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空
クライスは当てもなく旅をしていると、上空を巨影が飛んでいるのを見た。陽光を受けて、銀色に光り輝いている。クライスは銀の龍のペンダントを掲げて、その影と並べて見比べてみた。
「銀の龍は困っている人間を助けるというが、私のことは通り過ぎてしまうようだ」
クライスは龍が遥か遠くに消えるまで立ち止まって見送った。
「まあ、それもそうか。私には、足も、口も、知識も、考える頭もあって、何より――」
クライスは独り言をつぶやきながら、一枚だけ残った金貨の入った袋を手にした。
「――幸運があるのだから」
クライスは鼻歌を歌いながら、何事もなかったかのように再び歩き始めた。
「シンチェロさん!! 大変だ!!」
「ああ!? なんだ、銀の龍の面白エピソードを語ってるんだぞ!」
酒場で物語をしていたシンチェロに、外から来た男が叫んだ。
「龍が飛んでいるんだ! しかも、あんたが話していた銀色のやつだよ!!」
「それを早く言わねえか!!」
シンチェロは大きな身体を揺らして、彼の人生で出したことのない速さで、出口に集まる人の群れを弾き飛ばして酒場を出た。
シンチェロは酒場を出て空を見上げた。
「……あんた、龍殺しっつーがらじゃねえもんなっ!」
シンチェロは空にも届くような大笑いをした。
銀の龍はシンチェロが暮らす街の上空を旋回していたが、しばらくするとまたどこかへ飛び去って行った。
「龍殺しの名を持つ少年は、ついにその宿命を果たせなかったか」
シンチェロはにやりと笑みを浮かべ、酒場へと戻っていった。
銀の龍と少年は大空に抱かれ、地上を見下ろしていた。
龍の背中から少年は尋ねた。
「龍はいいですね。見たいときにこんな景色が見られるのだから」
「いつでも見せてやろう」
「言いましたね? 後悔しても知りませんよ?」
「ふむ。後悔など、味わってみたいものだな」
「じゃあ、約束です」
「む、お前、悪魔の力を使ったな。卑怯な人間だ」
「もう人間かどうかも怪しいです」
少年は楽しそうに笑う。
「自分がどんな名前を持っていたのかすら覚えていないのですから。ところで、僕はどんな名前だったのですか?」
「およそ、お前には相応しくない名前だ」
「そうですか」
少年は遥かな地平線を見渡した。この広い世界で、小さな名前にこだわる必要もないのかもしれない……そう思う少年だったが、どうしてもこだわりたいものもあった。
「ねえ、銀の龍……あなたの名前は何なのですか。あなただけ僕の名前を知っているなんて、ずるいです。教えてくださいよ……なんでもしますから」
龍はため息のような唸り声を上げた。
「ずるいのはどっちだ……お前だけが我の名を知るなど、あってはならない」
「僕だけ? ……よく分かりません」
「考えろ。お前には考える頭があるのだろう?」
「足も口もありますよ」
「知識と、幸運もな……我と出会う」
龍は身体を揺らして笑った。少年は龍の背にしがみつく。
「……っと、先に全部言わないでください! あと危ないです!」
少年は龍の背中を叩いた。叩いた後、背中に倒れ込んで、声を出して笑った。
「あなたと出会う、か――」
少年は満足した顔で、何もないからっぽの空を見上げた。
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