称号は剥奪するべきでしょうな」  手を挙げたウォンシャー公爵に賛同するように、ガイルモント公爵も挙手をする。 「私も剥奪すべきと考えます。それから直接手を下していないとはいえ、民を巻き込み国王の毒殺の片棒を担がせた罪は重い。その処分に関してはどうしましょうか」 「大公殿下は王族、本来であれ斬首に値するでしょうな」  ノーデンロックス公爵のひと言に、大公は「この私を殺すのか」と笑う。死を恐れていないのか、悠然と構えている大公にスヴェンの顔は嫌悪の形相を帯びた。 「この男は死を前にしても反省などしない。愛しているといいながら自らの欲望のためにアフィルカ様を傷つけ、息子であるアルファス様や前国王にまで手をかけた。その考えは恐ろしく利己的であり、死という逃げ道を与えるのは間違っている」  戦友を理不尽に殺された怒りが、スヴェンの鋭い語気から伝わってくる。それを聞いているだけでシェリーの胸は締めつけられ、彼の代わりに泣いてしまいそうになった。  父を奪われただけでなく、母まで傷つけられたアルファスは「僕も同感だ」とはっきり意見を述べる。 「お前は死ぬのではなく、生きて永劫罪を償うべきだ」 「ではアルファス様、禁固刑という形をとってはどうでしょうか。この城の意地下牢であれば守りも固く、簡単に脱獄はできますまい」   アルファスはガイルモント公爵の提案に強くうなづき、「叔父様……いや、トルメキア・サザーリンスター」と家族との一線を完全に断ち切るように名を呼んだ。  あれほど余裕な笑みを浮かべていた大公は動揺するように瞳を揺らし、ビクリと肩を震わせる。そして、「なぜ、殺さないのだ……殺せ!」と怯えるようにアルファスに問うた。 「僕はお前が許せない。だから簡単にあの世になど逃がしてたまるか、生きて罪と向き合うんだな」 「うあああああっ」  死ねないことがわかり発狂する大公は、だれの目から見ても狂っていた。そして、懐に手を入れると銃を取り出す。公爵たちが慌てて距離をとると、ニタニタ笑いながら銃口をアルファスに向けた。 「アフィルカは私のほうが先に愛していたというのに、ギュンターが横からかっさらったのだ。許せなかった……王位も愛する女も手に入れ、子宝にも恵まれたあの男が」  大公が話している好きにアルファスに駆け寄ろうとしたシェリーだったが、「動けば撃つぞ」と引き金に手をかけられてしまい身動きが取れない。 「シェリー、下手に動くな」 「ですが、スヴェン様」 「アルファス様は俺が守る」  そう言っていつでも抜けるように、剣柄に右手を乗せる。しかし銃相手ではあきらかに、距離を詰めなければならないスヴェンの剣ほうが不利だ。無茶をしないでと言いたいのに、それを彼が望んでいないことはわかっているから言えなかった。 「だから裏切り者のアフィルカが愛する者をすべて失えば、この私を求めてくれると思った。だからギュンターを殺し、アルファス様を罪人に仕立て上げたのだが……どうやら心配のようだ」  世間話でもするように軽々しく語られたのは、己の罪を認めるような発言だった。弁解もしない大公がなにをしでかすつもりなのかと、皆が気を抜けないでいると。 「だが私は、死してアフィルカと幸せになる」  恍惚とした表情で天井を見上げ、皆がその視線を辿るように顔を上げた瞬間、大公は銃口を自身の頭に向ける。 「死なせてたまるか!」  瞬時に異変に気づいたスヴェンは、腰の剣を大光の腕目がけて投げつけた。すぐさまウォンシャー公爵が駆け出し、倒れこむ大公を取り押さえる。しかし痛みに「ぐぬうっ」と呻いている大公は腕から血を流しながらもまだ笑っており、ウォンシャー公爵はハッとして「スヴェン、後ろだ!」と叫んだ。 「シェリー!」  振り返ったスヴェンになぜ名前を呼ばれたのかがわからず後ろを向くと、地下牢にいるはずのルゴーンが鈍く光る銃の照準をこちらに合わせているのが見えた。 「えっ」  音になっているのかいないのか、自分でもわからないほどかすれた声が出る。頭が真っ白になり、呆然と立ち尽くす。引き金が引かれるまでの時間が、やけにゆっくりに感じた。 「お前たちも愛する者を失えばいい」  そんな大公の声が耳に届いたとたん、パァァンッと銃声が鳴る。瞬きをする間もなく、目の前にある大きな背中を見て、シェリーは言葉を失っていた。それはゆっくりと後ろに倒れこみ、シェリーの足元に転がる。 「どうして……」  膝から崩れ落ちるようにして、それに縋りつく。自分を庇った彼はピクリとも動かず、ガーネットの美しい瞳も、つい数秒前に名前を呼んでくれた唇も閉ざしてしまっていた。  他の公爵がルゴーンを取り押さえているのと、側でアルファスが立ち尽くしているのが見えたが、シェリーはスヴェンのことしか考えられずにいた。 「そんな……スヴェン様、起きてっ」  目の前の体を揺すっても返事はない。絶望的な気持ちで、それでもスヴェンの名を呼んでいると、目に涙が込み上げてきて彼の頬を濡らす。 「約束、したではありませんかっ、私と一緒に生きてくれるのでしょう?」  何度も何度もその体を揺すりながら、頬に伝う涙もそのままに声をかけ続ける。けれど返事はなく、その胸に額をこすりつけるようにして泣き出した。 「私を置いていかないでっ、スヴェン様ぁっ」  誰かに置いて行かれる痛みをまた味わうことになるだなんて、思ってもみなかったのだ。愛した人を失うというのは、こんなにも苦しいものなのかとシェリーが泣き叫んでいると、ふいに頭に手が置かれた。 「え……」  顔を上げれば、困ったように笑うスヴェンと目が合う。 「悪い、心配をかけたな。気を失っていたようだ」 「スヴェン様、どうして……」 「お前が貸してくれたお守りのおかげのようだ」  少し体を起こしたスヴェンは、胸元からなにかを引っ張り出す。それは前にシェリーが預けた父の形見、ローズ家の紋章が刻まれた薔薇の首飾りだった。 「これ……肌身離さず持っていてくれたのですね」  銃弾を受け止めた首飾りを見つめていると、視界が涙でグニャリと歪む。 (スヴェンは様がご無事でよかった。お父様、私の愛する人を守ってくださってありがとうございます)  感謝を込めて首飾りに口づけると、シェリーはたまらずスヴェンの首に抱き着いた。 「おっと、泣かせてすまなかったな」  シェリーの体を片手で受け止め、あやすように頭を撫でてくる。それに涙腺は崩壊して、スヴェンの名前を呼びながら子供のように泣きじゃくった。 「また、おいてかれてしまったのかとっ」 「気づいていたら体が勝手に動いていたのだ。お前をおいて死ぬつもりは毛頭なかった。この首飾りが純鉄でできていたおかげで命拾いしたな」  撃たれたというのに平然としている彼は、やはり人並み外れた肉体の持ち主だとシェリーは苦笑いする。 「ぎこちないが、ようやく笑ったな」  目を細めて笑うスヴェンに「え?」と首を傾げる。すると頭に乗っていたはずの手は頬に当てられ、そのまま涙を拭われた。 「泣いているお前も美しくはあるが、胸が痛む。シェリーにはずっと、幸せに笑っていてほしいと思っている」 「スヴェン様は……本当にお優しいのですね」 「シェリーにだけだ」  スヴェンの唇が慈しむように瞼に押し付けられると、苦しかったはずのシェリーの胸には温もりが広がっていった。 「約束……今、あなたに甘えてもいいでしょうか」 「なんだ? なんでも聞こう」  スヴェンは少しだけ首を傾げて、答えを待ってくれているようだった。シェリーは思い切って、大胆なお願いをする。 「ここに……口づけてはくれませんか?」  彼の手を自分の唇にもっていくと、顔が熱くなる。受け入れてほしいとガーネットの瞳をじっと見つめれば、スヴェンに顎を掬われた。  吐息が唇に触れた瞬間、「喜んで」という囁きのあとに口づけられる。彼の熱に触れて、ちゃんとここにいると安心したかったのかもしれない。 「まったく、心配したじゃないか」  声が聞こえてスヴェンから離れると、アルファスが側にやってきてわざとらしくため息をつく。 「あんなところで死ねませんよ。これからも国王を支えるという大事な役目が、俺にはありますから」 「そうだぞスヴェン。お前もシェリーも、ずっと僕の側にいてもらわなければ困る。僕の理想の国はひとりでは創れないんだからな」 「アルファス様の作る国は、きっと誰もが笑って生き生きとしている国なのでしょうね」  くすりとシェリーが笑うと、スヴェンも同感だとばかりにうなづく。 「アルファス様の理想を追い求める姿はギュンター……前国王にそっくりだ。いつか俺の戦友になる日も近いですね」 「もう戦友だろう」 「それもそうですね」  命かながら城を抜け出してきてから、恐ろしい思いを何度もした。だからこそ三人で笑い合っていれらることに幸せを感じて、シェリーは密かにひとしずく涙をこぼす。  他にはなにもいらないから、この先もずっと愛する人の側にいられますようにと心の中で願った。
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