霜魚(そうぎょ)の遊泳 1 ※

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霜魚(そうぎょ)の遊泳 1 ※

 見あげた窓に、霜魚(そうぎょ)が貼りついていた。 「っ!」  ルキノの声はロベルトに顎を軽く押さえられて途切れた。 「よそ見するなよ、雰囲気ぶち壊す気か」  苛立ちをにじませているが、腰の動きはゆるめない。ルキノは体を揺らされながら天窓を凝視した。  今まで多くの星を回ったが、見たことのない生き物だ。  それは人のカタチに似て非なるものだった。口はあるが、鼻とおぼしき位置には小さな穴が二つあり、魚のエラのように開閉している。噂には聞いていたが、実際に目にすると、その異様さにおぞけがする。 「少しも良くないか? ……オレだけ躍起になってバカみてえだ。それとも、上のやつが気になるのか」  ルキノはうなずいた。 「霜魚は鳥や虫と同じさ。ろくな知能はない。せいぜい見せつけてやろうぜ。って奴らには目がないけどな」  ロベルトはルキノのものを掴んだ。乱暴な扱いにルキノが顔を歪めると、ようやく満足げに笑った。  霜魚には目がなかった。それなのに、窓から離れようとしない。男ふたりの行為を観察するかのように。白く長い髪が水のなかでゆらめく藻のようだ。四本の指のあいだには、半透明の水掻きがあるが霜魚が泳ぐのは水の中ではない。  ルキノはロベルトにつかまり目を閉じると、あとはすべてをゆだねた。 「あれが新しい“ヴァイオレット“か。霜魚みたいだ」  朝食に向かうルキノに鉱山で働く大柄なブルーカラーから遠慮ない視線が飛ぶ。 「白髪に赤目ってアルビノ? こないだの奴よりは小さいな」 「少しばかり見栄えがよくってもなあ。どれだけ需要あるんだよ。また“ロベルト専用“だろ」  どのコロニーに派遣されても同じ。ヴァイオレットの扱いなどはこんなものだ。これまで通り、なるべく人目につかないよう過ごすだけだ。  ルキノはブルーカラーを無視して食堂へ行く。コロニーの廊下沿いには小さな窓がいくつもはめ込まれ、外の風景が見えた。  惑星イゴールは太陽たる恒星から距離をおいた位置にあるため、朝とはいえ日光は弱い。ひとより光をまぶしく感じるルキノには好ましい。  昨日、自動航行システムの宇宙船から見たイゴールは、白い球体に見えた。薄暗い白銀のキャンバスに糸杉のような枝の張り出しが少ない天をつく木立が続いている。  今日は雪ではなく『雨』だ。けれど雪を溶かしきることはない。  永久凍土、日中でもプラス三度がせいぜいと聞いた。湿度百パーセント以上の外気。雨や雪は人体に有害なため、外出するには防護服を着用する必要がある。  ブルーカラーたちは、朝食が済むと用意された昼食を持ち雪上車で希少鉱石を産出する鉱山へ移動する。  コロニーに残るのは、管理統括を担う事務職のホワイトカラー、ハウスキーパーのグリーンカラー、そして特殊用途人形をメンテナンスする、ヴァイオレットカラー……。  ルキノは足を止めて林を見た。雪原には何かの足跡が点々とついて、交差しているのが見てとれる。  有害な雨や雪のなかに生息する生物がいるのだ。なかでも霜魚は、不明な点が多い生物だが研究するものはいない。  開発した惑星の生態を、逐一調べる人手も費用も中央政府(セントラル)からは無駄と見なされて久しい。  人に危害を加えないものならば、それでよし。謎は謎のまま。人類は銀河に拡がりすぎたのだ。 「やつらは夜行性だ」  野太い声に振り返ると、眼鏡をかけた角ばった顔があった。無精髭が男くさく、上背があり、がっしりした体格に事務方の服装。 「到着早々、昨夜からさっそくお勤めか? 仕事熱心なことで」  その男は、ルキノの作業着の襟の首筋を人差し指でなぞり上げた。ロベルトがつけた痕が見えたのだろう。恥じることはないが、不快だ。ルキノは軽く睨んだ。 「悪かった。事務のガンダロフォだ」  右手を差し出し握手を求められ、ルキノは応じた。 「三十代とは聞いていたが、思ったより若く見えるな」 「……どうも」  それは誉め言葉と受けとるべきか否か。ガンダロフォは恐らくルキノより年下。ロベルトと同年代、三十手前だろう。事務室勤めならばホワイトのはずだが体格がいい。クラスチェンジか? ブルーの中に時おり発生する優秀な人材は、まれにブルーからホワイトへ身分を変える。 「気の荒い連中ばかりだが、根は素朴で単純だ。よろしく面倒をみてくれ」 「辺境担当ですから。慣れています。短い間ですが、よろしくお願いします」  どのクラスもそうだが、年単位の短い期間に異動はつきものだ。とくにヴァイオレットはさらに短い。 「ときに、あなたの予約は?」 「今週分はロベルトで埋まりました」  小さく声をあげてガンダロフォは笑った。 「ああ見えて、淋しがりやだからな。では何かあれば事務室まで」  ガンダロフォは軽く手をあげて去っていった。  ガンドダロフォがホワイトカラーならば、生身の女を知る数少ない住人だろうか。同性を相手にするかどうかまでは分からないが。ガンダロフォの背中を見送りながら、なぜか粟立った肌をルキノは撫でた。  ルキノは食堂で朝食を調達すると、新しい職場である管理室の鍵を開けた。  室内は透明なアクリルガラスで仕切られた作業場があり中に、裸の女たちが直立してコンベアに乗せられている。 「やあ、ゆうべはどうだった?」  答えることなどあるはずがないが、いつもの癖でルキノは特殊用途人形(ラブドール)たちに挨拶した。  コンピュータのデータから昨夜の利用状況を確認する。  コロニー全住民二百八人に対して人形は二十体。昨夜はすべて使われている。昨日、着任してから挨拶もそこそこに全力で用意した。前任者からルキノが来るまでの十日あまり、住民はおあずけを喰らっていたのだ。  ルキノは使い捨てのマスクと手袋をすると、アクリルガラスの内側に入り、コンベアを動かした。直立していた人形はゆっくり後ろに倒れるのと同時に膝を曲げて股間を広げる。  薄いアンダーヘアを埋め込んだシリコンの肌と、見たことはないが生身と同じ形をしているといわれる女性器が目の前で停止する。  ルキノは性器を横に広げると奥ふかくまで指を入れ、締め付けの強さや破損の箇所がないか確認する。まれにアナルを使用する者もいるから、両方をチェックしなければならない。その後は膣に円筒状の注入棒を挿し込み内部を消毒する。  口、膣、アナルで男たちから放出された精液はアンプルに吸い上げられ自動的に採取される仕組みだ。腹部を開けてアンプルを回収すると、液体窒素の缶に保管する。  数が集まったら最寄りのステーションへ送る。次の『製作』の材料となるのだ。  一体一体、手作業で確認した後は、全身洗浄をかける。乾燥まですむと、起動させる。身なりを整えさせるためだ。 「こんにちは、マスター」  にこりと微笑む人形はルキノより、よほど人間らしい。かつては感情を持ち合わせるロボットも存在したと聞いたが、すべては幻だ。同じような背格好。ととのった顔。肌や髪、目の色にはバリエーションがあり、二十体それぞれ違う。  成人女性型だが、幼児型のラブドールを作る違法人形師も存在するらしい。 「ほんとうの子どもを見たことなんかないだろうに」  人が人を産まなくなって久しい。  人工子宮が開発され、出産から解放された女性のほとんどが自然分娩しなくなった。産むという行為を体が無用とみなしたのか、女性の体が退化したのか。女性は子どもを産まなくなった。卵巣と子宮はあるが、受精卵は着床率が極端に落ちた。  今はさらに事態が進み、女性そのものがほとんど産まれない。  そのためヒトはファクトリーで造られる。  造られるのは、労働者たる男性ばかり。  ルキノはヴァイオレットカラー……男たちの性欲コントロールのために造られたクラスなのだ。
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