5 きっとあなた知ることになる

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…… なんだ、お前?   これで、そんなに ...、   あぁー へんな女。 これを買ったのは、 高井なのに、チョッと呆れた。 今まで、どうやって、生きてきた んだ、でも、この、カンジは…… 高井はちょっと嫌な予感がした。 まさか、…… 「リーダー? リーダーって、  ナンデも知ってるんですね、  私、近くに住んでるのに……  あのぅ、  これ、私、もう少し、アッ!  いえ、あともう、一つだけで  良いんですけど、  うちの子、二人兄弟なので…」 「あ~?」 「 ハイ? で・す・か・らぁ~  これ!すごく可愛いから、  子供のお土産にしようかと…  うちの子、二人なので、  もう、一つ、あ~、無いですか?  では、買いに行きたいのですが」 「なんだと?」 「おまえ…」 高井は首を傾げ、口を開いたまま、 自分のシートベルトに手を掛ける。 茉由から顔をそむけると 周囲を確認し、 吐き捨てるように強く命令した、 「おい、シートベルト!」 『ドルンドルンン―ッ!』 急に、 気分が変わったようだった。 高井は憮然とした表情で エンジンを掛けた。       『 キィ―ッ!』 ハンドルを思いっきり回す。       『カシャン! 』 「急いでいるの?」 ナンデ? 茉由にはゼンゼン分からない。 高井はサッサと、料金を精算した。 山下公園の端にある、 駐車場の外は、内部と違い、 夜なのに、明るすぎる。 観光地。 夜の山下公園。ここは、賑やかで、 人々のザワザワ感も続いている。 あっという間に、高井の車は、 静寂から賑わいのある街中に、 高井は、この現実に、戻ってきた。 目に入る、赤レンガの建物。 幅広の歩道には、そ・こ・でも、 お互い、相手を「好き」、 な者たちが、 幸せそうに、良い感じで、 自分たちのエリアをキープし、 それぞれの単位で楽しんでいる。 そんな空気感の中、 高井は思いっきり 邪魔をするように、      『 ブォォーン !』 と、エンジンをふかし、 「キャッ!」 茉由は、車内で振り回される。 まだ、この街では、 本物の恋人たちは楽しんでいるのに、 もう、こんなところからは…… なのか、高井だけ、急に気分が 下がったようだ、 そんな、幸せな者たちを見たくは ないようで、混雑する山下公園 から急いで離れた。 「え~?」 「あのぅ?」 茉由は、なぜ、高井が、 不機嫌になったのかが分からない。 「チョット、欲張りすぎた?」 少しずれた考えしかできない。 横浜から茉由の自宅は、近い。 「おい!」 「あっ、ハイ」 茉由はキョトンとしたまま、 車から降りた。 「お疲れ様で御座います」 茉由は、今日、 とてもお世話になった高井に、 きちんとご挨拶をした。 高井は動かず茉由の方を見ない。 黙ったままだった。      『ブォォーン!』 消えていくのも、早かった。 茉由は、もう、高井のことを、 怖がってはいなかった。 「ただいま帰りました。お母さん?」 「茉由ちゃん、おかえりなさい」 「ねぇ、これ!可愛いでしょ?」 「あら? 本当、可愛いわね」 「そうなの、会社の人が  買ってくれたんだけど、  ちょっと残念なの」 「もう、一つあったら、  お兄ちゃんにも  あげられたのに~」 「あら、良いじゃない、  あ~ このお店のマーク?  お母さん知っているわよ、  近いから、お母さんが、  明日にでも買ってくるわ」 手にした紙袋の店のマークを、茉由 も確かめる。確かに、有名な店、だ った。人混みが凄くて、顔を上げられ なかった。自分の警戒心が強すぎる ことに、茉由も呆れた。 「そうなの? ウン、そうね、  せっかくだから、そうして!」 「茉由ちゃん?元気になってから、  お仕事楽しそうね?良かったわぁ、  会社の方にも良くしてもらえてね!」 何も知らない母、いつも、家の中では、 塞いでいることが多い、娘の、 嬉しそうな顔を見るのは、 久しぶりだった。 「そうなの…… でも、今日は、  本社研修で体力使ったから、  チョット、疲れたけど」 「じゃぁ、早く寝なさい!  明日が、大変になるわよ」 母は、娘の身体を心配する。 「は~い、そうする~」 茉由は、珍しい高井の優しさに触れ、 浮かれたままだった。 「あれ? いけない」 茉由は着替えを急ぐため、寝室へ 入ると、スーツの胸ポケットに あるボールペンを思い出した。 「あ~ 落としたら大変!」 せっかく、 オネダリシテ、手に入れたペン、 茉由は、高井とのkissも思い出した。 「一人」なのに、嬉しそう、 微笑みながら、ペンに、もう一度、 軽くkissをする。そこには、 高井の名、 茉由は、自分のkissを消すように、 その名を小指でなぞってから、 寝室のドレッサーの引き出しに、 ペンをそっと入れた。 高井の名が刻まれたペンは、 茉由の寝室にある。 高井は、また、呆れていた。 不機嫌さを分からせるために、 サッサと茉由を落としてきたが、 自宅に戻ると、リアシートには、 あの、花束が遺されていた。 「アイツ…」 茉由は、鈍感で、ピュアだから、 察しが悪く、物分かりも悪い。 高井が黙って、助手席に置いた花束の、 その意味が、茉由には分からない。 今日のドライブがスタートしたときに、 確り、茉由が手にしていたのは、ただ、 この花束が、置いてあったので、 車の中では転がって、花が、傷んでは、 いけないと思ったから。 怖い高井の持ち物に、 何かあってはいけないから、 預かっていただけ、だった。 茉由も高井も、車の中ではずっと、 黙ったままなので、 二人の気持ちが、違っていても、 お互い、気づかない。 山下公園の端の駐車場は暗い。 高井は、 花束のことを、確かめて、 いなかった。 そのくらい、茉由にだって、 理解できる、と思っていた。 残念だが、高井の思惑は、 だいなしだ。 「そうだったな…」 高井は、ため息交じりで自宅に 入っていった。 高井の想定外は、まだまだ続いた。 高井がいなくなった、 女性だけのマンションギャラリーは、 茉由にとっては、ストレスフリーの 職場になった。 素敵な亜弥チーフが居なくなって 寂しくはなったが、茉由の仕事は、 マイペースに出来るようになった。 先日、受けたばかりのマナー研修も、 終わってしまえば、重圧から解かれ、 それまで。 今日の茉由はスッキリとしていた。 きっと、茉由の家では、子供たちが、 可愛いパンダの饅頭を 楽しんでいることだろう。 お兄ちゃんの分も、きっと、母は、 用意してくれたのだから。 「あのとき」の茉由の思い出は、 新しいお土産を発見できた、 ことだった。 ペンの事も、しまってしまえば、 もう、忘れている。 マイペースに仕事ができる茉由は、 仕事中、来場者が居なければ、 なおさら、自分の時間ができる。 今日は、平日。咲と梨沙に連絡した。 「お疲れ様です。昨日はゴメンね!  日を改めて、3人で集まれる?」 茉由は同期の2人にメッセージを 送った。 咲からメッセージが届いた。 「うん、私の家に集まってね!  梨沙のところは駄目になったから」 梨沙からも届いた。 「そうね、休日なら、  私も、咲のとこ、行けるよ!」 茉由は返信した。 「咲のとこで良いの?   行ったことがないから、  楽しみ!土曜日にする?」 梨沙が返信した。 「マッタク!   あ・の・ね!   咲のとこじゃなきゃダメなの!  咲も私も、話、イッパイあるから!   分かった? 土曜日にね!」 「了解?」 「はい」 「了解」 茉由には何故、梨沙のアパートに 行けなくなったのかが分からない。 その、土曜日、 「ゴメンね、私、帰っちゃって!     待っていてくれたのに~」 茉由は、咲の部屋のドアを開けると、 開口一番、謝った。 咲の部屋は、自社物件の、1LDK。 部屋は一つだが、リビングは、20畳。 寝室は、10畳と、御一人様には かなり広い。 ファニチャーは、北欧のもので、 どっしりとしたカンジの、身体を 任せるのに安心できるもの。 リビングの壁は、ウッドブロックで、 ここの照明は、シーリングライトはなく、 間接照明だけにしているみたい。 なんか、暖か味のある、優しいカンジ。 いつもカッチリ、キッチリしている 咲には意外にも、プライベートは、 ぬくもりがある、安らぐ空間だった。 この部屋に、 先に到着していた梨沙は、 この内装に、なっとくをした。 「だからかぁ~」っと。 梨沙は、自分とは反対に、いつも、 キッチリ固めすぎている咲だから、 プライベートには安らぎを求める のだと、思ったようだった。 「わぁ~、素敵なお部屋~、    さ・す・が、咲だね!」 何も知らない茉由は、咲の部屋へ 一歩踏み入れた時から興奮し、 自分が憧れる一人暮らしを満喫している 咲の、インテリアへの拘りが感じられる、 背の高さが、チャンと統一され、 その、向きの線までも揃えられた、様に、 驚き、ワクワクしながら、キョロキョロ と大きな目をよく動かして入ってきた。 本当にお行儀が悪い。 「昼過ぎだから、お茶にする?」 咲は自分で2人にすすめる葉っぱ を決め、グラスポットへ準備する。 皆の飲み物をキッチリと決めた咲は 2人に、くつろげるソファーに 座るよう案内する。 「え~?梨沙は? アルコールが       良いんじゃないの?」 茉由は珍しく、上手くツッコミを 入れられたと思った。けれど、 ボケて、しまった。 茉由は、先日の浮かれた気分が、 まだ、残っている。 この2人の表情を確認することもなく、 さっきは、2人に謝ったばかりなのに、 はしゃいでいた。 「ダメ! アタシ! 外で、    飲めなくなったから!」 梨沙は、かなり、むくれている。 「え~?」 茉由は、少し、察してきた。 自分を先に駐車場へ行かせて、 高井はこの2人の前に残った。 やっぱり、何かした? 「あのねー!」 梨沙は茉由に跳びかかりそうな、 勢いがある。 「梨沙! 待って! 落ち着きな!  茉由は、分かっていないんだよ!」 咲は、本気で梨沙を止める。 茉由の鈍感さにはもう、慣れている。 やっぱり、何かされたのね。 茉由は、やっと、我に還り、沈んだ。 「 あのね… 」 咲は、興奮している梨沙に代わり、 梨沙と咲に起こった先日の話しを 簡潔にまとめ、茉由に伝えた。 「 ゴメン ... 」 茉由はまた、謝るしかなかった。 けれど、 今回、あんなに残忍に思えた 高井の仕置きは、実は、この3人には、 「半分ほど」しか、効き目がなかった。 せっかく、 深い意味を込めて用意した花束を 茉由は持ち帰らなかったし、 咲は、仕事場では、内覧会の、 責任者のポジションから外れ、 後輩の結奈を見守れなくなったが、 竣工検査では、結奈と一緒に入れ るし、デスクワークだけになった が、仕事以外の普段の生活までは 何も制限されなかったし、 梨沙は、仕事量も、元々、いっぱい だったのに、今回の事では、 さらに増え、 毎日が、時間に追われることになった。 だから、帰宅時間は、管理が厳しい 社宅の門限の時間ギリギリだし、 仕事仲間との酒の席もなくなり、 とても窮屈になったが、 休日は、夜の10時までに社宅に戻れば 良いのならば、今日の様に、自由時間は 有るので、よく考えたら、健全な日常に なっただけだった。 梨沙の部屋に、茉由と咲を呼べなくても、 こうして、休日に、咲の部屋に集まれた。 高井もまだまだ、スキがある。 それとも、そんなに悪人でもなく、 これも、分かっていたのか。 3人は、せっかくだから、咲が用意して くれた、ミントティーを飲みながら、 落ち着いた。 このお茶は、今回、とても効果がある。 咲は、少し濃いめにしておいた。 しばらく、それぞれが、 このお茶を楽しむために 沈黙が続いた。 3人とも、少し、頭を整理する。 いったい、 今回は、何だったのだろう? 「 ゴメンね...」 今回の三人会では、茉由が、 最初に、喋り出した。 「あのね、なんか、リーダーって、 直接、私に何も云わないし、なにか、 尋ねても、ちゃんと返事が返ってこな いから、実は、スゴク面倒くさくて、 なにか、私がしてみても、 空回りすることが多いから、 ゼンゼン、私、上手くできないの」 「だから、私のせいで、2人には 迷惑を掛けているのは分かっていても、 いつも、謝ることしかできなくて、 解決できていないよね。今回も、 私の前と、咲と梨沙の前のリーダーは、 きっと、別人のように違っていると 思うんだけど、分かる?私、        上手く喋れていない?」 茉由は、頭の中で整理がつかない ような喋り方をした。 それを聞いた咲は、 「う~ん、そうだね、茉由のこと、  全部、支配しようとしているのかな?    この時代に?って、気もするけど 」 梨沙は、口を開けて、呆れている。 「前も言ったけど、『自分』しか、  ないからじゃん。ヤツ、  ちょっと見栄えは良くても、  いい男でも、  普通の女なら、相手にしないよ、  仕事以外は。  だって、『おまえは~、だろ!』  なんて、  そんなヤツ、今どきいるかって  カンジなんだよね、       ゼンゼン分からない」 「私も同じ職場にいたら、  相手しない」 咲は、いつも自分の立場を、 ハッキリとしている。 「でも上司だし、   無視できない、の 」 茉由は、全否定できない。 「亜弥さんの方に、ずっと、  行っていれば、いいのに 」 茉由はいつも、人任せにしたがる。 やっぱり、亜弥には、嫉妬をしていない。 「亜弥さん?」 「って誰?」 咲も梨沙もまだ、亜弥を知らない。 「うん、元チーフで、今、本社の  広報へ異動になったばかりで、  リーダーがすごく可愛がってて、  上品で、美しくって、気配りが   できて、賢い人 」 「 凄いね 」 「凄いね、茉由とは真逆?」 2人は呆れる。 高井が創った、 女性だけのマンションギャラリーで、 今も、茉由は働いている。 「 茉由は、そんな人と  比べられて、たの? ヤツに 」 梨沙のツッコミは鋭い。 ここのマンションギャラリーには、 品のある、亜弥チーフは適材適所。 そんな彼女を抜擢したのは、 リーダー、そう、高井だった。 「そんな人いたんだぁ~ 」 「美しい人? 美女と野獣って、           みたいな 」 咲と梨沙は、2人とも、 亜弥のことを想像した。 「今は本社だから、そのうちに、  咲と梨沙は逢える?よ、  そうなの、  3つ下なんだけど、  私、5年離れていたから、  キャリアも亜弥さんが上なの 」 茉由はケロッとしている。咲と 梨沙は悩む。 「その人は、茉由の恋敵なの?」 「ねぇ?茉由?確認だけど、  ヤツの事、如何、思ってるの?」 梨沙が念のために確認をする。 梨沙と咲は、このところ、いきなり、 目の前に、高井が登場し、急に、 順調に思えていた、仕事がやりづらく なったりと、 なんだか振り回されていたが、 けれど、 これは、何に、巻き込まれている のかも、実は、ちゃんと、 理解できていない。 茉由はいつも、高井のしたことの説明と、 ただ、謝るばかりで、咲も、そのことは、 知りたかった。梨沙も自分も、いつの間 にか、高井の事を、天敵のように思って いたが、茉由の気持ちを、確かめていな かったことに気づいた。 「私ね、束縛されている、と感じるか、  守られていると、感じるのか、  なんだけど、束縛は嫌だけど、  リーダーに護られている?のは、  ゴメン、おかしいかしら、それは、  嬉しいの。上手く、伝えられてる?」 咲と梨沙は「上手くないけれど」っと 思ったが、暫く黙って、茉由に喋らせた。 「リーダーが、私と、二人の時には、  口数が少ないのは、 『云わなくても分かるだろ』って  いう感じで、 『自分のこと分かって』      って、ことかな?とか」 「私、これは、自分のことだけど、 『制限は』は、それに、  愛情が感じられなくて、だから、  夫からの制限には、愛情を感じない、  けど、リーダーからのには、  ときどき、愛情を感じるの。          だって、この間…」 梨沙が突っ込んでみる。 「じゃぁ、茉由は、  ヤツが好きなんだ!」 咲も肯く。茉由は、 不可思議さも出してくる。 「好きなのかな? 私?  『お前のことを決められ    るのは、俺だ』って、  云われて、嫌だったけど 」  「ナニソレ?」 梨沙は唖然とする。 咲は、眉間にしわが寄る。   「茉由のこと如何したいんだろう?」 「私にも、分からないけど...、」 「この前、マンションギャラリーで  リーダーと亜弥さんの  結婚式みたいなの観せられたけど、  それだって」 「私が、結婚しているから、  リーダーとは結婚できないでしょ、  だから、 『お前とはこうなれない』って、  メッセージ?なの、かなって…」 ―  「亜弥君、おめでとう!」 高井は、とても、良いタイミングで、 チーフに花束を手渡した。それは、 花嫁が手にするブーケのような、 真っ白なレースに包まれ、 爽やかなブルーのリボンで 纏められた、上品なものだった。 高井は、亜弥チーフに寄り添った。 センスの良い、礼服のような スーツに身を包んでいる二人。 ここは、上品な、こじんまりした マンションギャラリー。 まるでチャペルの、 結婚式のようだった。 お揃いの接客用の三つ揃えのスーツを 着ている茉由たち、 女性スタッフたちは一列に並び、 この二人と、向かい合った。 「わぁ~、素敵!」 「本当!」 「亜弥チーフ、美しすぎる!」 「リーダー、素敵です!」 「なんてお似合いなの」 「ずっと、このままでいて下さい」 「リーダー、チーフ、お幸せに!」 皆の賛辞は続く。嬉しそうに、 はにかむ 亜弥チーフは、何も悪くない。 高井は、亜弥チーフを、 本当に、愛おしそうに、 皆の前なのに、抱きしめた。 「キャァ~!」 「わぁ~」 「リーダー?」 「亜弥チーフ、お幸せそう~」 「おめでとうございます!」 「亜弥チーフ、  おめでとうございます。  心より、お慶び申し上げます。  どうぞ、  お身体にお気をつけて、  これからも、 ご活躍を!」 茉由も、 心からお祝いを申し上げた。 高井は、茉由に、やきもちを妬か せるために、亜弥チーフとの仲を 見せつける。      ― 茉由は、思い出しながら、 一言一言、ゆっくりと話す。 「マンションギャラリーには、  駿も、安心して私を往かせたけど、  それはリーダーが創ったもので、  だから、リーダーは、駿にやき  もちを妬いて、駿のような人が  私の近くにいることが無いように  したかったのかも、しれないし 」 「リーダーに、逆らうなってことも          あるだろうし 」 このマンションギャラリーでは、 高井に逆らった茉由は、虐げられ、 従順に高井に従っていたチーフは、 ご褒美を与えられたように、 次のステップに上がっていく。 ―  高井はチーフの最後の挨拶の後、 出かける準備をしていた。 支度を終えた高井が「長」の 席から離れ、 事務所から出ようとしたとき、 高井は、茉由の後ろ側に廻り、 茉由の耳元で囁いた。  「お前のことを  決められるのは、俺だ」 茉由は、高井が、一瞬重なった、 この背中が熱くなる。 高井は、茉由が振り向く間もなく、 事務所から出て行った。 もう、ここにはその姿はない。 ― 「それとね… 」 茉由は、高井と、夫の、 二人の違いを説明するために、 自分の夫の事を、 咲と梨沙に話した。 それは、誰にも言ってはいない、 茉由の病気の事から、 ―  茉由は、自覚症状が    無いのに、 ある日、 突然、医者である夫から、 病を告知された。 茉由は、衝撃が大きすぎて、 告知自体は全く疑うことなく、 素直に聞き入れ、 自分の体を、 自分で確かめることよりも、 家族を想う気持ちが大きくて、 すぐに、病と闘う決意をする。 茉由は、5年間、ただ、 その事だけを 考えていた。 ― 「うん、子供たちにも感謝してる。  ずっと、我慢していたものね。  私、ちゃんと、お母さんできて  いないこと、子供たちに、申し  訳なく思っている。  病気になってから、学校行事、  子供たちの入学式や卒業式に  だって、往けなかったから、  きっとそれだって、子供たちに、  我慢を、させていたんだって、          分かっている」 子供たちがもう寝た、夜の11時。 ダイニングテーブルで母に向かい、 母が作ってくれた、遅めの晩御飯を 食べながら、まだ、スーツ姿の茉由は、 子供たちの話を聞かされると、 いつも 大きな溜息が出る。 茉由のせいで我慢をしていることが多い 子供たち。いつも世話をしてくれている 茉由の母から聴く話は、茉由にとっては、 辛いものが多い、茉由は胸が苦しくなる。 「病人に見られたくはない」、茉由は、 接客の仕事を、そのまま続けている。 茉由なりに、家族を思っての事だった。 医師である夫からの、告知後、 すぐに、切除手術を施し、 治療を 続けてきても、 5年経過して、 再発や転移が無くても、 「完治では無い!」と夫から 告げられている。 もし、茉由のこの状態で、 他の病気まで、発病したら、 夫は「治せない」と云う。 「子供には近づくな」と、 茉由は、子供まで傷つけたく はないので、 「子供に、近づけない」などと、 残酷すぎて、告げたくはない。 なので、学校へ往けない事では、 「仕事があるから往けない」 としていた。こんなときでも、 「仕事をしている」ことに 茉由は助けられた。 化学療法以後、一年程、 ウィッグを着け て仕事をし、5年間は定期検査と、 飲み薬だけになったが、 医者である夫から、 処方された副作用の 強い薬は、夫からの説明は 「予防薬」とだけ 云われている。 この飲み薬では、 5年以上も、 副作用に悩まされている。 この5年前、のこと、 ― それまで、夫との夫婦関係を、 ちゃんと 築いてこなかったのは茉由に だって責任はある。 この夫婦には全くの 信頼関係なんてものはない。 子供がいるから、家族でいる、 形だけの、関係でしかない。 「佐藤チーフって翔太だったの?」 「おい、敬語は?  俺はチーフだからサー」 「ナァ~茉由?お前が一旦、  社から離れたから、  俺とお前が同期なんて  誰も知らない、だナァー?   可笑しい、よ、ナァー、  だから俺たちが、  ただつき合っている、  としか、  観てない、だナァー」 「そうね、たぶん、  きっと、大人の、  関係がある、男と女と思って  いるでしょうね~」 「ぜってぇ~、無理だよ、ナァー、  男と女になるなんてー」 「そうね、無いわね」 チーフは佐藤翔太、同期の翔太。 茉由は、二人の子供が手のかかる、 小さい間は、子育てに協力して もらっている茉由の母の負担が 大きいことから、仕事を諦め、 家庭に入っていた期間があるので、 佐藤と会うのは久しぶりだった。 この佐藤は、チーフとしては 若い方だが、それは営業成績が 優秀なのだろう。 時を経て、再会した同期が、 頼もしい上司になっていた。 スポーツでも鍛えられた佐藤は、 見た目も、男としても、 とても、魅力的だった。 それからは、茉由は、 仕事に向かう足取りが変わった。 仕事よりも「チーフに会いに行く」 様になっていた。常に、頭の中は、 佐藤で、イッパイになる。 茉由は、「翔太」じゃない、 仕事ができる男「佐藤チーフ」に、 少しでもカマッテほしい。 いつも以上に、茉由は、 身だしなみにも気を配り、 通勤に着る服は、 どんどんフェミニンになっていく。 もはや、仕事に向かうために 着る服ではない。以前にも増して、 周囲の目は気にしなくなり、 ビジネスマナーもない。より華や かな、仕事、とのことを考えない、 背中の大きく開いたワンピを着た りする。 茉由は、いつの間にか、 頼もしい佐藤に、自然と、敬語で 話しかけるようになっていた。 茉由が、発病したのは、 佐藤と離れた直後だった。 このタイミングは 偶然なのだろうか  ― 茉由は、 浮かれた、気分は続き、 人からも、オカシク見えるほど、 表情も明るくなっていた。 茉由の香りは、より、 女性らしいモノへと変わっていた。 クローゼットには、 今までなかった派手な服が、 その、寝室の残り香が… これには、家へ帰らない、 茉由の夫でも、気づくのでは、 ないだろうか……     ― 咲と梨沙は、初めて聞く話、 茉由は、言葉を確かめながら 話をしているようだ。 「実はね、私は夫から、ある病気  を告知されていて、その病気の  ために、今、38度以上の熱が  出る病気には、  罹るわけにはいかなくて」 「それは、その病気で、  致命的な状態になるって、  夫に、云われていて、  その『きっかけ』も  私は作ることができなくて」 「自分の子供たちの傍に近づくな、  って、夫から云われているの」 「だけど、それが本当のことか  分からないから、他の病院で、  確かめているところなの」 「そうやって、私に、  解決できない事で、  一方的に、  私に制限を加える夫の事が、  私には、分からなくて、」 「でも、リーダーは、私に、  辛く当たったりするけど、  その後に、リーダーからの  愛情も感じられることも  起きるし、だから、  夫とは、違うと、思ってるの」 「上手く言えないけど、ゴメンね、     私の事、ばっかりだけど」 「そうだったの?茉由の病気のこと  知らなかった。      身体はどんな状態なの?」 咲は、真っ先に、 茉由を心配してくれた。 「うん、分からないの、  本当に病気なのかも」 「それって?」 梨沙も心配しながら、 ゼンゼン似合わない、 神妙な顔をしている。 「うん、夫が、  私が病気じゃないと、  困るから、『そうして』、  いるだけ  なのかもしれないの」 「茉由の旦那が、医者だから?」 「うん」 2人は、信じられないようで、 揃って、怪訝そうな、顔をする 「うん」 「なんで?」 「たぶん、翔太のことがあったから、  そのために……、   …かな?」 「分かんないなぁ~」 梨沙は、力を込めて、 握りこぶしを創った。 「だって、茉由は、  ご家族と一緒に暮らしているから、      ゼンゼン分からなかった」 咲は冷静に、確認をした。 「うん、だから、子供が寝てから、  家に帰ってるの、もう、    子供が動かなくなってから」 「え~?」 「そうだったんだ」 2人には、やっと、 理解できたようだった。 「でもこれは、私の家の中の事で、  リーダーの事のように、  皆とも関係のないことだったし、  病気の事は、誰にも言っていな  かったから、      言えなくて、ゴメンね」 「そうだったんだ」 「気づいてあげられなくて、   こちらこそ、ゴメンね」 咲と梨沙は、優しい、微笑みを 見せてくれた。 2人の声が穏やかになる。 「ありがとう」 「そうかぁ~、   高井さんの事だけじゃないんだね、        どう、する? 咲?」 梨沙と咲は、高井に対する 見方は変わったのだろうか、 梨沙は、「高井さん」、に戻った。 「う~ん、ちょっと、    考える時間欲しい」 咲は、珍しく考えがまとまらない。 「ありがとう、でも、本当に、私、  夫の事も、分からないから、  夫は、  間違っていないのかもしれないし、  手術も、治療も、予後観察も、  それ自体は間違っていないから、  まだ、確かめてる、途中だから、      夫には、何も言えない」 「そうだね、  茉由が病気じゃなかったって、  ハッキリさせられないと、  ダメだね、まぁ、翔太のことも  有ったし、病気じゃなかった、  って、だけじゃあ、解決でき    ないかもしれないけれど」 「 そうかぁ~ 」 「 そうなのね 」 咲と梨沙が反対になってきた。 理路整然と、筋道を考えるのは 咲の方が得意で、梨沙は、 勢いで論破するのが 得意なのかもしれない。 「 う~ん 」 「なんか、高井さんと、旦那の事が、  かぶっているんだけど、  でも、全く、  違うような気もしてきたし、  私たちが巻き込まれてるのは、  高井さんからの事だけど、  旦那のことだって、茉由と、  茉由のお子さん、それと、  お母さんも? のこと考えたら、        許せないよ! 私」 梨沙は頼もしい。 「 ありがとう 」 「 どうにかしたいね 」 「 そうだよね…… 」 2人は考えてくれている。 「 ありがとう 」 茉由は、自分を振り返る。 「リーダの事だけど、私、  梨沙と再会した時、その後、  リーダーに家まで送られたこと  有ったでしょ、今思えば、  私、途中で寝ちゃったから、  分からなかったけれど 」 「リーダーは、あれが、初めての、  デート?のつもりだったのかも  しれない。 だって、  本社から家まで、ずいぶんと、  時間が経っていたようだったし。       もし、そうだったら」 「そこで気づいてあげていたら、  リーダーのこと、  勘違いさせなかったのかも  しれない、って、  それも、気になってるけど」 「あ~! そうね! あの時、  随分、遅くなってから、  茉由から連絡あったよね、        …そうかぁ~」 梨沙は、忘れていた。 でも、そう云われれば……、 ― 「ちょっとー、茉由なの?          久しぶりー」 本社での研修がすんなりと終わり、 1階のロビーまで下りてくると、 外から戻ってきた同期の梨沙と バッタリすれ違った。茉由の方は 全く気が付かないほど、以前の ガーリーな雰囲気とは真逆の、 シャープなスタイルの、パンツ スーツにストレートの長い黒髪で、 この変身ぶりには、長い年月、 全く逢うことが無かった 時を実感する。 「うそ? 梨沙、ゼンゼン違う!  都会にいるとこうなるの?   私、田舎から上京してきたみた  いに恥ずかしくなるー」 「ヤダぁー、茉由だって綺麗よー」 これは社交辞令で、「自分の方が 綺麗だけれど」って謂っている。 でも、いくら同期でも、 茉由の送別会以来、余りに久しぶりに 会ったもので、2人の会話は弾まなく、 無意味に微笑み合っているだけだった。 そんな、お互いがこの場を、 どうしたら良いのか探り合っている中、 不意に「ドン!」と真っ黒いスーツに 体当たりされ、堪えきれない茉由は、 よろけて、茉由より頭一つ小さい梨沙に 支えられる。 「あ~、ワルイ!」 2人の前には高井が立っていた。 「お疲れ様です、リーダー」 梨沙はすかさず態勢を変え、 ソツナク、サラッと挨拶をする。 「あっ、お疲れ様です」 茉由も挨拶だけにする。 「おっ!お疲れ!おい、お前?  何で、本社にいるんだ?」 高井は茉由の名を云わない。 「はい、システム変更の研修です。  もう終わりましたが」 茉由は淡々と返事をした。 「そうか? 俺も、もう出るから、  先に車で待っていろ!」 「はい、地下駐車場ですか?」 「そうだ!」 茉由は車の中で待つことにして、 高井の手からキーを預かった。 すると、梨沙は少し驚き、だが、 すかさず、 「ねぇ、高井さんの車、  茉由知っているの?」 もう、何もかも、分かってしまったか のように、けれど、茉由にそれを認め させようとしたのか、梨沙は確認をした。 「マンションギャラリーに乗って  来るもの、分かるわよ!」 茉由は完璧な模範解答のつもりだった。 ところが、これに高井は、 「おい、戻らないで直帰にするか?  あ~、やっぱり、俺も直帰する、  い・い・な!   あ~、今日はアクアパッツァか  お前の好きな温野菜にするか?       晩飯食って帰るぞ!」 …えぇ~? なんでよ、やめて、 「余計な一言でしょ~」、茉由は、 高井のこの一声でフリーズした。 これに、梨沙は、反応が早かった。 早々に茉由から二、三歩離れると、 手を振り別れの挨拶をする。 「茉由ぅ~、お疲れ様ぁ! 今度、  ゆっくり、お話し、聴かせてねー」 「なんで、久しぶりの本社なのに、  なんで、久しぶりの梨沙なのに、  なんで、リーダーは登場するのぉー」 けれど、力ないまま高井の方へ 目を向けると、高井はゼンゼン 涼しい貌をしている。 「マッタク!」茉由は腹が立つ、 「この男、何て無神経なの!」 茉由は目を閉じて俯き、ゆっくり と息を吐いた。自分が落ち着かなければ、 どうせ、高井に何を言っても無駄だと 思ったからだ。 「おい、行くぞ!」 案の定、高井は、きっと、何とも思って いない。茉由はもう、この 後のことは何も考えられなかった。 ただ高井について行く、俯いたまま 「嫌だ、お腹空いてないし、  ゼンゼン嬉しくない」        そう思っただけだった。 「コイツ、スグ騙される」高井は茉由に 背を向けて足早に地下駐車場に向かう。 このニンマリした貌を見せないように しているのだ。 今回も、茉由には分からなかっただけだ。 この男が無神経なワケがない。 高井は茉由が今日、本社に居ること を知っていた、なにせ、あの日、 高井が、 「研修に行かせろ」と チーフに指示したからだ。当然、 研修の終了時間だって分かっていた。 高井は茉由を、迎えに来たのだ。 そして、茉由と梨沙を見つけた。 高井は太々しい、とっさにギリギリの ところを楽しもうと考えた。 高井にとって、下の身分の梨沙が、 自分のことをどう思うかなんて 関係ない。だから、茉由をいじめた方が、 面白いと考えた。 高井は車の運転が好きだ。茉由を乗せて、 ドライブするのも好きだ。 マンションギャラリーから茉由の自宅よ りも、東京の中心から茉由の自宅までの 距離の方が遙かに遠い。 ならば、茉由にそう伝えたら良い のだが、「策士」の高井はそうなる ようにと事を運ぶ。 だから今、茉由は高井が自分とドライブ を楽しみたいとは全く気づかない。 茉由のように鈍感な女は、全てにおいて、 高井の勝手で決められるのだ。 高井がまんまと茉由を拾い、 車で向かったのは、湾岸道路だった。 これだって、実は全く、帰り道に はならないのだが、ゼンゼン茉由 には分からなかった。 高井はせっかく手に入れた、 望んでいたドライブなのに、 浮かれて、茉由に話しかけること もなく、黙って車を運転し、 自分の好きな音楽を流す。 ただ、いつもとは違い、この車の中の、 高井好みの香りは、かなり強く充満 していた。これでは、車内に居る時間が 長ければ長いほど、服に纏わり憑いてし まう。茉由はその匂いを気にしなかった。 いつもとは違うこの強い香りを、 自分の家庭に持ち帰ってはいけない ものだとは、迂闊にも分からない。 仕掛けを楽しむ高井は、ワザと、 確りと、車にコロンの匂いを 充満させている。 「あれー、平日の、今って、この  高速は渋滞がないですねー、  えぇー? 前の車のテールラン  プって、両端で『クイッ』って、  曲がっているー、猫の笑った目  みたい、わぁ~、可愛いいー」 あー、全く何も気づいていない。 さっきまで、あんなに落ち込んでいた のも、忘れているのだろうか。 せっかく、茉由がドライブを楽しみ だしたのに、高井は無表情で運転をして いるだけで、茉由にだけ、喋らせている。 営業出身なのだから、相手を喜ばせる 話術だって身に着けているのだろうが、 二人の時はいつも口数が少ない。 ずっと口を噤んでいる。 茉由に微笑みかけることも ない。高井は本当に、楽しいのだろうか?  いや、楽しそうな表情をだしてしまうと、 さすがに、茉由にドライブ目的だと 気づかれてしまうのではと、考えている のかもしれない。 「おい、何か食べるか?」  とりあえず聞いてみた。 「いえ、私は大丈夫です」 茉由は気遣いできずに、高井には聞き返 さない。けれども、高井はそこにある ことを知っていたのか、 暗闇の中にポツンとしたコンビニの、 そして、この時間には、きっとこうだ、 との事も、知っていたかのように、 車が一台もない、その広い駐車場に寄る。 一台だけ、特別に停められた車に、 茉由を置き去りに、ひとり降りた高井は 「ブルッ」と身震いした。 二人の温もりのある車の中とは違い、 外の空気は夜になると肌寒かったのか、 少し前屈みになると、 ジャケットの襟を立て、ポケットに 手を突っ込んだ。 「あー、腹減ったー」と、茉由に 聞こえないように、しっかりと離れた ところにきてから呟く。 他になにもない、だだっ広い駐車場、 ドップリと暗闇に包まれた、 高井の車に残された茉由の目の前 では、高速道路を照らすオレンジ色 の光が、周囲に広がった夜空の真っ黒い ベースカラーをバックに、余計なものは 全て消され、その下を通る、それぞれの 車の色をピカピカに際立させている。 それらはまるで、色とりどりの ジェリービーンズグミのよう、 それに、次々に動いていく 車のテールランプの光の線も連なり、 これはもう、ピュアな性格の者ならば、 幼心を取り戻し、 童話の中に出てくる、 森の中のスイーツファクトリーで、 夜なべして働くドワーフ達の可愛らしい 手で、セッセと一生懸命に作られていく、 ツヤツヤに出来上がったばかりで、 レーンの上を運ばれているように 見えてくる。 さすが、策士の高井が考えたこと、 これは、かなり良い雰囲気で 夜景を楽しめる。 せっかく、そんな夜景の綺麗な、 そして、さらに、 そこに加わる波の音も効果的な、 海の近くにポイントを決めて 高井が車を停めたのに、 それは茉由のためにと、 わざわざここに連れてきてやったのに、 茉由は、自分のバッグの中の整理を はじめ、外の様子を観ようとしない。 海近くの星空の下、たった一人だけ に与えられた 「ワイドサイズの絶景スポット」の 夜景を楽しんでいる様子はなく、 ここで一人にされたのも、 高井の演出だなんてこと にも、全く気づいていないようだ。 そんな「鈍感な女」とは分かっていても、 まさかこれほど鈍いのかと、どんなこと にも動じない高井でも、骨折り損のよう な虚しい気もして、 振り返りざまにノソノソと、暗闇の中、 虚しそうに、 ひとりで向かったコンビニは、 反対に、自分には過剰なほど強烈に明る すぎて、そこに直ぐには、可愛そうにも 中年の目は慣れなかったのか、つい目を 細めて店内に入ると、真っ先に目に入っ た、真っ白な壁に掛けられた時計は、 「19時」と有り難く知らせてくれた。 「まぁ、良いさ、まだ、あと、  1時間位はドライブできる」  と、高井は思った。 ブラックの珈琲缶を二つ買うと、 高井は車に戻る。 茉由は図々しくも眠っていた。 高井がそれを睨みつけ、 車体が傾くくらいにシートに 「ドスン!」と腰を下ろしても、 茉由は起きなかった。 それに呆れて、いきなり 茉由の左の頬に唇を圧しつけて も気づかない。 「そんなに疲れたのか?」 高井はもう、諦めたかのように、 静かに運転席のドアを閉めて、 レザーシートの擦れる音にも 気を配ると、ゆっくりハンドルに 手をかけ前方を見る。 「女って、  夜景が好きなんじゃないのかよ」 高井にも、計算外のことがある。 エンジンを掛けようとしたが、 高井は思い出したように 珈琲缶に手を伸ばし、プルトップ の音に注意しながら、一口、 空腹を紛らわすようにと 多めに飲み込んだ。 せっかくだから、 いつもは鬱陶しい位に全開の、 警戒モードがOFFになって いる状態の、 全く動かない茉由を 起こさないように、 助手席の背凭れを倒してみた。 「俺が一緒なのに、何故?   眠くなるんだ」 高井のひとり言が続く。 「俺の横で寝たヤツは、  誰もいないんだぞ」 開くことのない茉由の 瞼のすぐ上で、 高井の唇は僅かに開き、 2回目のキスは 茉由を起こさないような、 柔らかい軽め のキスをした。 「お母さんタダイマー、  お腹減ったけど、  食べるものある?     あぁー、 梨沙?   さっきは久しぶりに、  バッタリだったから、  ビックリ したァー、    お母さん?   洗濯ありがとー  畳んでくれたんだー、  私が片づけるからー、  なにか作ってもらって良いー?    そうだよ、  送別会依頼、ずっと、逢えなかった  でしょ?   ずいぶん前じゃん。    お母さん?   子供たちはもう食べたの?    だって、  ゆっくり話かったのに、  梨沙ったら、  サッサと居なくなっちゃうしー」 鈍感な茉由は玄関に走り込むと、 無神経にも高井の香りが「タップリ」 と滲みついたコートを、出迎えた母に 投げ渡した。 だが、それは運良くも、 あまりにも豪快にバタバタと やらかしたせいで、 いつもとは違う娘の香りを、 母は気づけなかった。 「茉由ちゃん? 子供たちは今、  食べ終わったところだから、  残り物しかないけど良い?」 母はキョトンと、茉由を出迎えた。 それは、いつもよりは遅い娘の 帰宅時間だけが予想外であった ようだが、けれども、 あっけらかんとしている娘の様子に、 その心配を裏切られたと、 思えただけのようだ。 「う~ん、それで良い、良いよ!  食べる、食べる! エッ?   そうそう! 今、自宅、そうよ!  何を言ってるの?   私は自宅よ!」 茉由はいつまでも、大げさにバタバタ と音を出し、通話中の梨沙と、同時に、 玄関で茉由から上着を預かった母に囃 し立てる。母には、遅めの帰宅時間の 説明をしたくないし、梨沙には今日中に、 いや、少しでも夜中に近づかない時間に、 連絡したかった。 今は少しでも早く、 上手に言い訳をする 必要があることだと、 茉由だって分かっている。 先ほど勘の鋭さを見せた梨沙と、 何かと悪い方への心配をしがちな 母への言い訳を考えながら、 かなり頭を働かせて みたが、茉由は鈍くさく、 結局こんなことになってしまった。 「ナンだぁー ツマラナイ!   高井さん、イイ男だから、  羨ましいぃーって、思ったのに、  ホントに? 送ってもらった、  だけ、だったん、だぁー、」 どこまでが本気か、 本当はそれ程興味がないのか、 梨沙の突っ込みは軽かった。 ― 梨沙はだんだん思い出した。 そういえば、あの時、確かに、 自分は分かっていた、 高井は、茉由の事を狙っていたと。 「私が鈍感すぎるから、  こうなっちゃったのかも……」 「ナンデ、眠っちゃったんだろうって、  あの時の、途中から、  何も分からなくなってる。  帰宅が遅くなったから、  疑われたくないし、早く梨沙に  telしなくちゃ、とは、           思ったけど」 茉由は、今も、高速道路のコンビニに 寄ったことは覚えていても、その、 途中からは、何も思い出せない。 「寝ちゃったの?   あの、高井さんの横で?   誰だって、怖くて、  眠れないでしょ?」 有りえないと、咲は呆れた。 「そうなの、寝ちゃった?のよね」 「えぇ~、そうだよ! 横に、  あんなの乗ってたら、寝れないよ、  普通は!」 茉由の天然な、無防備な行動に 「渡る世間に鬼はなし」 の梨沙でさえ驚いた。 「あのね~、何かされてたら、  如何するの、大丈夫だったの?  そっちの方は?」 咲は、回転が速い。 「 たぶん 」 茉由には、分からない。 「 あ~あ!」 梨沙は、ちょっと、 勢いが出てきた。 「 うん 」 「大丈夫だよ、茉由の事、      分かったから 」 咲は、茉由を安心させようとする。 梨沙は、腕組みをした。 高井と茉由の事を 最初に気づいたのは、 自分だった。その時に、 ちゃんと、 考えてあげればよかった。 そうしていたら、自分も、 こんなに、高井に……、  梨沙はその時も、 酔っぱらっていた。 ―   「あー、ゴメン、    ゴメン、何処迄だっけー」 梨沙は周りの者に向かい、 小さく乾杯のポーズをした。 仕事仲間たちと、 本社から近いホテルのバーで、 シュリンプカクテルを つまみ乍ら ギムレットを口にする。             ―  今回だけじゃなく、 あの時だって、 やっぱり、酒は、  少し、ひかえよう… 「あ~、  もぉ~、思い出したぁ~!」 「マッタク!私って!」 梨沙は頭を抱えた。自分にしては、 甘かった。墓穴を掘ってしまった。 と、後悔した。 「そうだ!茉由、私、社宅に  引っ越さなきゃいけないから、  手伝ってよね!」 梨沙は、気晴らしに、思いっきり、 身体を動かしたくなった。 日時の打ち合わせを、 3人で始めた。 「 うん 」 「そうね!先ずは、そっちからね!」 同期の咲や梨沙と、一緒に、茉由は ほとんど、咲と梨沙に頼って、考えを 巡らせている、この三人会。 「茉由? もし、病気だとしても、  薬だって、治療だって、  一つだけじゃないから、茉由に、  いい方法だって、きっとあるよ、   それもちゃんと確かめようね」 咲はちゃんと纏めてくれた。 「 ありがと 」 三人会は、茉由にとっては、 ただ楽しむだけの同期会ではなく、 救いの場。 「今回も、この会が、できて良かった 」 茉由はホッとした。 この三人会のことは、いくら高井でも、 絶対に、邪魔させない。と、咲と梨沙も 思っている。 それに、高井は、 分かっているのだろうか、先日の 山下公園で、高井は浮かれて油断した。 茉由に渡された、高井の名が刻まれた ボールペン。 手が離れれば、高井が管理できない。 あの時、茉由に魅せられて、 高井は、茉由を抱きしめることだけ、 を、考えてしまった。 いつも警戒したままの、茉由が、 自分から、高井にキスを許した。 初めてのことだったから。 高井にとっても、それは、初めて、 茉由と、同じ気持ちになれたと、 嬉しく思えたことだった。 だから、ウッカリ、 油断してしまったようだ。 それに、自宅に戻ってからも、 高井は、渡しそびれた 花束の事ばかり 気にしすぎてしまった。 冷静に、 一日を振り返られない。 高井は、ペンのことは、 この時、忘れている。 高井は、仕事を片付けようと、 書斎に入った。 窓際の、デスクの上には、 新しい名札が 置いてある。 茉由の名が見えている。 でも、Family nameは…… 高井は、 遺されていた花束の真紅のリボンを 外した。真紅のリボンは、かすかに、 茉由の香りがする。 そのリボンを、茉由の 新しい名札の横へ置いた。 リボンの色には意味があったのに、 「 気づかないのが悪い 」 高井は、それを伝えたはずだったのに、 高井は、 茉由が自分のことを認めるまで、 どんなことをしてでも、茉由に 認めさせようとする。 茉由は、 絶対に認めることはできないから、 高井が どんなに様々なことを繰り返しても、 それでは、終わらないのに。 茉由は、 結婚しているし、子供たちのことが 一番大切だし、 いつも家の中を纏めようと 頑張ってくれている、お兄ちゃんが、 母親には、 清潔感を求めていることも 分かっているし、 だから、母親として生きることに しているし、 自分は病気と闘っているし、 躰は、病気と 関係が無いことでも、 自分で勝手な判断を して、必要もないのに、 傷を創ってグロテス クになっちゃっているし、 高井が望んでも、 ひとつにはなれない。 そんなに、 変えられないものがあるのに、 自分の気持ちを伝えてしまったら、 全部、壊れてしまうから、 高井には、 自分の本当の気持ちを絶対に、 どんなことをされても、言わない。 それだって、 茉由は、目の前に高井がいれば 辛い。嫌いなわけじゃないから。 だから、 茉由は、言えない気持ちを、如何 したら、高井に伝わるのか考えた。 きっと、 高井は観ることが無いところで、 茉由は、 メッセージを出してみた。 それを観た人が、どこかで、 このメッセージを口にしたら、 そこで、その人の知らない人 にも聞こえて、その人たちがまた、 それについて、どこかで話したら、 そうやっていくうちに、いずれは、 高井の知り合いがこのメッセージを 知って、その人は、 茉由の事を知らなくても、 高井に、 このことを話すかもしれない。 「これって、貴方に、似ていますね」 と、そうしたら、茉由が、自分の 気持ちをメッセージにしたことも、 その茉由の気持ちも、 分かるかもしれない。 それでいい、 私はなにも壊せないから。 茉由は、 高井の事を……
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